岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

大学・学問・学生 8


学問と常識

 大陸移動説は,今では子供の教科書にも載っており,世間の常識になっている。しかし,私の子供の頃は,「昔々,大陸が動くなどと荒唐無稽なことを言った人がいた」と笑話として聞いたものである。コペルニクスを持ち出すまでもなく,科学はその時代の常識を乗り越えて進んで行く。
 かつて故西田彰一先生が新潟大学を退官されるときの最終講義で,次のようなお話をされた。
 「私の40年に及ぶ長い研究生活の中で慚愧に堪えないことが二つあります。一つは満州時代,上役から飛行機で撮った写真を地質調査に応用できないかやってみたらどうか,と勧められました。とんでもない,地質調査とは足でかせぐもので,この手で石をたたき,この目で鑑定するものです。写真なんかで地質がわかってたまりますか,と言下に断りました。今のように空中写真地質学やリモートセンシングの隆盛を見ると,先見のなさを恥じます。もう一つも,やはり中国のことです。現在,大慶油田が脚光を浴びていますが,実は私も同じ場所を調査したことがあります。当時の常識にとらわれ,石油は海成層から出るものと思い込んでいましたから,こんな陸成層から石油が出るとは露思いませんでした。」
 この率直なお話は聴衆に深い感銘を与えた。今ここで石油のでき方についてもう少し詳しく見てみよう。当時の常識は次のようであった。まず,大量のプランクトンの遺骸が静かに静かに沈殿し,腐泥が溜まるような還元環境におかれた。このようなヘドロが続成作用を受け,黒色頁岩いわゆる油母頁岩になる。地下深く埋没すると,熱と圧力によって有機物から石油が醸成される。油は水より軽いから,上方へ,つまり若い地層のほうへ移動して行く。そこに不透水層があると,移動を停止して溜まることになる。この不透水層を帽岩という。さらに,背斜構造のような油を溜めやすい構造があると,もっと好都合である。石油が溜まっている場所をトラップといい,砂岩のように多孔質なものが,良好な貯留岩となる。
 しかし,このような常識は最近大きく書き換えられている。石油根源物質であるケロジェンは,化学的にC,H,Oを主とする高分子有機物で,海成のものと湖成のものとある。高分子有機物であることが重要なのであって,海成であることが必要条件ではなかったのである。また,静かな還元環境が絶対条件と思われてきたが,ナイジェリアのようなデルタ地帯にも産出しており,厚い多量の堆積岩があればよかったのである。熱も埋没によるものばかりではなく,火成活動によるものであっても差し支えない。いやそれどころか,産油地帯と火成活動の場とは密接な関係にある。また,貯留岩も砂岩ばかりでない。中東の大油田は石灰岩貯留岩のところが多い。もちろん,多孔質な石灰岩もあるが,堅硬緻密なものでも,節理などの割れ目に胚胎している。溶岩からでさえ産出している。要するに,透き間があればよいのであって,砂粒と砂粒の間である必要はない。石油の移動も古い地層から新しい地層へ移動するばかりではない。勃海湾では,新第三紀層中に突出した古生層の地塁がトラップになっている。古生層というとびっくりするが,やはり単に上方に移動しただけである。
 結局,石油は材料である有機物が加熱熟成されたもので,間隙の多い地層に溜まれば油田になる。産油地帯とはそうした条件が整ったところである。後になって考えれば,いずれも至極当たり前の話で,まさにコロンブスの卵,何の変哲もない。
 この石油の例でもわかるように,当時の常識には,本質的に重要な点も含んでいたが,個別具体例に伴う非本質的な点も紛れていたのである。そこを見抜き,何が基本的に重要であるか洞察することが大切である。どうしたらそれができるであろうか。逆説的ではあるが,物事をあまり難しく考えず,極く常識的に考えればよいと思う。今の例でも,その時の常識からすると,大変非常識に思えるかも知れないが,もう一段高いところから見れば,極めて常識的である。地質屋は複雑な自然を相手にしているため,ややもすると複雑なものを複雑なまま記載して満足し,本質的なものを抽象する努力を放棄しがちである。私は,「自然は一見非常に複雑に見えるが,本来は意外と規則的である」と信じて,一応自然を見てみることにしている。もちろん,色眼鏡で自然を見てはいけないが,予断と偏見だということをわきまえている分には,別の視点から物事を見ることはよいことだと思う。さらに言えば,規則的ということは,突き詰めて行けば数式にのるということであり,抽象の極致は数学である。定性の重要性を否定するものではないが,定量の努力をもっともっとする必要があるのではないだろうか。

(1986.5.31 稿)


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更新日:1997年8月19日