岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

大学・学問・学生 12


ブルーカラー

 ある企業のトップとお話する機会があった。話題が入社試験に及んだとき,「語学はともかく,なぜあんな一般教養の試験をするんですか。卒論の発表でもさせたほうがいいのではありませんか。」と,お聞きしてみた。おおよそ次のような返事であった。
 仕事に必要な技術や知識なら,入社後の研修で教えればよい。大学の3・4年次専門学部で教えたことぐらい,1年間の研修で十分たたき込むことができる。学生時代のようにさぼることもできないし,怠ければクビになるから,みんな真剣に勉強する。
 では,大学は不要で,高卒を仕込めば同じかというと,そうではない。もっと広い見識と厚みが欲しいのである。十年一日のごとく同じ仕事をしていたのでは,この激烈な競争社会で企業は倒産する。低成長下では尚更である。新しい分野にどんどん挑戦し開拓していく,チャレンジ精神と創造性を持った人物でないと,企業の将来を託すことはできない。こうした能力は一朝一夕に養成できるものではなく,ピラミッドの裾野のような広いバックグラウンドがあってこそ可能になる。この点で,大学卒にはまだ一日の長があると言ってよい。  また,最近は企業の国際化が著しい。地質関係も例外ではなく,外国での仕事が増えている。ある発展途上国の仕事を取ろうと社員を派遣し,政府高官と折衝させた。オフイスでの仕事の話はうまくいったが,その後のラウンジでのお茶のみ話で馬脚を現わした。その国の歴史・民俗・文化といったことに,高校世界史や地理で教わった程度のことも知らなかったからである。日本で平安文化や江戸文化が生きているのと同じように,その国でも古い文化が今も息づいている。相手国の文化に対する無知は,経済大国日本の不遜と受け取られた。また,どうして日本が敗戦後の廃虚の中から今日の超一流国になったのか,とくに発展途上国の人には興味深いらしい。そこで,日本についていろいろ質問してくる。ところがここでも底の浅さを暴露した。結局,あの会社は,自分のところにブルーカラーをよこした,失礼千万である,ということになってしまった。発展途上国では,政府の役人は教養のあるエリート中のエリート,すっかりご機嫌をそこねてしまって,商談がフイになったそうである。英会話の達者な者を選んだのだが,問題は会話の中身だったと,頭を掻いておられた。
 英語といえば,少し古いが,ある石油会社の方からこんな話をお聞きした。
外国で石油を掘るためには,まず有望なところの鉱区を買わなければならない。メジャーはドルの札束で広く買いまくる。日本の会社は,そんなことはできないから,できるだけ有望なところを重点的に買う。のんびりと地質調査をしていたのでは,その間にメジャーに先手を取られて買い占められる。結局,文献と空中写真判読だけで,有望鉱区を短期間に選定しなければならない。地質屋としての総合的判断力がものを言うが,その前に文献を斜め読みできる語学力が要求される。会話だけなら外国に一年くらい放り出せば,誰でもできるようになる。文盲だって会話はできるのだから。しかし,文献を読みこなすのはインテリにしかできない。そうした知的な力は即席には身に付かないから,大学で大いに鍛えて欲しいとのことだった。
 最後に,アフリカで水井戸を掘った話を聞いたことがある。現地は気候が苛酷なばかりでなく,人手も資材もすべて不足気味である。日本で仕事をしているのなら,機械の調子が悪ければ,メーカーを呼べばよい。部品がなければ,電話一本で届けてくれる。しかし,アフリカの奥地ではそうはいかない。現地のあり合わせのものを使って工夫し,何とか仕事をやり上げてくる人と,部品送れの電報と共に,現地の役人の官僚主義や物資不足をこぼしてよこす人とがある。どちらが企業の望む人間像かは自明であろう。
 こうしてみると,企業が大学卒にどんな人材を求めているか,はっきりしてくる。無論,企業の要求に直接的に答えるのが大学教育の目的ではないが,ここに述べた点は,少なくともわれわれのめざすものと一致する。人間は自分の持つバックグラウンドから少し離れた未知のことには興味を示すが,あまりにかけ離れていると,逆に拒絶反応が出てくるそうである。したがって,バックグラウンドの広い人は新しいことに挑戦し,そのことによって益々自己のバックグラウンドを広げて行く。反対に尻込みした人は,益々狭い殻に閉じこもる。かつて職業教育の充実が叫ばれ,職業高校を大量に作った時代があったが,結局失敗に終わったのは,その卒業生が技術革新についてこれなかったからである。だから大学時代は幅広くいろいろなことを学ぶべきである。直接役に立つことはなくても,みんな肥しになる。もちろん,クイズ博士的な博識であれ,と言っているのではない。専門については,当然,深い学識が必要である。自分の陣地が強固でなければ,外へ討って出ることはできない。また,単に知識が豊富だけではダメで,未知に挑戦するファイトと創造性も要求される。大学で卒論が課され,研究のまね事をさせるのはそのためである。

(1986.8.23 稿)


ページ先頭|地質屋のひとりごともくじへ戻る
連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1997年8月19日