[地質調査こぼれ話 その14]

学問は自分で学ぶもの―山下さんと文献カード―


 東大では,卒論の他に卒論演習報告というものがある。卒論とかかわりの深いテーマについて古今東西の文献を読み,レビューを書くのである。人によっては,大学ノート2冊も3冊も書く。戦前の岩波講座は,この演習報告だと聞かされた(真偽のほどは不明)。
 私の卒論は北上山地の構造解析だった。北上には劈開褶曲がよく発達する。そこで,演習のテーマに「スレート劈開の成因」を取り上げた。演習報告は卒論以上に大変だと先輩たちに脅かされ,何とか手抜きはできないものかと考える。聞くは一時の恥,誰かに助けてもらうに限る。まさかテーマを与えた木村敏雄先生(現名誉教授)に聞くわけにはいかない。そうだ,同じ北上の古生層を研究したこともあり,『中生代』という著書もある山下 昇さん(現在信州大)に聞こう。早速,助手室を訪れる。
 話を聞いた山下さん,黙ってカードボックスのところへ行き,引出しを開けて見せる。「そうだなあ,劈開やスレートについて書かれた文献を片端から探し出して,こんな風に文献カードを作ってごらん。中身は読まなくてもよいから,カードがこのくらいたまったらまたおいで。」と,指先で10cmくらいの厚さを示し,あとはまわれ右。取りつく島がない。やむなくそのまま図書室へ。当時の地質図書室は閉架式,書庫に入れるのは院生以上である。そこで,司書の市原 正(まさ)さんに山下さんの話をする。「そうねえ,新着文献の引用文献からどんどん遡って孫引きしていくやり方と,テキストブックの脚注や巻末の参考文献欄にあるものから読む方法といろいろあるけれど,やっぱり最初はテキストのほうがいいんじゃない。」といって,書庫に消えたかと思うと,山ほど単行本を抱えて現れる。これにはへきえき。当面,1冊だけでいいです,と退散を試みる。後から追い討ち。「新着雑誌は見て行かないの。構造のことがよく載っているのはね,GSAのBulletinとRundschauとそれから……」
 やむなく閲覧室でカードを取り始める。山下さんのカードの書式にならって書く。雑誌名は適当に省略していると,またまた市原さんの声。「Abbreviationには規則があるのよ。雑誌自身が指定している場合には,それに従わなければならないし,そうでなければ,“Bibliography and Index of Geology”のsource listに従いなさい。あんただって自分の名前を勝手に略されたんでは,気分悪いでしょ。」
 そんなこんなで,カードの厚さがやっと10cmくらいになる。また山下さんの部屋へ行く。「たまったかい。カードに取っているとき,誰もがよく引用する文献に気がつかなかった? 10ぐらいはあったろ?」「ありました,ありました。LEITHとBECKERとSORBYと……」「じゃ,それを読んだらまたおいで。」冗談ではない。読み終ったときには,もう聞きに行く必要はなかった。その時はなんて不親切な人だろうと思ったが,今にして思えば,オーソドックスな勉強法を教えていただいたものと感謝している。古典にまで遡って全体像を把握し,玉石混淆の論文の中から本物を探し出す眼を養う力になった。SORBY(1853)はペリー来航の年に出た論文だが(金文字革表紙のJour. Geol. Soc. Londonが教室にはあった),既に変形化石の歪解析など,1970年代に流行った方法が詳細に展開されていた。最新論文が必ずしもレベルが高いわけではないということも知った。トピックスを追い,流行にのることの好きな学生に勧めたい勉強法である。
 もっとも,期日が迫ってからオーソドックスに始めたので,私の演習報告は尻切れトンボに終わっている。「詳しくは後で述べる」とあって,後がないのである。新岩波講座9巻の「岩石劈開」の章は,卒論演習報告の追加分のつもりで書いた。これでやっと本当に卒業できたとホッとしている次第である。
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更新日:1997年8月19日