岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

こどもと教育 3


子供はあなたのコピーです

 私にはふたりの子供がある。反抗期が終りかけの中3の女の子と,そろそろニキビが出だした小6の男の子である。姉は,パンと肉・サラダが好きで,弟は,御飯に味噌汁・魚といった純和風党。同じように育てたつもりなのに,正反対である。食物の好みだけでなく,性格も大変異なっており,姉は少し神経質で几帳面,弟はどちらかというとルーズで鷹揚である。
 上の子は,もちろん,われわれ夫婦にとって初めての子。育児書と首っ引きで,おっかなびっくり大事に大事に育てた。昼寝のときも家中真っ暗にし,物音を立てないようにして,そっと寝かせた。彼女にとっては,地球は自分を中心に回転していたのである。だから,物の考え方がどこか自己中心的で,いつも自分が主役でなければ気がすまない。いい意味では負けず嫌いでがんばり屋である。しかし,他人への思いやりに欠ける面があり,親としては心配でしかたがない。そこで,ずいぶんやかましく叱ったら,かえって逆効果,本人も家の中も暗くなった。反対に手綱を緩めたところ,精神状態も安定し明るくなった。外では意外と友人にやさしく好かれているらしい。どうもこれは反抗期のため,親に逆らっていただけの自立の過程だったようだと,一安心した。
 また,両親とも今のように多忙ではなかったから,子供とは十分なスキンシップの時間を取った。膝に抱いて,繰り返し繰り返し絵本を読んでやり,話し相手になってやった。そのためか,大変なおしゃべりで,読書家になった。学校に入ってからも,勉強勉強などとは言わなかったが,そうした目に見えない学力が身に付いていたためか,あまり勉強をしない割りには良い成績を取ってくる。賞状などもずいぶんもらった。知的能力についてはあまり心配する必要はなさそうである。
 下の子のときは,さすがに2番目,子育ての経験も積んで,あまり動じなくなった。手抜きのコツも会得して「捨て子ドン」などと呼ばれるくらい,ほったらかして育てた。これは,上の子が小児ぜんそくになったのに懲りて,何よりも健康に心がけ,戸外で遊ばせるのを最優先させたからでもある。男の子はただでも口が遅いのに,親との対話が不足したため,言葉の発達が遅れた。本にしても,生まれたときには既に上の子の本が家庭文庫をやるくらいたくさんあったから,弟のために特別買ってやることも少なかった。したがって,幼時には本にほとんど興味を示さなかった。そのため,学校に入ってからも,成績はいつも中位で,あまりパッとしない。しかし,本に囲まれて育ったのが有形無形の影響を与えたのか,最近になって急に読書量が増えてきた。
 一方,生まれたときからいつも「おねえちゃんと半分こ」で育ったためか,大変気前が良くやさしい。母親の病気などわが事のように心配し,小さな虫でも可愛がる。友人を決してけなさず,いつも「○○君はすごいんだよ」とほめるから,敵を作ることはない。祖父は上に立つ者の資質を備えていると目を細める。反面,欲がなく,自分もそのようになりたいという気は起こらないらしい。その点,がんばり屋の姉とは対照的である。こんな根性なしでは今のような競争社会では落後してしまうと,親としては気が気でない。しかし,これも個性,アイヌ民話の『小鳥になった酋長の息子』のように,笛の好きな物静かな子に弓矢を無理強いするのもどうか,と思い悩む昨今である。
 こうしてわが子の性格を分析していると,何となく思い当たるふしがある。彼等に私自身の反映を見る思いがするのである。私には負けず嫌いでがんばり屋的なところがあり,皆からはそう見られているが,本当はギスギスした競争は嫌いで,暖かで和やかな生活を望んでいる。理学部畑を歩んで来て,すべて物事を理知的に判断するように思われるけれど,詩や小説の好きな情緒的人間である。私の父は学歴がないのに実力でのしてきた技術屋だし,母は誰にでも優しい人だったから,このような相反する性格は,恐らくそれぞれ父母から受け継いだものであろう。
 こうしてみると,CMではないがまさに子供は親のコピー,毎日子供たちを叱りつけているが,どうも天に唾するようなもので,わが身にふりかかってくる。身体を動かすことが嫌いで,なかなか仕事をやりたがらないのも,過保護に育てた親の責任である。願わくば親を乗り越えて,真っ直ぐに育って行って欲しい。大人物にならなくてもよいから,人の心の痛みがわかる,人に好かれる人間になってもらいたいものだ。いや心安らかな幸せな一生が送れたらそれでよい。近頃そんなことを考える。

(1986.4.10稿 新入生歓迎会の日に酔いを覚ましつつ)


ページ先頭|地質屋のひとりごともくじへ戻る
連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1997年8月19日