岩松 暉著『山のぬくもり』32


ファミコンキッズ

 本学の周辺にはゲームセンターやレンタルコミックの店がある。もちろん、24時間営業。生協の書籍部でもゲーム攻略本やマンガを売っている。昔は大学の周りというと必ず古本屋があり、専門書が山積みされていたものだが、時代は変わったのである。
 趣味の世界にとやかく言うつもりはない。しかし、教養部から進学してきた学生に地学の専門書を何冊持っているかアンケートしたことがある。ゼロという人が結構いてびっくりした。もちろん、古典文学や哲学の本など読んだことはない。本=マンガ週刊誌らしい。それ故、彼らの書くレポートは日本語になっていない。誤字脱字など吹き出すような傑作が多く、集めれば1冊のジョーク集ができる。論理的な思考が出来ないらしく、内容も支離滅裂である。『「大学」はご臨終。』(大礒正美,1996)という本があるが、まさに末期症状と言ってよい。「知性の府」はいまや死語になった。
 知性がないだけならまだしも、独りよがりなのは困ったものだ。「試験は出来たかい」と聞くと「ハイ」と答える。実は鉛筆の減らし賃程度の点数しか取れていないのに、自分はすごく優秀だと思っているらしい。己を客体視できないから、分不相応の夢を見たりする。自ら狼をもって任じている者もいる。飼い犬と違って誰にも飼い慣らされない誇り高き一匹狼のつもりなのだろう。孤高の一匹狼なら誰にも頼らず実力で世渡りが出来なければならない。しかし、実態は甘ったれのだだっ子である。卒論もみんなに手伝ってもらい、先生のコネで就職する。平気でただ酒は飲む。周りからフォーローしてもらって、やっとこさ今まで着いて来れたのが分からないらしい。狼が気を悪くするだろう。
 同僚の説明を聞いて納得した。対戦型のテレビゲームもあるが、たいていは自分一人でテレビ画面に向かう。会話の必要はない。ゲームでは常に自分が主人公で、常に自分がHi-score保持者である。どうだ、敵をやっつけたぞと快感にひたれる。こんな生活を幼少時から送ってきたファミコンキッズが大学に入学してきたのだから、自己中心的主観主義的学生がいて当然という訳である。なるほど。
 もちろん、この話は若干面白おかしくした面がある。テレビゲームだけが原因ではない。独りよがりの人間に共通しているのは、幼少時から甘やかされて育ったことである。家庭教育に本質的な欠陥がある。大学は成人を相手にしているから、PTAなぞ存在しない。ところがこの手合いの学生の場合、得てしてPTAが顔を出す。この親にしてこの子ありと唖然とする例もままある。

(1997.2.28 稿)


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更新日:1997年8月19日