岩松 暉著『二度わらし』2


愕然

 わが大学もとうとう教養部が廃止された。従来の一般教育に当たるものは共通教育と称して全学の教官が担当する建て前になった。とはいえ、実際は自然科学の基礎を担当するのは理学部の教官にほとんどしわ寄せされている。私も生まれて始めて、低学年のマスプロ授業を受け持った。300人を前にマイクで講義をするのだから、まるで街頭演説のようである。以下、初日の実態。
 今までは20人程度相手の専門の授業だから、教師が入室すればシーンとなった。ところが、今回は私が教室に入っても、わんわんと蜂の巣を突ついたよう。知らん顔してOHPの準備やマイクのテストをする。それでも静まらない。準備が完了し、教壇の上にしばらく黙って立つ。それでも静まらない。とうとう一喝する羽目になった。ちょうど授業開始の直前に震度2の地震があったので、インターネットで配信された最新情報を伝える。機先を制したのが功を奏したのか、やっと私語が止んだ。授業中携帯電話のベルが鳴る。電源を切るのがエチケットと、またまた一喝する。今度は黙ってスーッと退室するのがいる。トイレは休み時間に行くものだというと、バイブレーターで携帯電話の呼び出しがあったのだという。教室の中で電話するよりまだましだが、あきれた。質問や反論があるなら、私の講義は何時如何なる時でも中断してよいと冒頭言ったにかかわらず、この時間一切反応はなかった。
 ベテランの元教養部の先生にコツを聞いてみた。「専門学部の先生はプロの養成という意識が身に染み付いている。今の学生は学問をしに大学に来たわけではないということを肝に銘ずべきだ。その意識改革がまず第一である。次に、大学全入時代になって、学力が驚くほど急速に低下しているという事実を知るべきだ。本を読まないテレビ世代、本といえば漫画か劇画、ドバーッ・ギャオーといった擬声語の羅列だけなのだから、ボキャブラリ(語彙)が決定的に不足している。教師が普通にしゃべっている日本語が理解できていないのに気づいて愕然としたことがある。第一、このボキャブラリや愕然という言葉を何人が知っているだろう。英単語や四字熟語・漢語などを混ぜて話してはダメだ。」とのことであった。愕然を知らないとは唖然である。

(1998.4.20 稿)


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更新日:1998年5月30日