地質多様性とジオパーク

岩松 暉[(財)環境地質科学研究所 研究年報 第17号,1-5. 2006年4月]


1.はじめに

 近年「生物多様性biodiversity」という言葉が流行っている。産業革命以来富を求めて生産力を極限まで高めていった結果、今や宇宙船地球号は満身創痍となり、人類生存の危機まで招来したからである。このような事態は過去にもあった。黄河文明が栄える以前、黄河周辺は鬱蒼たる森林に覆われ、象やサイなど野生動物の宝庫だったが、文明が栄えるとともにこれらは消滅し、それと共に文明も滅亡の道をたどった。メソポタミアも然り、レバノン杉の森林も砂漠と化した。こうした局地的な文明と異なり、今回は地球規模の環境制約に突き当たったのである。Only One Earthである。別の文明が別の場所に興ることは期待できない。人類も生物の一員、生物多様性を回復することによってしか、繁栄を持続できないのは自明であろう。そこで、生物多様性条約が締結され、1993年発効した。本条約は、
(1) 地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全すること
(2) 生物資源を持続可能であるように利用すること
(3) 遺伝資源の利用から生ずる利益を公正かつ衡平に配分すること
を目的としている(第1条)。
 ではどのようにして多様性を保持したらよいのであろうか。単に貴重種や絶滅危惧種を動物園や植物園に保存しても仕方がない。「その生息環境とともに」と謳っているのはそのためである。

2.生物多様性と地質多様性

 次は宮沢賢治『地質巡検日誌「台川」』の一節である1)
[志戸平のちかく豊沢川の南の方に杉のよくついた奇麗な山があるでせう。あすことこゝとはとても木の生え工合が較べにも何もならないでせう。向ふは安山岩の集塊岩、こっちは流紋凝灰岩です。石灰や加里や植物養料はずうっと少いのです。ここはとても杉なんか育たないのです。]
 「母なる大地」という。生きとし生けるものはすべて大地の恵みを受け、地質条件に規定されて生かされているのだ。詩人であると同時に農民の地学者でもあった賢治はそのことをよく知っていた。
 5万分の1地形図「静岡」で地類を塗り分けてみる。茶畑とミカン園の分布が見事に違うのがわかるであろう。日照や霧の発生しやすさ、潮風の有無などが斜面の向きや海岸からの距離によって微妙に変わるからである。フランスやイタリアでは「ワインと地質」といった本が出版されている2)3)。岩石の風化生成物である土壌や岩石種に規定される水質がワインの味に微妙に効いてくるのだとのことである。海草も同様である。やはり岩石種によって微妙に異なり、それに応じて棲み着く小魚も種類が違うとか。
 もちろん、生物と岩石種との関係のようなミクロの関係だけでなく、マクロにも地質現象は生物界に大きな影響を与えている。プレートテクトニクスによる大陸の配置が気候区を決定づけているのは当然として、例えば、ユーラシアプレートとインド洋プレートの衝突によるヒマラヤ・チベット高原の隆起が東アフリカの乾燥化とモンスーン気候を生み出した。アフリカに生まれた人類の祖先が地上生活を余儀なくされ、アジアへの大移動を開始したのもそのためであるという。世界最大の火山体であるオントンジャワ海台は多数の島嶼を作り出し、その結果ウオーム・ウオーター・プールと呼ばれる高温の海水のよどみができた4)。ここから流れ出した黒潮が湿潤温暖な日本の気候を形成したのである。氷期・間氷期の気候変動はもとより、それに伴う海水準変動が陸橋の消長等々、さまざまな環境変化を生じ、生物界にも決定的な影響をもたらした。更にさかのぼれば、生命の起源そのものも地下深部の割れ目における熱水と岩石・鉱物との相互作用に由来するという。生物にとって文字通り母なる地球なのである。
 このように生物多様性も地質の多様性に規定されている。生物多様性の危機も母なる大地が病んでいることの証左なのだ。もちろん、生物の出現が酸素を生み出し、風化など地質現象にも多大な影響を与えている。生物と地質とが互いに影響を及ぼし合っていると捉えるのが正確である。生物多様性条約が「地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全すること」を第一に謳っているように、生物多様性を保全するためには、同時に地質多様性を保全しなければならない。ヨーロッパやオーストラリアではGeoconservationという言葉もでき、組織的な運動も起きている。しかし、学問分野では学問の細分化による縦割りの弊害が強く、一面でしか物事を見てこなかったきらいがあった。地質多様性geodiversity, geological diversityという言葉すらなかった。1991年頃国際会議で使われ始めたらしいが、最近になってようやく、M. Gray(2004)の"Geodiversity: Valuing and Conserving Abiotic Nature"が上梓された5)。彼は、地質多様性を「岩石・地層・鉱物・化石・土壌・地形および物理過程など自然の多様性」と定義している。Burek(2001)は、「地質多様性は生物多様性を下支えする」と簡潔に述べた6)。また最近、イギリスでは英国自然局(English Nature)の提唱でLocal Geodiversity Action Plan(LGAP)というプロジェクトも進行しており、各州でアクションプランが策定されている。同局のパンフレットでは「岩石・化石・鉱物・地形・土壌、さらには景観を作り出す自然過程の多様性」と定義されている。なお、これに近縁の学問分野として地生態学(geoecology)がある。地生態学とは、景観を構成する地形・土壌・気候・地質・水文環境・動植物や人間活動などの相互作用を明らかにし、景観の構成要因を分析するものである。わが国では横山秀司(2002)「景観の分析と保護のための地生態学入門」といった書物も刊行されている7)

3.日本における地学的自然

 翻ってわが国の自然を見回してみよう。里山やせせらぎのあった丘陵地は削られて住宅団地と化し、沿岸低地や湿地は埋め立てられてコンビナートになった。渚はコンクリート護岸になり砂浜は姿を消した。地質学的に貴重な露頭など地質遺産も次々に消失してしまった。列島改造である。首都圏に人口の半数が住むという極端な一極集中が進み、日本人の多くはコンクリートジャングルに住んで自然とは切り離された生活を送るようになった。教育における理科離れ・地学離れとも相俟って、地学的自然に目を向ける人はほとんどいなくなってしまった。そのため、自然とのつき合い方を知らない人が増えている。利便性のためにはどのような人工改変も厭わない人がいるかと思えば、一木一草たりとも傷つけてはいけないといった環境原理主義者もいる。これらはどちらも極論で、これだけの人口を養うためには自然に手を付けざるを得ない。自然に手を加えれば不可避的に反作用が出てくる。メリット・デメリットを冷静に科学的に評価し、長い目で見て後世の批判に耐える判断をしなければならない。すなわち、自然に逆らわず、自然のしくみを巧みに利用し、人間と自然との調和的共存(harmonious coexistence)をはかるのが本当であろう。たとえば、里山や棚田も人間の手が加わった景観だが、何百年もの年月を経てなじんだものであり、近自然と言ってよかろう。日本人の大半が都会人となった今、自然とのつき合い方を学ぶにはどうすればよいのであろうか。
 都会人が自然に親しむには近くの国立公園に出かけたりするのがもっとも手っ取り早い。最近は農家にホームステイするグリーンツーリズムなども登場している。2003年自然公園法が改正され、国立公園には「従来の風景保護」に加え、「生態系の保全と野生生物保護の機能」が付け加えられた。それはそれで大変結構なことだが、反面、生物に偏した利活用が助長されてしまった。ビジターセンターを訪れても高山植物や野鳥・野生動物の解説ばかりで、地学関係の展示や遊歩道の看板も数が少ないだけでなく誤りも多い。圧倒的に多くの国立公園が地学的理由で選定されているのに、である。国立公園でも地学教育の側面にも力を入れて欲しいが、実際には生物系の人に偏った人員配置が行われており、急速な改善は難しい。やはり、地学教育・地質景観の保全を正面に据えたジオパーク(geopark)をわが国にも設置し、その経験を既存国立公園にも及ぼして行くのが現実的と思われる。グリーンツーリズム同様、ジオツーリズムも盛んにしたい。こうした流れの中で日本人の地学リテラシーが高まれば、貴重な地質遺産保全の動きも現実化するに違いない。今後わが国にもぜひジオパークを設立したいものである。

4.ジオパーク

 それではジオパークとは何か。屋久島が世界遺産に指定されて以来、世界遺産(World heritage)は世に知られるようになった。このジオパークも同様なユネスコのプロジェクトである。1997年に"UNESCO Geopark Programme"として提唱され、2004年2月パリのユネスコ本部で、「ユネスコの支援を受けるための国立ジオパーク運営ガイドライン(Operational Guidelines for National Geoparks seeking UNESCO's assistance)」が定められた8)。ここでユネスコはジオパークを次のように定義している。
ユネスコのジオパークは
①地質学的重要性だけでなく、考古学的・生態学的もしくは文化的な価値もある1ないしそれ以上のサイトを含む地域である。
②持続可能な社会・経済発展を促進するための経営計画を有する(例えばジオツーリズム)。
③地質遺産を保存・改善する方法を示し、地質科学や環境問題の教育に資する。
④公共団体・地域社会ならびに民間による共同行動計画を持つ。
⑤世界遺産の保存に関する最善の実践例を示し、持続可能な開発戦略へ融合していく国際ネットワークの一翼を担う。
 2004年6月には第一回世界地質公園大会(First International Conference on Geoparks)が北京で開かれた。なお、中国ではgeoparkを文字通り地質公園と漢訳している。この会議でユネスコ地球科学部門のF. W. Eder氏は次のように述べている9)
ユネスコの支援するジオパークは次のことを行う:
①次世代のために地質遺産を守る(保全)
②地質景観や環境問題について広く大衆を教育し、地質科学に研究の場を提供する(教育)
③持続可能な開発を保証する(旅行:ジオツーリズム)
 こうした方針に基づいてユネスコは2度にわたり世界ジオパーク(World Geopark)を認定した。2005年5月現在、次の33個所である。中国やドイツなど当初からジオパークプロジェクトに熱心な国が多く認定されているようである。
中国
廬山Mount Lushan Geopark
五大連池Geopark Wudalianchi
嵩山Songshan Geopark
雲臺山Yuntaishan Geopark
丹霞山Danxiashan Geopark
石林Shilin Stone Forest Geopark
張家界Zhangjiajie Sandstone Peak Forest Geopark
黄山Huangshan Geopark
雁蕩山Yandangshan Geopark*
泰寧Taining Geopark*
ヘシグテンHexigten Geopark*
興文Xingwen Geopark*
イギリス
North Pennines AONB Geopark
Abberley and Malvern Hills Geopark
Marble Arch Caves & Cuilcagh Mountain Park
North Western Highlands, Scotland
アイルランド
Copper Coast
フランス
Reserve Geologique de Haute Provence
Rochechouart Chassenon Astrobleme
Park Naturel Regional du Luberon
ドイツ
Nature Park Terra Vita European Geopark
European Geopark Bergstrasse-Odenwald
Vulkaneifel European Geopark
Schwabische Albs
Harz-Braunschweiger Land Ostfalen
Mecklenburgische Eiszeitlandschaften
オーストリア
Kamptal Geopark
Nature Park Eisenwurzen
イタリア
Madonie Natural Park
Rocca di Cerere Cultural Park
スペイン
Maestrazgo Cultural Park
ギリシア
Petrified Forest of Lesvos
Psiloritis Natural Park
 これら既存のジオパークを概観してみると、構造山地や石灰岩の浸食地形、化石・資源・火山など地学現象が全体としては網羅されている。敢えて言えば、中国の世界地質公園は風景の美観、宗教・歴史の観点を重視しながら既に人口に膾炙されている行楽地などが多く選択されているようである。一方、ヨーロッパのジオパークは、当初、地学的要素が重視されていたが、最近はジオツーリズムが重視され、宿泊・食事・エンターテイメントなどの設備が整っていることが優先されているようだ。

5.おわりに

 本研究所の名称は環境地質科学研究所である。最近の環境地質学は、従来の地質学(固体地球科学)が等閑視してきた地下水などの水問題や土壌地下水汚染、さらには廃棄物などの社会的に注目されている分野に焦点が集中しているように見える。地質景観や地生態、地質多様性にも目を向けて欲しいと思う。本研究所の研究領域がそのような方向にも広がり、ジオパーク設立運動の学問的バックボーンになることを願って筆を置く。

参考文献

  1. 宮沢賢治(1922頃?):地質巡検日誌「台川」 新修宮沢賢治全集第14巻, 筑摩書房, 1980
  2. Johnson, H. & J. Wilson (1988): Terroir: The Role of Geology, Climate, and Culture in the Making of French Wines. Wine Appreciation Guild; 1st edition.
  3. Cita, M. B., S.Chiesa, R. Colacicchi, G. Mirocle Crisci, P. Massiotta & M. Parotto (2004): Italian Wine and Geology. 32nd IGC.
  4. 平朝彦・徐垣・末廣潔・木下肇(2005):地球の内部で何が起こっているのか? 光文社新書214,277pp.
  5. Gray, M. (2004): Geodiversity: Valuing and Conserving Abiotic Nature. John Wiley & Sons, 434pp.
  6. Burek, C.V.(2001): Non-geologists now dig Geodiversity, Earth heritage, (16), 21
  7. 横山秀司(2002):景観の分析と保護のための地生態学入門,古今書院,286pp.
  8. http://www.worldgeopark.org/Official% 20Documents.htm
  9. F. W. Eder:The Global UNESCO Network of Geoparks. Proceedings of the First International Conference on Geoparks, pp.1-3, 2004-06

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更新日:2006年4月30日