[地質調査こぼれ話 その15]

フィールドでお世話になった人々


◎気仙沼松屋旅館のおばさん
 卒論は旅館を利用した。以前,杉田宗満さん(岡山大・故人)と小島圭二さん(現在東大資源開発工学)が進論で泊まった宿。その時,お嬢さんの勉強をみてもらったとかで,後輩の私は下宿料金にまけてもらう。東京で下宿しているより安い。富山の薬屋さん・旅芸人・祈祷師,いろいろな人が泊まる。典型的駅前旅館の一つ。ここの女主人小野寺さんは,船乗りの旦那さんを海で亡くして,以来女手一つで旅館を切り盛りしてきた,ふとってよく笑う気さくなおばさん。私が新潟出身と聞いて,「日本海は白身の魚しかないそうだから」と鰹の刺身を出してくれる。ウマイ。お代りをする。それから毎日毎日カツオのサシミ。25日目,とうとう少し残す。おばさん,やっと気づいて,「そうそう若い人は肉が好きでしたね」と,カレーライスを作ってくれた。また,大の野球好きで巨人ファン。巨人のテレビがあると,「それ! ちくしょう!」と声を出して熱中し,ときどき味噌汁が煮つけになる。巨人が勝つとリンゴが余計に付く。高校野球も気仙沼に近いほう(東北勢はもちろん,関東対関西なら関東)を応援して大騒ぎ。これが縁で,その後も東大の進論や新大の巡検でお世話になった。
<後日談>
 2011年3月11日,東日本大震災で気仙沼は壊滅的な被害を受けた。松屋旅館は木造3階建。当時の建築基準法では木造3階建は禁止されていたはずだから,もっと築年は古いはず,当然倒壊しただろうと思っていた。その年の秋『東日本大震災津波詳細地図』を緊急出版したので,自治体に贈呈行脚をした。何と全く無傷,住所が古町だから地盤が良かったのと,地震の応答スペクトルとの関係だろう。玄関は閉じられたまま。ベルを押してみたが応答がない。おばさんは当然既に冥界入りだろうし,やはり,廃業されたのだろう。

◎陸前高田市矢作町天登亭のご一家
 修士論文は,気仙沼の北方岩手県陸前高田市矢作町がフィールド。先輩の岩崎泰頴さん(現在熊大)がやはり進論で泊まった天登亭を訪ねる。雑貨屋さんをやっていて,旅館は廃業したとのこと。でも他ならぬ岩崎さんの紹介ならと,裏の離れに泊めてもらう。ここでも先輩の行状がよかったお陰をこうむる。ご主人村上恭三郎さんは市役所勤務。女の子ばかり5人。5才のわかえちゃんが「アンちゃん,マンガ本読んでけろ」と毎日やってくる。上の子供たちの学芸会には,ぜひ来いと言われ,写真を撮りに出かける。ご主人の晩酌のお相手をする。全く家族の一員である。私が行く日には,必ず,「兄ちゃんの好物だから」と,餅をつき,クルミのしるこを作って待っていてくださった。「岩手の嫁さんはどう?」と勧められる(偶然私の妻は岩手県出身だが無関係)。本当に親切な方たちだった。鹿大の学生巡検では,今や市のお偉方になっておられるご主人の尽力で,市のトレーニングセンターにただ同様で泊めていただいた。
◎相馬の猪狩さんご一家
 博士課程のとき,第T講座(岩石学)4年の斎藤晃一郎君(晃道・現在目黒五百羅漢寺住職)がフィールドに来て欲しいという。劈開褶曲の下位に当る変成岩の褶曲がある。結局,自分のフィールドとなる。その斎藤君が宿を探すために部落の区長さんを尋ねたのが縁で,区長さんの分家に当たる猪狩三夫先生宅に泊めていただいた由。ご主人は小学校の教頭先生,豪放磊落。「イワマッツァン,今日も一杯やっぺ。早く風呂さ入ってこ。ナーニ,風邪なんかビール飲めば治っから。」という工合。「母ちゃんは取り替えるわけにはいかないから,車(カー)は毎年新車に替えるんだ。」とおっしゃるが,大の愛妻家である。奥さんも優しい世話好きな方で,民生委員や家裁調停委員と,人様のために走り回り,小柄な身体のどこにそんなエネルギーがあるかと驚くばかり。高校生の姉弟があり,家族そろって,当時流行った「若者達」を合唱したり,それはそれは楽しい和やかな家庭だった。その上,「貧乏学者の卵から金なんか取れるか」と,宿泊費・食費一切無料。本家をはじめ親戚の方々にも,車をお借りしたりずいぶんお世話になった。今では結婚式に招いたり招かれたり,親戚同様である。
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更新日:1997年8月19日