岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

こどもと教育 9


童心を送る―ある児童書専門店の倒産―

 今年は子どもの本世界大会がわが国で開かれ,『はてしない物語』のミヒャエル・エンデが来日するなど,新聞紙上を賑わしている。ちょうどその時,悲しいニュースを聞いた。昨年オープンしたばかりの児童書専門店「千江の店」が店仕舞するという。オープン直前,重富の文庫祭りで仲里千江さんご夫妻にお会いしたことがある。鹿児島に豊かな児童文化の花を咲かせる牽引車になりたいと,情熱的に話しておられた千江さん。その傍らで黙ってニコニコ聞いておられた,いかにも子供好きらしいご主人。童心そのもののご夫婦,大変印象的だった。家庭文庫「そらまめ」を併設し,小学生のお子さんが責任をもって運営している由。単なる商売を超えて,地域に健全な児童文化を広めて行こうという姿勢の現われ,さすがと感心した。なぜ「そらまめ」と名付けたのだろうか。『ジャックと豆の木』の豆みたいに,大きく成長して天までとどけ,との願いがこめられているのかも知れない,などと勝手に想像し,鹿児島にぜひとも深く根付いて欲しいと,陰ながら声援を送ったものである。
 数年前,照国町に「こどものとも」社という児童書専門店があった。明るい室内,しゃれたディスプレー。かなり広い部屋の真ん中には,子供用の低い丸テーブル。立ち読みどころか座り読み歓迎らしい。うちの子などは,図書館と心得,どっかり座り込んで何冊も読んできた。せっかく常連になったのに,間もなく倒産。聞くところによると,千江さんは,その経営者の妹さんとのこと。果せなかった姉さんの夢を実現しようと,妹さんが挑戦したのであろう。「いちろうじ!,にろうじ!」と,黒雲めがけて突き進んだ,ひばりたち(斎藤隆介『ひばりの矢』)を想う。暗澹たる気持ちである。
 どうして鹿児島では児童書専門店が成り立たないのだろうか。確かに絵本は高い。どんなに薄くても最低1,000円はする。県民所得がビリから2番目という貧乏県だから,子供の本まで回す家計の余裕がないのかも知れない。あるいはまた,鹿児島の親たちは子供の教育に関して関心が低いのだろうか。受験競争の過熱ぶりは全国的に名高い。教育とは学歴を付けること,と勘違いしているらしい。一方,椋鳩十さんの「母と子の20分間読書運動」などが,鹿児島の地から生まれている。まだまだ,こうした流れが弱いのであろう。
 しかし,これは鹿児島だけの例外ではない。世界的に子供の活字離れが進んでいる。今や子供たちはテレビとファミコンの捕虜である。大学生ですら本を読まない。鹿大の近くに鹿児島一の大書店が駐車場付きの支店を開いた。大学付近の本屋と言えば,専門書がギッシリ並んでいるものと相場が決っている。早速行ってみて驚いた。雑誌とコミックスが大半を占め,あとは受験参考書だけ。恐らく鹿大生の読書傾向等マーケットリサーチをしてから,進出してきたに違いない。鳴呼!
 近頃は,大学でゼミをやってもゼミにならない。もちろん,外国語の力がないのも一因だが,それ以上に文章の読解力が全くない。本をたくさん読んだ人なら,単語の三つや四つわからなくても,全体として著者が何を言いたいのか読み取れる。第一,単語の意味だって結構推定できる。ゼミで立ち往生した学生には,日本語でよいから少し歯ごたえのある本を読むよう勧めることにしている。彼等はウルトラマンと劇画で育った世代,次は超合金合体ロボットの世代が入学してくる。テレビの映像は解釈が一方的に押し付けられ,童話や小説のようにイマジネーションがわかない。ロボットもまた,どんなにカッコよく変身しても,所詮玩具メーカーの設計通りにしか動かない。創意工夫して遊ぶ自然の中の遊びとはわけが違う。したがって,今の学生は,いちいち具体的な指示をしないと,どう行動してよいかわからなくなる。まして,独創性が要求される卒業研究などでは,手も足もでない。やれやれ大変な時代になったものだ。明日の日本が心配になる。
 こうしてみると,幼少期の体験が非常に大切だと思う。もっともっと子供たちが絵本や童話に親しみ,自然の中で遊んで欲しい。「千江の店」のような良心的な書店が経営として成り立ち,家庭文庫が津々浦々にできる日が来ないものか。鹿児島でも,椋さんのつけてくれた道をもっと大きくしたい。そこで,「そらまめ」文庫の蔵書を一括引き取ることにした。古本屋にたたき売られ,分散するのは忍びない。わが家の「あじさい」文庫の中で,「そらまめコーナー」として,生き続けていくであろう。千江さんと坊やの望みを受け継いで。  千江さん一家は,ご主人のふるさと沖縄に移住されるという。千江さんは童話作家でもある(ペンネーム稗島千江さん)。明るい南国の空の下で,嬉々として遊ぶ子らを主人公にした,素敵な童話が生まれてくるに違いない。また,きっと「そらまめ」に似た小さな芽が生えてくるであろう。豆科といえば,沖縄はデイゴ,鹿児島は海紅豆,ともに県花・県木がよく似ている。デイゴの赤い花を見たら,ときには鹿児島を思い出して,がんばって欲しい。

(1986.8.30稿 1986.10.26発行『おくらの花』 38 掲載)


ページ先頭|地質屋のひとりごともくじへ戻る
連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1997年8月19日