岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

大学・学問・学生 17


「青春」異変

青春とは人生のある期間ではなく,心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し,紅の唇,しなやかな肢体ではなく,
たくましい意志,ゆたかな想像力,炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは怯懦を退ける勇気,安易を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには,20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

 サムエル・ウルマンの「青春」という詩の冒頭部分である(作山宗久訳)。ここ1・2年,財界トップに大いに愛唱されているという。経済界では,よく企業人のバイブルなどと,特定の本がもてはやされ流行することがある。もはや戦後ではないと言われた昭和30年代は『徳川家康』が,高度経済成長期には孫子の『兵法』が流行った。その時その時の社会経済情勢を反映していて面白い。戦後の混乱期は群雄割拠の時代であり,信長・秀吉の時代である。その戦いを勝ち抜き成長してきた大企業を維持発展させるためには,信長型ではなく家康型の処世術が重要だったのである。高度成長の目まぐるしい時期には,方向を見誤ると激烈な競争から落後してしまう。兵法が必要な所以である。
 それでは今なぜ「青春」か。なぜ財界人の心をとらえたのだろうか。これからは高齢化社会,まだまだ自分たちは若いんだ,トップの座は譲り渡さないぞ,との心情を示していると説く人もいるが,どうも皮相的過ぎていただけない。今は低成長の時代,主力商品をひたすら売りさばいていた時代とは違う。新日鐵がバイオ産業に手を出し,トヨタが住宅事業部を設ける時代である。どこの企業も生残りをかけて多角経営に乗り出し,コングロマリット化をはかっている。新たな分野への転進にはまさに「冒険心」が要求される。それを担うのは次の世代の若者である。ところが後事を託すべき若者たちが何とも頼りない。彼等トップはモーレツ社員・仕事人間の世代,彼等から見ると,これでも青年なのかとイライラしているに違いない。そこで,青年たちに“Boys, be ambitious!”と訴えたくて,このウルマンの詩を社長訓示や年頭所感等にしばしば引用するのであろう。
 新人類・無気力人間・モラトリアム人間なる語が登場したのは数年前である。最近の学生はおとなしくなって無気力になった,幼児化して社会に出るのを怖がり,大学でのモラトリアム生活をいつまでも続けようとしている,といった学生を中心とした現代若者論だった。この頃はもっと病的になり,キャンパス症侯群なる語まで生れている。1学年20数人の小さなわが学科でさえ,登校拒否症や果ては鬱病が1割程度毎年のように出る。指導教官は家庭や保健管理センターとの連絡に追われる。大学生は一人前の大人,大学はPTAと無縁だったはず。こんなことで消耗するとは,鳴呼。
 彼等は幼少のときから孤独である。兄弟が少なく鍵っ子が多い,友達と自然の中で時間を忘れて遊びほうけた経験がない。もちろん,ひたいに汗することも知らない。プラモデルを作るかファミコン相手,いずれも一人遊びである。家では教育ママに尻をたたかれ,学校では校則や体罰教師にがんじがらめに管理されて,受験競争に勝抜くことだけを至上命題に,目隠しされた馬車馬のように他律的に走らされ続けてきた。友人も蹴落とすべき競争相手でしかない。したがって,チームワークが組めない。学問の楽しみ,知る喜びなどは皆無,入試突破の必要悪である。当然,大学に入ると解放感に浸り,大学はレジャーランドと化す。卒論のように敷かれたレールのないことをやらせると,手も足も出なくなる。功利的で拝金主義,モノしか信じないから,ブランドもののグッズを追う。セックスはできても恋愛はできないらしい。
 今日,この世代が企業に進出していったのである。先日もある財界人から,最近の新入社員は,命令しなければやらないし命令したことしかやらない,リモコン人間だ,これではわが社の将来を託すわけにはいかないと嘆かれたことがある。当然のことながら,こうした人種はチャレンジ精神どころか勤労意欲もない。財界は批判的精神を持たない従順な労働力を欲した。その意を受けた文部省による徹底した管理主義教育の見事な成果が新人類なのである。自業自得というべきか。
 しかし,遅まきではあるが気がついたことはよいことだ。考えてみると皮肉なことに,モーレツ社員・仕事人間・会社人間は戦後民主教育が生み出したものである。指示待ち人間でなく,自らの頭で考え行動する人間が,戦後の荒廃の中から,今日の世界に冠たる工業国を築いてきたのだ。今の青年は青春を主張する術さえ知らない。まさに若年寄りである。

 ウルマンは唄う。

人から神から美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

 我々の世代のつとめは,青年に夢を与えることであり,希望を説くことだ。「青春」ブームが単なるお説教に終わることなく,真に創造的な青年を育てる体制を築いて欲しい。成功した暁には猿まね日本から頭脳でも文化でも世界をリードできる日本が誕生するであろう。

(1989.9.17 稿)


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更新日:1997年8月19日