新しい地的社会をめざして

岩松 暉(地質ニュース,No.667, 8-13.)


1.はじめに

1.1 ファクトデータの重要性
 1991年,当時の地質調査所で日本地質文献目録の完成とGEOLISへの移行を祝賀した研究発表会が開かれ,「日本の地質学における情報活動」と題して特別講演をさせられたことがある(岩松,1992).そこではファクトデータベースの重要性を強調した.地質の場合,フィールドデータなら,ルートマップ・スケッチ・産出化石リスト・ボーリングデータ・各種物探データ等々,インドアデータなら,化学分析値・年代測定値・各種試験結果など,さまざまある.そのうち化石のタイプ標本を除き保存公開は義務づけられておらず,フィールドノート類は私物として他人は見ることができないし,退職されれば消えてしまう.しかし,学問が進歩して新しい考え方が出てきたとしても,観察事実は変わらないから,新しい地質図作成には役立つ(図1).日本のように列島改造に伴って次々に露頭が消えていくところでは,過去のファクトデータは貴重である.
 一方,多額の公金を投じたボーリングデータなども役所の守秘義務の壁に阻まれて公開できないし,いずれ時間が来れば廃棄されてしまう.
 こうしたファクトデータが公開されれば,地質学の進歩にとって計り知れない利益をもたらす.また,都市計画や防災計画,あるいは各種アセスメントなど,行政のプランニングにとっても,大いに役立つに違いない.納税者である国民にとっては「知る権利」がある.法制化も視野に全面無償公開を推進してはどうかと提案した.
1.2 「知的公共財」としての地質地盤情報
 それから十数年,地質地盤情報協議会ができて,地質地盤情報は「知的公共財」との位置づけが行われるようになった.国交省の検討会も同様の結論を得た.こうして,2008年ようやくKuniJibanとしてボーリングデータのネット公開が始まったし,産総研でもフィールドノート類は公的なものとの認識になりつつあると聞く.誠に喜ばしい.

2.お寒い日本人の地学(地質学)リテラシー

 しかしながら,地質地盤情報は知的公共財と胸を張っているのは一部専門家だけなのではないだろうか.実際の受け手である国民の眼にはどう映っているのだろうか.エコは日本語になったが,ジオは未だに市民権を得ていない.
2.1 ジオと自然災害
 「大地動乱の時代」が近づきつつあるという人もいる(石橋,1994).確かに今世紀に入ってからも地震や火山噴火が続いている.宮城県沖地震が今後30年以内に起きる確率は99%以上と言われているし,東海・東南海・南海地震の3連発さえささやかれている.
 温暖化の影響か,梅雨前線豪雨はやや北上して,北部九州から中国・紀伊半島方面にシフトし,時間雨量100mmを超すような極端な豪雨も出現して,土砂災害がゲリラ的に各地で頻発するようになった.海水温が上がったためか,台風が日本近海で発生し,いきなり襲ってくることも起きている.
 しかし,こうした自然災害に対して,日本人の知識は極めて乏しい.その良い例が,インド洋大津波である.小泉八雲のお陰で津波は英語になっている.地震後日本人観光客が「ツナミだあ!」と叫んで率先避難してくれたら,どれだけ大きな国際貢献になったか計り知れない.ところが,イギリス人の10歳の少女が「Tsunamiが来るよ」と母親に伝え,ホテル従業員ら数百人の命を救ったというのに,地震国の日本人は悠然とビデオを撮影していた.そのために死んだ人も多かったに違いない.
2.2 ジオとエコ
 日本人は花鳥風月が好きである.春になるとミヤマキリシマを求めて霧島山にハイカーが殺到する.同じ霧島山系なのに栗野岳など古い火山にはなぜミヤマキリシマが生えていないのか,南国なのになぜ霧島山系の甑岳にはブナ林が存在するのか,疑問を発する人は皆無に近い.実は氷期と火山活動の新旧が密接に関わっているのだ.地生態学geoecologyなる言葉が誕生したように,ジオとエコとは切っても切れない関係にあるのだが,知っている人は少ない.ヨーロッパでは自然多様性biodiversityを守るためにも地質多様性geodiversityを守ることが必要と,Geoconservationなる言葉も生まれ,活発な活動が行われていると聞く.
2.3 ジオと資源
 資源安保という言葉がある.資源大国の中国は資源政策を最重要課題と捉え,アフリカで鉱物資源や石油の採掘権を買い漁っている.しかるに日本では,札束を積めば資源は買えるものとノー天気に構え,大学の資源工学科や地質学科を潰してきた.昔,キルギスで日本人鉱山技師が反政府ゲリラに拉致拘束される事件があった.極寒の地や灼熱の砂漠で日本人地質技師が地質調査に当たり,新鉱床を発見して鉱山を開発し,相手国に利益を与えた上で,日本に資源を輸入しているのである.今後,途上国が資源の輸出制限をしてくるケースが増えてくるだろう.こうした互恵の関係がますます重要になってくるに違いない.
2.4 地学教育の現状
 しかるに日本人は一般に地質に無関心である.これは日本における地学リテラシーが極端に低いからであろう(岩松,2007).高校で地学を教えているところは極めて稀であり,大学センター入試の理科で地学を選択する人は,2009年度で4%,2.6万人に過ぎない.現在,新学習指導要領に基づく教育に移行中だが,これ以上地学選択者が減少すると,10年後に予定されている次の指導要領改訂では,地学という教科自体がなくなるだろうと危惧されている.したがって,日本人の地学の知識は中学生の域にとどまっているのである.その肝心の義務教育もはなはだ心許ない.教育学部の小学校教員養成課程は理科嫌いの学生が進学するところとも聞く.教員自身が地学に疎いのである.折角,総合学習の時間が設けられたのに,どう教えてよいか分からず,とまどっているのが実情らしい.
2.6 地質学凋落の原因
 地学教育が不十分な現状で、地質地盤情報だの,ボーリングデータベースなどといっても何のことか分かるはずがない.球を転がすスポーツとしてのボーリングと誤解する人の方が圧倒的に多いだろう.
 こうなった原因はいろいろあろうが,根本はこれまでの地質学者の怠慢にある.周知のように資源とエネルギーなくして産業は成り立たないので,地質学はその基幹学問として優遇されてきた.明治期のお雇い外国人第1号は鉱山技師のコワニエだったし,国立研究所第1号は地質調査所だった.理学博士第1号も地質学者の小藤文治郎である.戦後も,石炭や鉄鋼の傾斜生産方式が採られ,集中投資を受けた.これに安住して,地質学を支えていたインフラが資源産業から土木建設産業に変わった高度成長期にも,資源中心の旧態依然たる学問体系を墨守した.今また,地球環境の時代になっているのに,学科名だけ地球環境学科になって,中味は昔と同じ旧来の地質学を教え羊頭狗肉をやっているところが多い.その結果,地質学は現在のような冬の時代を迎えたのである.

3.退勢挽回へ向けて

3.1 冬の時代を乗り切った例
 冬の時代を乗り切った例がある.エコは今や日本語になり,エコツーリズム推進法のような法律用語にもなった.半世紀前,分子生物学や生物化学が勃興し,生態学や分類学は日陰の存在に転落した.その時から彼らの地道な努力が始まった.尾瀬沼保護運動はじめ各地で自然保護運動に取り組んだのである.その努力が今ようやく実を結んだと言ってよい.
 考古学も然り,一昔前には考古学科のある大学はごく少数であった.その少数の考古学者たちが各地の発掘に奮闘した.その結果,文化財保護法が改正され,開発の前に発掘が義務づけられた.その後の事態はご承知の通り,日本の古代史は一変したし,地方大学にも考古学講座ができ,各自治体の教育委員会で考古学科出身者も採用されるようになった.金持ちの暇人がやるものと言われていた考古学にも就職口ができたのである.このようにして,かつてマイナーだった学問分野も地道な努力によって今では社会的認知度が向上し,歴女なる言葉も登場した.
 一昔前,NHK第二放送の気象通報を聞いて,天気図をつけていたのはごく少数の人だったし,気象学講座のある大学もごく僅かだった.しかし,テレビのニュースで毎回天気図が登場するようになったら,普通の人が「今日は西高東低の気圧配置だから寒くなるだろう」などというようになり,気象予報士がステータスとなった.民間気象会社も誕生した.地質図も天気図くらい国民にとって身近な存在にならなければ,地質学のステータスは上がらないであろう.最近シームレス地質図のネット配信が始まったことは,その点で画期的である.
 旭川市立旭山動物園のことはご存知であろう.今では上野動物園を上回る来園者があるとか.しかし,ここも閉園の危機に立たされたことがある.小菅正夫園長は著書『戦う動物園』(小菅ほか,2006)の中で,「動物園は一般の人にとっては,信じられないくらいどうでもいい存在であることに気付きました.なぜだろう? 簡単なことでした.…(中略)…お客さんは動物のことはまったく知らないのです.お客さんに動物の凄さを実感してもらえば,みんな動物に魅入られたように夢中になるはずです.そうすれば動物園はどうでもいい存在ではなくなる…」と書いておられる.地質学もまた一般の人にとってどうでもいい存在なのではないだろうか.動物園が閉園の危機に見舞われた時の状況と,今の地質学をめぐる状況は同じように思う.地質学は本当に面白い学問だ,自分たちの生活に必要不可欠なものだと一般の人に認知されなければ,明日はないのである.
3.2 子供に希望
 もはや打つ手はないのだろうか.しかし希望はある.文部科学省の小・中学校教育課程実施状況調査によれば,小中学校を通じて,「好きな教科」の第1位は全学年理科である(図2:文部科学省,2003).小学生の自然に関する質問の過半は地学に関するものだと聞いたことがある.総合的学習の時間で野外に連れ出すと生き生きとしているという.子供は生まれながらのファーブルであり,子供たちは本来理科や地学が大好きなのである.私がジオパークを日本にもつくろうと言い出した動機がここにある.迂遠だが,子供たちに地学の面白さを伝えることが第一歩と考えたからである(岩松,2007).「地質の日」が始まったのも,やはり同じ目的である.

4.行き詰まり問題

4.1 日本学術会議の現状分析
 将来の地質科学を展望する前に,客観的な社会情勢を見てみよう.私が会員だった当時の第18期日本学術会議(吉川弘之会長)では『日本の計画 Japan Perspective』(日本学術会議,2003)を公表,現在の状況を行き詰まり問題と捉えた.かつて古代文明が人口増加に伴う環境破壊(人口圧)によって崩壊した時,必ず別な地域で新たな文明が勃興した.しかし,更地のフロンティアはなくなり,第一の行き詰まりに到達した.自国市場の狭隘さ,つまり地理的制約である.それを解決するために,植民地再分割を選んだ.世界大戦である.その後も,冷戦期を通じて,東西両陣営とも富とパンを求めて生産力の増強に狂奔した.現在のグローバリゼーションもその延長線上にある.その結果,人類生存の危機が叫ばれるほどの資源制約・環境制約に突き当たり,第二の行き詰まりに直面した.
 狭い宇宙船地球号に更地はない.これからは地球環境との調和を図り,経済活動を自制しながら,100億の人口を養っていく生活様式と技術のパラダイム転換が求められている.自然を操作する人間から,自然の懐に抱かれ,自然に生かされている人間への回帰が求められていると言えよう.
 一口に環境問題というが,単に環境破壊や地球温暖化だけが問題なのではない.内なる環境問題,すなわち,自然に対する感性の喪失もまた問題である.ただし世論調査(内閣府,2008)によれば,モノの豊かさを求める人より心の豊かさを求める人が,1980年頃を境に確実に多くなっている点に救いがある.
4.2 科学技術面から見たパラダイムの変遷
 中山茂神奈川大名誉教授はパラダイムという語を提案したThomas S. Kuhnの直弟子である。中山(2003)は,第1のパラダイムは軍事的跛行の科学技術であり,第2のパラダイムは市場向けの科学技術だったが,求められる第3のパラダイムは地球環境保全の科学技術であると述べている.米国オバマ大統領のグリーンニューディールも恐らくそのことを視野に入れてのことであろう.
 地質学の世界でも同様な認識に至っている.2009年で終わった国際惑星地球年IYPEのスローガンはEarth Science for Societyだった.10挙げられたサイエンステーマの中のかなりの部分が地球環境に関わっていた.
4.3 日本学術会議の提言
 金澤一郎現日本学術会議会長によれば,上述の『日本の計画』を踏まえ,『日本の展望―学術からの提言』を近々採択する予定という.どのような方向が打ち出されるのか楽しみだが,恐らくそのたたき台として地球科学分野から出されたのが,地球惑星科学委員会(2008)の提言『陸域―縁辺海域における自然と人間の持続可能な共生へ向けて』であろう.それによれば,①陸域―縁辺海域地球情報(Geospatial information)基盤の整備を行い,②その基盤を利用して問題解決に向けた研究を強力に推進し,③その研究成果に依拠した政策と教育を実施すべき,としている.①については,われわれ地質地盤情報協議会が先駆的に進めてきたことを強力に後押ししてくれるものである.②については,特に分野横断的な研究の重要性と国際的研究計画との連携を強調している.③については,有限性を踏まえた土地利用・開発総合計画の重要性と地理教育・地学教育・環境教育・防災教育の充実を謳っている.

5.マネー資本主義と「耕す文化」の時代

 インターネットが普及し,情報化時代が到来した.瞬時にして巨額のマネーが国境を越えて飛び交う.金融工学がもてはやされ,それにより巨万の利益が生み出されるという.情報を握るものが勝者になるともいう.本当にそうだろうか.バーチャルは所詮バーチャルであり,格差を広げただけで,トータルとしては,マネーゲームでは新たな富は生み出され得ないし,100億の民も養えない.
 西洋史の故木村尚三郎東大名誉教授は世界史を総括して,「耕す文化」の時代を提唱された.商業で栄えたオランダやポルトガルは,やがて歴史の表舞台から消えていった.商品を右から左へ輸送し利ざやを稼いでいるだけでは何も富を生み出さないからである.それに対し,一貫して第一次産業である農業を大事にしてきたフランスは,今でも世界政治と文化の中枢にいる(木村,1988).文化cultureの語源はラテン語のcultura(耕す)である.この教訓からセカンド・ルネサンスは第一次産業への回帰と主張しておられた.
 なお,第一次産業・第二次産業などと産業分類したのは,Colin Clark(1940)である.彼は第一次産業を自然界に働きかけて直接に富を取得するものとし,農業・林業・漁業・鉱業を挙げた.しかしその後,鉱業は第二次産業に入れる解釈も行われ混乱しているので,ここでは大地に根ざした産業という意味で鉱業も含め「大地の産業Earth industry」と呼ぼう.

6.地的社会の構築

 「大地の産業」が主役の時代,つまり「地的社会」ということになれば,地質学の出番である.
6.1 新資源の開発
 産業革命以降,近代工業が栄えてきたが,原料と動力源,すなわち鉱物資源と燃料資源なくして産業は興り得ない.その両者を担ってきた基幹学問が地質学だった.世間ではオイルピーク論がかしましい.しかし,昔,サウジのヤマニ石油相が「石がなくなったから石器時代が終わったわけではない」と語っていたと,日本を代表する商社にいた友人から聞いたことがある.もちろん,青銅器や鉄器が登場したからである.サウジがアブドルアジズ国王科学技術都市を建設し始めたのも,こうした認識がもとになって,石油を温存するだけでなく,石油に代わる次の一手を模索しようとしているからであろう.
 現在を第二次石器時代と呼ぶ人がいる.ICチップや太陽電池パネルにシリコンが使われているからである.レアメタルやメタンハイドレートなども含め,今後も新資源探査と新素材開発など鉱物科学的先端技術の技術革新が求められている.新エネルギーについても抜本的なブレイクスルーが期待される.
6.2 安心安全への貢献
 安全安心の国づくりにとっても地質地盤情報は欠かせない.言い古されたことだが,しかし,国民には理解されていない.先年,建築の耐震偽装が問題になったが,建物の構造計算が正しくても,地盤が悪かったらその建物は倒壊するのである.阪神大震災の時話題になった震度7の「震災の帯」も第四紀層と基盤の境界部付近のエッジ効果によるという(入倉,2000).この研究を発表された京大防災研入倉孝次郎教授(現名誉教授)から,「こんなにもgeologyが効くとは思っていませんでした」と言われたことを思い出す.関東大震災の時も東京駅は大丈夫だったが,目の前の丸ビルや郵船ビルは被災した.実は一ツ橋→丸の内→芝恩賜庭園と続く軟弱層の埋没谷があり,丸ビルはこの谷筋に当たっていたのである.「震災時帰宅支援マップ」(昭文社,2005)という本が売れている.これは地質コンサルタント会社が関与し,地質情報も加味してつくられている.
6.3 ハードからソフトへ
 この半世紀,地質学を支えてきたのは土木建設産業だった.公共事業に依存してきたのである.昨秋政権交代になり,「コンクリートから人へ」を合い言葉に風向きが変わってきた.現政権を転覆すれば我が世の春が再来するのだろうか.しかし,どのような政権であろうと,ハード万能主義は行き詰まっていた.社会資本の整備はある程度充足してきたし,まして今後は人口減少社会である.その上,高度成長期に建設した各種施設のメンテナンス時期が到来しており,新規事業にこれ以上多額の費用を割けないからである.ハード万能主義からソフト対策に転換せざるを得ない.
 例を挙げよう.抗生物質と耐性菌のイタチごっこは周知の通りである.そこで最近の医学では,菌を殺すことから細菌の無害化の方向へ転換しつつあるという.社会的インフラについても同様である.今まで強引にコンクリート構造物で押さえ込んできたが,今後は自然征服から自然と折り合いを付けて生活する道へ転換する必要がある.自然の摂理をわきまえた地質学の知識,地質地盤情報が「生きる知恵」として重要視されるであろう.
6.3 環境デザイン
 このソフト対策こそ中山茂のいう第3のパラダイム,地球環境保全のための科学技術である.私はそれを環境設計と呼んでいた.バブルの真っ最中1988年のことである.そこでは,「来るべき21世紀には,環境と調和しながらいかに自然を利用していくか,環境設計が重要な課題となる.工学は現在という一時点での最適適応を考えるが,地質学は悠久な自然史の流れの中で現在を捉え,未来を洞察することができる.また,文字通りgeology地球の科学であり,汎世界的な視点も持ち合わせている.こうしたロングレンジの発想とグローバルな視野という地質学の長所が,環境設計に当たっては一番重要になってくる.このような地質学の武器を生かしつつ,環境設計という課題に具体的に対応できるだけの学問内容を創造し,技術革新していかなければならない.それも残された20世紀のこの10年の間に確実にやり遂げる必要がある.そうしてこそ,地質学の存在意義が社会的に高く評価されるであろう.」と述べた.環境「設計」というと,若干,神をも畏れぬ不遜の響きがするので,ミレニアムに開かれた日本地質学会総会シンポジウムの基調講演(岩松,2001)では,自然との共存共栄を念頭においた開発と言い直して,環境デザインなる言葉に替え、「人間と社会のための地質科学」の創造を訴えた(岩松, 2003).もちろん,低炭素社会などいわゆる地球環境問題も重要である.
 なお蛇足ながら,生態学者によると,人間活動は必ず環境負荷を与えるから自然との共生symbiosisなどあり得ないのだそうで,環境省は日本語の「共生」を英訳する時には「調和的共存harmonious coexistence」と言っている.
6.4 農の時代の地質学
 木村(1988)のいう「耕す文化」の時代は,やはり農が中心である.食糧は生物生存の根幹だからである.砂漠も含めて1人当たりの陸地面積は,中石器時代には800haだったが,100億人になる2050年には1.5haになるという.現在でも飢餓状態の人が何億人もいるし,汚れた水が原因で毎年数100万人もの人々が亡くなっている.来るべき世界大戦は水をめぐる争いになるだろうとの不気味な予言もある.したがって,21世紀は農の時代である.戦後の食糧難時代,農林地質学や水文地質学が大活躍をしたが,食料輸入時代になり,最近重要性が忘れ去られているように思う.理学の殻に閉じこもらず,「分野横断的な研究」へもウィングを延ばす必要があろう.地質学には,環境に決定的なダメージを与えることなしに,100億の人口を養う道を提示する必要があるし,土地劣化防止策を開発する義務がある.

7.おわりに

 今後の日本は人口減少社会である.心の豊かさを求め,身の丈にあった生活をしていくことがこれからの道であろう.「大地の産業」に基軸をおいた地的社会が求められているのではなかろうか.地質学はそれを支える基幹学問であり、日本版グリーンニューディール・新産業革命を主導する義務がある。その基礎となるのが地質地盤情報である.地質地盤情報の有用性を国民に認知してもらえるよう,もっともっと普及活動に努力する必要があろう.また,地質調査に関する法律の制定も喫緊の課題になってきたように思う.開発行為をするに当たって,プランニングの段階から地質調査を義務づけると共に地質地盤情報の収集・整備・公開を義務づけるものである.

引用文献

Colin Clark(1940): Conditions of Economic Progress. Macmillan, London, 504pp.
石橋克彦(1994):大地動乱の時代―地震学者は警告する,岩波新書,234pp.
入倉孝次郎(2000):阪神・淡路大震災を起こしたものは何であったのか, 岩波科学, 70-1, 42-50.
岩松 暉(1992):日本の地質学における情報活動,地質ニュース,No.455, 64-71.
岩松 暉(2001):明日を切り拓く地質学―環境デザインと地質学の役割―,明日を拓く地質学, 日本地質学会, 9-26.
岩松 暉(2003):地球環境時代における地質科学
-資源中心の体系から環境中心の体系へ-,日本学術会議運営審議会附置新しい学術体系委員会等報告―人間と社会のための新しい学術体系―, 31-39.
岩松 暉(2007):今なぜジオパークか,地質ニュース,No.635, 1-7.
木村尚三郎(1988):「耕す文化」の時代―セカンド・ルネサンスの道,ダイヤモンド社,253pp.
小菅正夫・岩野俊郎・島 泰三(2006):戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語,中公新書,226pp.
文部科学省(2003):平成15年度小・中学校教育課程実施状況調査.
内閣府(2008):国民生活に関する世論調査.
中山 茂(2003):近代科学技術史上の第三のパラダイム,日本学術会議運営審議会附置新しい学術体系委員会等報告―人間と社会のための新しい学術体系―,75-81.
日本学術会議(2003):日本の計画 Japan Perspective,140pp.
日本学術会議地球惑星委員会(2008):陸域―縁辺海域における自然と人間の持続可能な共生へ向けて,日本学術会議地球惑星委員会, 26pp.
昭文社(2005):震災時帰宅支援マップ.

IWAMATSU Akira (2010): Toward the geoinformation-based society.
* 地質地盤情報協議会副会長・鹿児島大学名誉教授
キーワード:地質地盤情報・地学リテラシー・地的社会
<受付:2009年12月2日>
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連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:2010年3月14日