岩松 暉著『二度わらし』7


中田選手のライバル

 世はワールドカップで持ち切りである。日本チームの主力は中田選手とのことだ。ラジオで彼の話を聞いた。自分の最大のライバルは小学生時代の自分だという。あの頃は後ろから球が来ても気配で感じ、身体が本能的に動いた。しかし、その後サッカーチームに入り、組織プレーを叩き込まれたら、本来持っていた才能が薄れてしまったというのが大筋の話である。これは教育関係者にとって恐い話だ。自分たちは、子供たちの持っている才能の芽を摘んでいるのではないかと、常に自問する必要がある。
 私は新入生に必ず言う。高校まではteacherとpupil、大学はprofessorとstudent、根本的に違う。教育学部がfaculty of educationというように、大学の教育はteachingではなくeducationである。Teachが"teach my dog to sit up and beg"(犬にちんちんを教える)のように「教え込む」といった意味があるのに対し、educateの語源はラテン語の「外へ持ってくる=能力を持ち出す」だから、学生の持っている本来の能力を引き出すのが大学教育である。われわれ大学教員はそのお手伝いをするにすぎない。大学は自ら学ぶところであって、教わるところではないのだ。
 もっともこんなお説教じみた話を聞く学生はほとんどいない。脱線話は試験に出ないからと功利的に考えたのは一昔前の学生、現在の学生は自分はダメ人間と思い込んでいるので、持てる能力などと言っても他人事と考え、自分とは関係ない話だと受け取るからである。いくら君はこんな長所を持っているのだからがんばりなさいと言っても、先生はおだてているだけと冷めている。さて、こうした学生の潜在能力をいかにして引き出すか、頭が痛い。私の指導教官は、「学生は自分の足元を脅かすライバルである。敵に塩など贈れるか。自分で考えろ。」と、いたって厳しかった。昔の先生は楽でよかったなあ。

(1998.5.5 稿)


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更新日:1998年6月6日