岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

山を見る・山と語る 1


幻の構造線

 「構造線」(Tectonic Line) という語は,一般には構造帯を限るような大断層ないし大断層群と考えられている。一般の人に一番有名なのが西南日本の内帯と外帯とを分ける中央構造線であろう。外帯は昔からさらに,大陸側から大洋側に向かって,三波川帯/御荷鉾構造線/秩父帯/仏像構造線/四万十帯/笹山構造線/瀬戸川帯という具合に,構造線によっていくつかの構造帯に分けられている。こうして,構造線によって異なった地質区が接するという考えが,何時のまにか固定観念として日本の地質学者の頭に焼きついてしまったらしい。
 それも古典的な地質屋さんばかりでなく,新しがり屋のプレート屋さんまでが,どうもそう思い込んでいる節がある。プレートのもぐり込みに際して,新しい堆積体が付加され,新しい構造帯が形成されるというアクリーションテクトニクスの概念などは,まさに典型である。すなわち,構造線はサブダクション帯の化石とみなすわけである。何のことはない,古い固定観念に新しいモデルを合せたに過ぎない。
 私のフィールドである九州四万十帯を例にとってみよう。従来,延岡衝上という大構造線によって,白亜系の四万十帯と古第三系〜前期中新統の日向帯とが接するとされてきた。また,それぞれの構造帯は,多くの低角衝上断層により覆瓦状構造をなすとされ,アクリーションテクトニクスの標識地とされている。しかし,現地に行ってみると,どうもそのような大構造線は見当たらない。“構造線”の両側に同じような岩石が出現するし,大断層に伴う剪断岩とされた神門層は,明らかに未固結時の塑性変形を示す砂岩レンズを含んでおり,単なるチャートラミナイトの海底地すべり堆積物である。
 この延岡衝上に関しては面白いエピソードがある。科研費の四万十総研による現地討論会が行われたときのことである。尾根筋の林道で,これが低角衝上断層の露頭だと説明された。見ると明らかに地すべりの露頭で,ご丁寧にもクリープを示す根曲がり杉まである。質問すると,案内者は,断層で破砕されたところは軟弱で地すべりを起こしやすいからだ,と答弁された。次は,国道沿いの露頭である。道路拡幅工事で新しい全面露頭ができていた。昔は確かにここに断層の露頭があったが,今は見当たらないという。断層とはやはり地すべりで,その部分をカットしたため,無くなってしまったのであろう。最後の極めつけは,川底の新鮮な露頭だった。ここでは四万十層群と神門層がピタッと接しており,破砕帯はおろか断層粘土すらなく紙一枚入る隙間がない。案内者は“剃刀スラスト”と名付けている,とおっしゃった。ここまできては,何をか言わんやである。開いた口がふさがらないとはこのことだ。
 別な場所だが,山崩れの調査で,神門図幅に線が引かれてあるところへ行ってみた。崩壊調査では普通の地質屋さんが行かない急傾斜の枝沢まで登り詰めるが,土石流に削られて新鮮な露頭が見えることが多い。ここでも“剃刀スラスト”=整合だった。また,同じ神門図幅内の林道で,先の低角衝上断層そっくりの露頭があった。断層面に当たるところに新しい第四紀の降下軽石をかんでいる。つまり,現世の岩盤すべり面だったのである。さらに,タイプの延岡で,私のところの卒論生が“構造線”の北側から,古第三紀の放散虫化石を発見した。ついに“構造線”の両側で地質時代まで同じになってしまった。
 それでは,九州四万十帯の構造はどう考えればよいのであろうか。もうひとつデータがある。宮崎西方の高岡山地に,内八重層という延岡の四万十層群にそっくりの片状岩が分布している。本来,この地域は古第三系の日南帯に属し,四万十層群があってはおかしい。早速,卒論を入れてみた。放散虫化石を調べてみると,やはり白亜紀のものである。日南帯の大局的な構造を見ると,この付近は背斜軸部に位置し,一番下位の層準が顔を出しているところらしい。また,日南層群を貫く大隅花崗岩中の捕獲岩には,日南層群起源の堆積岩の他に片状岩が見つかる。これも,日南層群の下位にある四万十層群の岩石をつかんできたものであろう。すなわち,日南層群の下位には広く四万十層群が分布している。古第三紀になって日南地向斜が形成される際,四万十地向斜よりもやや規模が縮小したか,大洋側に少しシフトしたものと考えられる。その結果,四万十帯と日向〜日南帯が帯状配列をなしているように見掛け上見えるのである。新しい地層が古い地層の上に載っているというだけのことで,何の変哲もない当たり前のことだ。どうも大向こう受けのしない話である。
 実はこれと同じような関係が,山口帯や秩父帯でも,すでに木村敏雄先生によって明らかにされている。やはり,山口帯や秩父帯の中の構造的に下位の部分に変成岩が顔を出しているのである。そこで木村先生は,非変成〜弱変成の堆積岩の下に変成岩が広く分布しているとして,両者をセットとみなし,三郡―山口帯・三波川―秩父帯と命名された。構造帯の境界が断層とは限らないし,地表では地質区が異なっても,地下まで全く別物があると考える必要はない。
 科学は事実に基づくべきであって,固定観念にとらわれ,事実に目をつぶってアイデアに事実を合わせてはいけないという良い例である。

(1986.3.27 稿)


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更新日:1997年8月19日