岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

戦争と私 2


『牛女』

 「あなたにとって一冊の本とは?」と聞かれると,躊躇なく『牛女』と答える。大学教員は難解な哲学書や専門書の古典を挙げて,人生や学問を論じたりするのが普通である。聞き手はケゲンな顔をする。最近の学生は著者どころか,この本の名すら知らない。実は本といえないような10ページに満たない短編童話である。作者は小川未明,私と同郷新潟の出身である。
 『赤いろうそくと人魚』をはじめ,未明童話は哀しくも美しいロマンチシズムあふれる作品が多い。未明が日本海側で育ったせいなのではないかと思う。太平洋には朝日が昇る。水平線に一点赤みがさしたかとおもうと,みるみるうちにあたり一面カーッと明るくなる。「今日も天気だ。さあ,がんばるぞ」と希望がわいてくる。日本海には夕日が沈む。黒々と横たわる佐渡ヶ島のシルエットに向かって赤い大きな夕日が沈んでゆく。燃えるような朝日の赤とは違った,どこかさびしいあかね色。薄黒の海に赤いじゅうたんの道がどこまでもどこまでもゆらめき続く。この道をまっすぐに行けば,夕日のかなた西方浄土とかに住む母に会えるかも知れない。子供の頃そんな気になって,夕日に向かって泳いだことがある。突然,赤い道が消え一瞬まっくらになる。日が沈みきったのだ。真黒な海,大空いっぱいのにぶい灰色の雲がおそいかかる。人間の小ささを思う。太平洋文学は,自然の偉大さをたたえ,人間讃歌を歌う。日本海文学は,自然を畏怖し,人間の哀しさ暖かさを歌う。私も未明も共に日本海人の血が流れており,共感するものがあるのであろう。
 未明童話のうち,私はとくに『牛女』に引かれる。牛女は,性質のやさしい唖の大女で,一人息子があった。死後も西の雪山に現われ,子供の成長を見守った。息子が大人になり,りんご園を始めると,こうもりとなって害虫を退治した,というあらすじである。なぜこの話が私の心をうつのかというと,それにはわけがある。話は戦争直後にさかのぼる。
 戦前,私たちは台湾に住んでいた。父が抑留されたため,昭和21年3月,母と姉と私と3人で父の実家のある新潟県古志郡栃尾町に引き揚げてきた。当時,姉が小学校5年,私が1年だった。食べ盛りの子供を女手一つで育てるのは大変である。しかも,戦後の混乱期,食糧を入手することすら難しい。知り合いのいない土地で,農家を一軒一軒訪ねて米と着物と交換してもらう。しかし,持って帰れたのは一人行李1つの身の回わり品と現金1,000円だけだから,売り食いの種もすぐ底をついた。食べれるものは何でも食べた。母はお針と編み物の内職を始めた。もともとあまり丈夫でなかった母にとっては,ずいぶんきついことだったであろう。その上,実家には姑の他に,伯母とその子供たち6人,叔母1人の大世帯が同居していたから,その精神的負担も大変である。嫁の座が確立していたのならともかく,後から厄介者としてころがり込んだのだから,その苦労が察せられる。小川で洗濯をしながら,そっと涙をふいているのを見たことがある。半年ほどして,内職の届け物の途中道端で倒れ,そのまま帰らぬ人となった。初冬の寒い夜のことである。姉と二人残された。父はまだ帰らない。
 間もなく守門山に初雪が降った。県境の山々の中でもひときわ抜きんでた秀麗な火山である。台湾育ちのわれわれにとって,生まれて初めて見る雪,刈谷田川の土手まで二人で見に行った。その時,文学少女だった姉から『牛女』の話を聞いた。「きっとお母さんもあの守門山に現われ,私たちを見守ってくださるでしょう。悲しいことがあったら,あの山を見ましょうね。」という。原作の牛女は真っ白な雪の上に黒く浮き出して見えるのである。しかし,私には守門山の上にかかる白い雲が母に見えた。本当に見えたのである。牛女は雲の形になって現われると,ずーっと思い込んでいた。
 やがて父が帰国。その後,再婚して札幌へと転居した。それからは,台湾の話と亡き母のことはタブーになった。母が恋しくなると,こっそりとりんご園に行き,雲をながめた。それでも幼かった私は新しい母にすぐなつき,あまり母のことを思い出さなくなった。しかし,思春期の姉は容易になつかず,亡き母の詩や台湾の楽しかった生活をノートに書きつけていた。その姉ももういない。今では雲を見ると心のきれいだった姉のことを思い出す。人の心のいたみがわかる人間になりたいと思う。
 母は直接戦争で死んだわけではない。しかし,戦争がなければ,夫のもとで幸せに暮らしていけたはずである。伯母たちも,食糧難の時代,精一杯われわれの面倒をみてくれたのである。ギクシャクしたのも貧困のなせるわざ,時代のせいといえよう。第一,伯母自身満蒙開拓団で夫を亡くしている。戦争の影響は広く深い。みんな犠牲者だったのである。軍拡が声高に叫ばれている昨今,何としても戦争に反対しなければと思う。

(1985.9.22 稿)


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更新日:1997年8月19日