岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

明日の地質学をめざして 10


将来の応用地質学

 学会というよりは,学の立場から「応用地質学」という学問をどうとらえているか,また,今後どのように変わっていくと考えているか,といった点についてまずお話したいと思います。
 私はある百科辞典に「応用地質学とは,自然と人間社会とのかかわりの中で発生するさまざまの社会的な問題に対して,地質学の立場から応える学問」と定義しておきました。したがいまして,その対象とする課題は,社会の発展と共につねに変化して行きます。明治の富国強兵時代は,鉱山地質学が応用地質学の内容でした。大正から昭和にかけては,鉄道やダムの建設が社会的な要請となり,先ほどのお話のように,次第に土木地質学と同義語として使われるようになりました。それでは,21世紀の応用地質学はどのようになっていくのでしょうか。やはり社会的ニーズとの関係で変化していくでしょうが,従来の土木地質の分野は,地質工学として土木工学とより密着した形で残っていくだろうと思います。もう一つは,先ほど環境設計の話が江崎先生からありましたが,環境地質学の立場が重要になってくると思います。これら二つが両々相まって応用地質学を構成していくと考えております。
 まず前者の地質工学ですが,ここに鉄道省の渡辺 貫さんが昭和10年に書かれた『地質工学』という本を持ってきました。その冒頭,土木工学と地質学との関係に触れ,「土木技術者は地質学を神様のごとく100%信用するか,あるいは全く無視して勝手に設計施工するかのどちらかである。」と述べ,「土木地質なくして経済的工事は不可能なり」の言を引用された上で,両者が密接な交渉を持ち,互いに理解し合うことの必要性を力説されています。そのためには,これからは大地の工学(Geomechanik)といった新しい面を開拓しなければならない,それが,ひいてはアカデミックな学問であるところの地質学の活性化につながるであろう,とまで予言されておられます。50年前に書かれた内容が,残念ながら今日でもそのまま通用します。渡辺さんが突出して時代に先んじていたのかも知れませんが,我々が渡辺さんの期待を裏切ってきたのではないかとも思います。次の時代には是非とも実現したいものです。
 第2の環境地質学の問題ですが,現在はまだ大規模プロジェクト中心の「列島改造」型開発が盛んです。その結果,土地問題や環境問題などさまざまの歪みが出ています。しかし,いずれ自然との調和の中で住みよい地域社会を創っていく時代になるでしょう。環境問題などが起きたのは,政治家も技術者も現在という一時点での最適適応だけを追ってきたからです。その点地質屋は,悠久の自然史の流れの中で物事を判断するロングレンジの発想ができますし,文字通りジオロジー(地質学)は地球の科学ですから,グローバルな視野も持ち合わせています。環境は生態学の一分野のように思われがちですが,生態学は相互連関は説くけれど,歴史科学的な視座には立っていません。環境設計では,こうした地質学の長所が大いに発揮される必要があります。しかし,その時,今の応用地質学では対応できるでしょうか。今からそうした方面への学問的技術的力量を培っておく必要があると思います。
 そこで,次代の後継者の養成が問題になります。繰り返すようですが,応用地質学は社会のニーズの変化に敏感に対応できなければならず,こうした技術革新に柔軟に即応できる人材の養成が急務です。しかし,残念ながら現在の大学教育は旧態依然としており,新しい型の後継者が育っていません。工学部の土木工学科や農学部の農業工学科あるいは林学科に土木地質学や農林地質学の講座はありませんから,地質学に無知な技術者が大量に卒業しています。逆に,理学部の地質学科ないし地学科には,鉱山地質学という意味ではない応用地質学講座があるところがほとんどありません。先ほど司会の相原先生からご紹介のありましたように,国立では本学だけというのが実状なのです。したがって,工学的な面に明るいというか,社会的な問題意識を持った学生はほとんど育っていません。かつて私共の学生時代は,鉱山巡検が全員に課され,「日本の資源とエネルギーはわれわれ地質屋が支えているのだ」との先輩地質屋の自負と意気軒昂たる息吹に触れて感銘を受けたものでした。それが知らず知らずに学習意欲の向上につながっていました。しかし,鉱山業が衰退して久しく,地質学は生産から遊離して,象牙の塔の中だけで純粋培養されたもやしっ子になっています。高校で教える地学もプレートテクトニクスのような夢物語か,化石を集めて喜んでいるような趣味的博物学のイメージが濃厚です。第一,大学の教員自身がそうした教育を受けてきたわけですから,とくに若手は物理化学的な純粋アカデミックな方向を追究するか,博物学的な単純記載をもってよしとする傾向があり,「使いものになる地質学」を教える力がありません。露頭の見方にしても,「どこに行ったら何がありました」式の博物学的記載学的教育がまだまだ主流をなしており,露頭から新しい情報を引き出す姿勢・能力が育成されていないのです。露頭で「灰色中粒砂岩」などと色と粒径だけ記載してきて事足れりとしているようでは,社会に出てから千差万別の現場で目的に応じた調査をできるわけがありません。先の渡辺 貫さんは「有能なストラティグラファー(構造地質学者)は最良の土木地質技師である」と述べましたが,本当の意味で「露頭を読む」ことのできる,真のフィールドジオロジストの養成が重要だと思います。もっと教育面でも大学と現場とのタイアップが必要なのではないでしょうか。それが渡辺さんのおっしゃるように純粋地質学の活性化と再生につながると思います。
 教育に関しては,もう一つ,昔も今も地質屋は数学に弱い点が問題です。これからは好むと好まざるとにかかわらず,野外地質学であれ何であれ,コンピュータが導入されるに違いありません。先ほど岩尾先生から定量化のお話がありましたが,その面での努力があまりにも不足しています。また,数値情報処理だけでなく,AI(人工知能)によるエキスパートシステムなどが大規模に取り入れられ,地質図すらCAD(コンピュータ支援作図法)によって作成する時代がすぐそこまで来ています。地質学には数字に還元できない面があることは確かですが,「いわく言い難し」的な直感では,AIには馴染みません。論理的思考への転換が迫られています。その過程で地質学も近代科学へ脱皮するのではないでしょうか。さらに,現在ではコンピュータのパターン認識も進歩し,微化石の自動鑑定も実用化しているそうです。この例のように各種センサーの開発に伴い,観測・解析の手法も一変するでしょう。鑑定や分析の職人的技術だけではメシが食えない時代になったのです。こうした進歩についていける人材が現在の大学で養成されているでしょうか。いや,車の運転が特殊な職業人の独占からマイカー時代になって誰でもできるようになったように,コンピュータもKE(知識エンジニア)に頼る時代はすぐ去り,地質屋が自分で駆使し,システムを構築する時代になります。もっと数理に強い地質屋を養成しなければならないと思います。
 最後に,一番大問題なのは自然の好きな学生が少なくなったことです。私は村の中学を出て,田舎町の高校に進学したのですけれど,今では都会の受験校出身者しか大学へ入れなくなりました。地学科を選んだのも,昔のように山が好きだといった理由ではなく,コンピュータが偏差値で選んでくれたに過ぎません。そのため,自然とは田舎であり,喫茶店もない不便で嫌な所といった認識になっています。フィールドに行かなければならないかと思うと憂欝になるなどと公言する学生までおります。したがいまして,卒業後の進路も,地質関係の会社に就職する人が少なくなっています。本学でもゼロの年すらありました。これは日本の教育全体の問題で,大学だけでは片付きませんが,嘆いているだけではダメで,当学会としても何とかしなければならないのではないでしょうか。
 その一つに,地質学および地質屋の社会的地位の向上をはかることが挙げられると思います。私が学生の頃は,土木というと,汗の臭いのする男らしい男,黒部の太陽に出てくる裕次郎のようなイメージだったのですが,今では,「ご迷惑をおかけしまして申訳ありません」とヘルメットがお辞儀しているイメージ(笑声)なのだそうです。地質屋はその土木屋にアゴで使われる僕だというのでは,夢も希望もありません。もっと土木屋も地質屋も胸を張っている必要があります。聞くところによりますと,官庁やゼネコンなど,施主側には土木や砂防出身者が多いためか,地表踏査などの積算が極めて低く,儲けにならないそうです。地表調査によって近代機器を駆使した以上のさまざまな情報を得ることができるのに,時によっては不要の土質試験やボーリングなどで金を稼ぎ,地表踏査はサービスとされてしまうケースもあると,ある卒業生が嘆いていました。こうなった責任の一端は,飾り物にしかならないありきたりの地質図を提出してお茶を濁してきた地質屋にもあります。もっともっと設計・施工を念頭においた「使える」応用地質学を築いていかなければならないと思います。同時に,いつまでも土木屋の下請けをしているのではなく,もっと積極的に地質学の有用性をPRし,官界にも地質屋を送り込んでいく必要があるでしょう。学会レベルでの研鑽と働きかけも大切だと思います。また,学会が仲立ちして,産・官・学交流の場を提供することも大事なのではないでしょうか。
 学会の話が出ましたので,学会の体質についても触れよとの司会者のご指示ですから,最後に応用地質学会について考えてみたいと思います。先日,「しらすとがけくずれ」という大学公開講座を開きました。砂防や土木・地質の人が100人くらい集まりましたので,懇親会の際,応用地質学会の話もしてみました。しかし,土木の方から,「応用地質」というと地質屋のセクトというか派閥のイメージがする,「地盤問題研究会」くらいならば入ってもよい,という意見がありました。単なる名称の問題ですが,やはり従来そのような印象を与えていたのが原因だとすれば,反省してみる必要があるのではないか,という気がします。

(1987.12.4 応用地質学会九州支部10周年記念座談会 『日本応用地質学会九州支部報』9, 1988, 掲載)


ページ先頭|地質屋のひとりごともくじへ戻る
連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1997年8月19日