岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

明日の地質学をめざして 14


土木地質は地質学ではない?

 大変ショッキングな話を聞いた。先日ある地質コンサルの若い地質屋さんと一緒にフィールドを歩いたときのことである。話が卒業生の就職のことに及んだ。最近の学生は,土木はキタナイ,キケン,キツイなどと言って,コンピュータ会社に行く人が多いと嘆いたところ,「私の世代はそれほどでもなくクラスの半数は地質コンサルに行きましたが,問題がないわけではありません」と,こんな話をしてくれた。
 「地質コンサルに行ったクラスメート10数人のうち,今でも地質をやっているのは半数に過ぎません。あとは完全に地質とは無関係な仕事をしています。彼等は学生時代,岩石鑑定などはうまかったし,地質が好きでフィールドはよく歩いてすばらしい地質図を描きました。総じて自分などより数等上でした。しかし,コンサルに入ってみると,土木的で彼等のイメージにある地質学とは相当隔たっていますから,こんなはずじゃなかったと会社を辞めてしまうんです。生活の糧は別な手段で稼いで,地質は趣味にとっておくのだそうです。」
 確かにハングリーでなくなったから,何をやってもメシは食える。好きでも嫌いでも社会に自分を適合させていくしか生きる道のなかった時代とは違う。
しかし,それだけと考えるよりもっと深刻な問題を投げかけている。すなわち,大学における地質学教育の反省をせまっていると考えるべきではないだろうか。地質をやめて行った人たちは学生時代優等生だったのである。彼等が大学で教わった地質学と実社会で日々活躍している地質学とは全く異質だったから,拒絶反応が出たのだ。彼等の指導教官の名前を聞いて,何となくうなずけた。要するに象牙の搭のアカデミズムそのものである。彼等なりに受け止めた地質学は,少し擬画化して言うと,ロマンに満ちた太古の昔の夢物語か,収集癖の好事家が化石を集めて喜んでいる麗しい趣味の世界だったのであろう。土木地質学など地質学ではないのだ。科学の名に値しないと考えているに違いない。こうした応用科学に対する無知・偏見は今に始ったことではない。地質工学の創始者渡辺 貫(1952)は純正科学と応用科学について,次のように述べ悲憤慷慨している。
 「人工雪の研究で有名な北大教授中谷宇吉郎博士が嘗つて筆者に次のような憤懣を漏したことがあった。“大学や研究所で実用方面への応用に力をつくすと学者が恰かも堕落したようにいう人がある,実用目的があってこそ始めて学問の研究に拍車がかけられるのであって,単なる象牙の搭での孤独な存在は人生に於て無意義である”と。
 筆者もこの点同感であって嘗つて有島武郎が云ったように,“夫れが単なるカード・ボックスの整理にすぎないような仕事でも,そのことが偶々大学構内の片隅で行はれているということだけで,夫れを学問と云ったり学者としたりすることは間違っている,学問とは学者とは何等かの方法によって人生に光明を与えるものでなければならぬ”。
 Academic foolという言葉があるが,我が国の大学人種の中に往々にしてこの種の人間がをり,理科系の学者が実用方面の赴くのを恰も学問の堕落の如く考えている愚者がいる。」
 こうしたAcademic foolは,何もお年寄りのクラシックな学者先生に見られるだけではない。ここ20年来,地質学と社会の接点であった資源産業が衰退して地質学が実社会から切り離されたところへ,プレートテクトニクスのようなフィールドでなかなか検証しにくい学説が導入され,思弁的な学風が支配的になっていた。その上,博士失業などが深刻となり,自ら視野を狭めて狭い領域の専門家として早く名を成す必要に迫られたため,タコツボ型の若手研究者が大量に養成されている。このような人たちが教育に当る時代になったのだから,“カッコいい学問にあこがれる”学生が育つのは当然である。
 もう一つ,地質の好きな学生が土木地質に違和感を持つ理由に,数字に還元して考える発想が身についていないこともあるように思う。もともと地質学科に進学してくる学生は,数学・物理が弱い。しかもフィールドの好きな(フィールドしか出来ない?)層序学関係の学生ほど極端に弱い。しかし現場では,c・φだ,切土勾配だとやたら数字が出てくる。どうもそれでアレルギーを起こしているらしい。こうした地質屋的地質屋が書いた報告書は,岩石の顕微鏡写真まで付いて地質の記載はやたら詳しいが,設計施工に必要不可欠な肝心のデータがないと,建設コンサルやゼネコンからは不評を買う。当然上役からは叱られる。当人は大学なら誉められるようなすばらしいレポートを書いたのにと不満が鬱積する。それで辞める人もいるらしいのである。確かに地質学は総合科学ではあるが,大きく見ればやはり物理科学の中の一分科であることが忘れられている。もっと数理的な教育を強化しなければならない。
 以上,大学人として大いに考えさせられた話であった。早くどこの大学にも応用地質学講座がおかれ,社会に目を開いた時代にマッチした学生を養成したいものだ。
<引用文献>渡辺 貫(1952):地質工學の現在及び將來. 地質工學,1輯,1-4.

(1989.9.15 稿)


ページ先頭|地質屋のひとりごともくじへ戻る
連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1997年8月19日