岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

山を見る・山と語る 10


[書評] 藤田至則著 『日本列島の成立[新版]環太平洋変動』

 かつてhorizontalist(mobilist)とverticalist(fixist)との激しい論争があった。ちょうど20年ほど前のことである。若い人のために解説しておくと,前者はカナダのTuzo WILSONを旗手とした主として西欧の人たちであり,構造運動は基本的に水平移動だとするするもので,マントル対流説・大洋底拡大説に始まり,プレートテクトニクスを生んだ。後者は,垂直方向のブロック運動を基本と考えるV. V. BELOUSSOVを中心としたソ連圏の人たちである。
 著者はわが国における後者の学派の代表格であった。グリンタフ地域に見られる陥没盆地の地質を克明に調べ,垂直昇降説に基づく造山論を提唱した。その成果が旧著に集大成されている。1973年のことであった。今回の新版は,著者の新潟大学定年退官に当たって全面的に書き下ろした改訂版である。しかし,旧著の副題にあった「グリンタフ造山運動」の文言が消えて「環太平洋変動」に変わっていることが示すように,新第三紀以降の日本列島における構造運動にとどまらず,垂直昇降による地向斜〜造山運動の一般論を展開している。
 著者によれば,環太平洋変動とは三畳紀から現在に至る太平洋周辺の島じまや大陸縁辺部にかけて発生〜発展した地殻変動の体系である。この変動は前半の広島変動と後半のグリンタフ変動に大別されるが,前者はさらに白亜紀初期までの広島地向斜と白亜紀初期から古第三紀にかけて進行した広島変動に区分され,後者は新第三紀のグリンタフ変動と鮮新世以降の島弧変動に区分される。
 本書はこうした時代の順序によらず,著者が直接調査した事実に基づいて提唱したグリンタフ変動と島弧変動をまず解説し,最後にこれらから帰納した形で環太平洋変動を論じている。あくまでも日本列島というフィールドで観察された事実に基づいて理論を構築しようとしてきた著者の姿勢がここにも反映している。
 T章のグリンタフ変動では,日本各地で見いだされた火山性陥没盆地について,マグマ溜りの膨張→隆起→深部断裂→多角形陥没→火山活動→堆積→円形陥没といったメカニズムを論じている。U章の島弧変動では,鮮新世以降の日本列島が陥没と撓曲を繰り返して現在の島弧や海溝の姿をとるに至った様子を描いている。また,火山の雁行配列や陥没カルデラの成因についても論じている。最後のV章では,上記をさらに敷衍して環太平洋変動帯のアルプス期の変動をすべて垂直昇降運動で一元的に説明する壮大な仮説を掲出している。なお,この環太平洋変動の仮説は,いわゆる地向斜〜造山帯の狭い範囲における変動だけでなく,その背後の大陸側台地の地窪型変動までも含めて統一的にとらえるところに特徴があり,すべてをマントル上部のマントル溶融体が地殻に及ぼす隆起によって生じたとした。なお,日本海など縁海の成因についてもやはり巨大陥没盆地として説明している。
 評者は,陥没盆地の存在を事実と認めるのにやぶさかではないが,すべての堆積盆地を陥没だけで説明するのは無理があり,まして時代的にも空間的にも広げて環太平洋に見られるアルプス期の変動を全部垂直昇降で説明したり,造山運動の法則性にまで高めたりするのは,いささか夢の膨らませ過ぎと考えている。もちろん,島弧の現象を考える場合に大陸の事象も同一の視野に入れておく必要性については同感であるが。また,陥没と火山活動との前後関係も,著者が力説するほど本質的なことではなく,マグマ溜りの上昇に伴う相関連した一連の現象であって,どちらが前後するかはさまざまな偶然的要因に支配されるに過ぎないし,多角形か円形かというコールドロンの形態についても,岩石破壊形態の不規則性に過ぎないと考えている。恐らくマグマ溜りが浅い部分まで上昇してきた新しいカルデラや削剥されて深部の露出した古いカルデラ(例:田万川)のように,マグマ溜りにより近い部分は比較的円形に近いのであろう。
 このように著者と異なる見解を抱く者の立場からすると,やや気になる点が見受けられる。すなわち,従来の説を全面否定するのなら,対立する説についてもキチンと引用し,事実と論理に基づいて論駁すべきと思う。その点,普及書という制約のためであろうが,引用文献に偏りが見られるのは遺憾である。また,読者にとって事実と推論(憶説)とが判然としないことも,いま一つ説得力を欠く原因となっており残念に思う。
 現在,プレートテクトニクスも行き着くところまで行き着いて見直し期にさしかかり,ポストプレートテクトニクスすらささやかれている。こうしたとき本書が刊行されたことは大変時宜を得たことだと思う。ウェゲナーの大陸漂移説の劇的な復活を思えば,本書の批判的検討からいろいろな意味で有益な示唆が得られるに違いない。ブロックテクトニクスに馴染みのない若い方はもとより,旧版の読者にも一読をお薦めする。

(『構造地質』, 35, 1991 掲載)


ページ先頭|地質屋のひとりごともくじへ戻る
連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1997年8月19日