岩松 暉著『山のぬくもり』1


三峡ダムにて

 1996年夏、第30回国際地質学会議三峡ダム巡検に参加した。途中揚子江下りも満喫した。さすが長江、悠々たる流れに身を任せながら、大陸の広大さと歴史の重みを実感した。ダムができると、この雄大な景色も三国志で有名な史跡も水没し、100万人に上る人が家を失うという。有名なアスワンダムも今ではメリットよりもデメリットのほうが大きいと評価されている。三峡ダムも、発電・洪水調節・水運などのメリットを強調しているが、後世の史家に世紀の愚行と言われる恐れが多分にあるのではないだろうか。もっともこれだけの発電を石炭火力でやられては、風下の九州は酸性雨被害が大変になるが。
 世紀といえば、20世紀は社会主義の世紀といわれる。産業革命以来のむき出しの資本主義に対しノーを唱え、8時間労働や社会保障制度を取り入れさせるなど、確かに積極面は存在した。しかし、両者とも産業革命・フランス革命の申し子であり双子の兄弟である。社会主義もまた「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」豊かな社会を目指して生産力を上げることに狂奔した。この競争の中で硬直した体制の社会主義が敗北し、修正資本主義化してより柔軟に現実に対処してきた資本主義が打ち勝った。もっとも資本主義のほうもかなり制度疲労の状態にあり、いずれ新たな社会が生まれてくるだろうが。
 こうした両者の生産第一主義は資源制約と地球環境問題という壁にぶつかってしまった。科学的社会主義の創始者たちが、産業革命期の悲惨な状態におかれた労働者に腹一杯食べさせたいという素朴な夢を描いたとき、地球環境にまで影響を与えるほど生産力が発展するとは思ってもいなかったに違いない。レーニンは「共産主義とは電化である」と言ったとか。近代化=工業化=バラ色の世界という図式である。三峡ダムもその発想の延長なのだろう。資本主義も社会主義も前世紀以来の機械的世界観に基づく西欧科学の伝統を受け継ぎ、人間は万物の霊長として特別な地位にあると自負してきた。人間中心の天動説である。人間謳歌は積極面ではあるが、自然の征服といった傲慢な発想はいただけない。地球も銀河系の端にある一つの小さな星に過ぎないと同様、人間も自然界の中ではごく一部の小さな存在であることを忘れてはならない。自然はシームレスの織物にたとえられる複雑な有機体である。どこかに手を加えると、必ずとんでもないところにその影響が現れる。一面的な議論が危険な所以である。
 近代土木技術もまた、自然征服の先兵となってきた。三峡ダムでは巨大な重機が山を削り水路を穿っている。あたかも造物主が天地創造しているかのよう、誠に壮観である。しかし、人間の力、マクロテクノロジーの偉大さを感じるよりも、人間の不遜を感じた。自然に合わせて作らせてもらうのではなく、机上の理論に基づいて強引に構造物を作るやり方、近代土木技術の姿を象徴している。実際、川はコンクリート三面張りの直線水路となり、渚はテトラポットやコンクリート護岸に取って代わった。都会はコンクリートジャングルと化している。こんなやり方はそろそろ反省してもよい頃だ。
 社会主義も同様、己が理論を絶対化し、強引に社会改造を図ってきた。現実の民衆の声に耳を傾けるのではなく、理想化したプロレタリアートという虚像の鋳型に民衆を鋳込もうとしている。100万人も強制移住させられるというのに、三峡ダム歓迎の横断幕や看板があちこちに立てられ、反対の住民運動など見当たらない。人民の心の中にまでブルドーザーをかけて押しつぶしてしまったのだろうか。もっとも民衆はしたたかである。ポルノを販売しただけで公開銃殺というお国柄なのに、船着き場の倉庫では毛布で正面を覆ってポルノ映画が上映されていた。明の十三陵を見物した時、皇帝の巨大な陵墓に驚いていると、「毛沢東廟もすごいですよ。ナニ、王朝が代わっただけです。」と言う中国人がいた。言外にいずれ共産党王朝も替わるだろうとにおわせている。さすが大陸、スケールが大きい。悠久の歴史を持つこの国の民衆はもっと遠くの歴史を見つめていた。現在のバブルがはじけ、経済が行き詰まった時に激震が起きるに違いない。

(1996.8.20中国から帰国して 稿)


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更新日:1997年8月19日