ジオの復権

岩松 暉(SRC Report No.282, p.1-2, 2008)


 今、文科省教科調査官の発言が波紋を呼んでいる。ある集会で「地学を解体すべきという意見は大変強く、今回の改訂で地学の履修率が伸びなければ、その次は確実に解体されると考えられる」と述べたらしい。今回の改訂とは2013年頃予定されている高校指導要領改訂のことである。学力低下を受けて、現在の理科2科目選択から3科目選択になるという。地学にとっては最後のチャンスだから、地学関連のコミュニティーでがんばって欲しいとの文脈の中で発言したようだ。しかし、現実は厳しい。地学教員の採用が永年手控えられてきた上に、団塊の世代退職と「情報」の必修化が時期的に一致したから、地学教員退職後の情報科教員への振替採用が確実視されているからである。今以上に、地学を開講する学校が少なくなるに違いない。
 一体これでよいのであろうか。21世紀は地球環境の時代と呼ばれ、今年の洞爺湖サミットでも環境問題が中心的な議題になると言う。環境というとすぐエコを連想する人が多い。エコは生態学ecologyという意味だが、もはや日本語になった。エコツーリズム推進法(2007年6月制定)といった法律名にすらなっており、日本では完全に市民権を得ている。一方、ジオと言われてもわかる人はほとんどいないし、地質を「じしつ」と発音し、布地のことと勘違いする人さえある。ジオが地球環境と深く関わることを理解している人も皆無に近い。当NPOも環境基金などに助成申請を出したとき、ジオは関係ないと門前払いを食らったことがある。
 しかし、外国とくにヨーロッパでは見直しの機運が出ている。リオの地球環境サミットを受けて、1993年生物多様性条約が締結された。生物多様性を守ることは、絶滅危惧種を動物園や植物園で飼育・栽培したり、精子や種子を冷凍保存したりすることではない。条約の第1条において、「地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全すること」を第一に謳っているのはそのためである。生物多様性biodiversityを守るためには、基礎となる地質多様性geodiversityを守らなければならないのである。そこで、ヨーロッパではこの地質多様性を守る運動が盛んになり、イギリスではアクションプランまで策定されている。ユネスコのジオパークもこの延長線上にある。
 地質と生物が密接に関わっていることは登山家ならたいてい知っている。お花畑のあるところとないところは地形地質が異なっているからである。北海道で言えば、アポイ岳の蛇紋岩植生が良い例である。蛇紋岩がマグネシウムに富むことに起因して特殊な植物群落が発達したのだ。東京ワイン専門家協会会長の吉田照雄氏によると、ブドウは10mも根を深く張るため、土壌や基盤岩石の影響を強く受けるという。氏のレストランにはフランスのワイン産地の岩石が陳列してある。イギリス地質調査所は"Whiskey on the Rocks"という本も出版している。やはり、スコッチと地質は関係があるのだそうだ。もちろん、地下水もまたお酒と関わりが深い。灘の生一本は六甲花崗岩由来の水を使用している。
 さて、災害は環境問題よりももっとジオに関係がある。わが国は活変動帯に位置している。日本海溝から仰ぎ見れば、10,000m級の大山脈の八合目にわれわれは生活しているのだ。若い変動帯ゆえに当然地震活動も活発で、地震災害や津波災害にしばしば見舞われる。活火山も多く、噴火災害も頻発している。同時に、若い変動帯とは地殻変動の活発なことを意味する。地質構造が複雑で活断層も多い。この200万年以降日本列島の中央部は2,000mも隆起し、険しい山岳地帯を形成した。北アルプスには世界一若い花崗岩すら露出している。「出る釘は打たれる」の原理で、地すべりや山崩れなど浸食作用が活発である。しかも日本列島は南北に細長いから、河川は急流が多く暴れ川である。当然、土石流や洪水も多い。また、地質的に若いから軟岩や軟弱地盤も多く、地すべりや地盤沈下の素因となっている。一方、日本列島はまたアジアモンスーン地帯に位置している。台風の通路になり、梅雨前線が停滞しやすい。冬にはシベリア寒気団が日本海を渡ってたっぷり水分をもらい豪雪をもたらす。したがって風水害や雪害も多い。いわば日本列島は災害列島と言ってよい。とくにわれわれ日本人はジオを忘れてはならないのである。
 しかるに今、ジオは一般の人にとってどうでもいい存在なのではないだろうか。先年耐震偽装が話題になったが、上物の構造計算だけが問題になって肝心の地盤にはメディアも何の関心も払わない。北海道の旭山動物園が閉園の危機に見舞われたときの状況と、今のジオをめぐる状況は同じように思う。ジオは自分たちの生活に必要不可欠なものだと一般の人々に認知されなければ明日はないのだ。地球上に住む以上、地学は必要だなどと密かに自負するだけではダメである。それは閉園ならぬ学問の消滅へとつながっていく。旭山動物園は展示方法を一変し、動物の凄さを実感してもらうディスプレイを行うとともに、飼育員による解説やペンギン散歩などを取り入れ、今や入園者数は上野動物園を超したという。ジオのコミュニティーも、産学官協力して、何らかの行動に打って出る必要がある。幸い、今年は国連国際惑星地球年のコア年である。国際的にも地球科学にスポットライトが当たる年になった。チャンスである。そこで、わが国でも「地質の日」を制定して、ジオをアピールしようとしている。この「地質の日」5月10日は、ライマンがわが国最初の着色地質図「日本蝦夷地質要略之図」を発行した日だという。北海道と関わりが深い。貴組合も何ならかの形でジオの復権に力を貸していただきたい。それをお願いして筆を置く。

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更新日:2007年月日