岩松 暉著『地質屋のひとりごと』

地質屋のひとりごと 2


「ああ玉杯」と学閥

 世は学歴社会,学閥(中でも東大閥)が世を支配しているという。私も東大出身者の端くれだが,あまり学閥の恩恵を蒙ったこともないし,学閥を意識したこともない。おそらく他の大部分の人もそうだと思う。
 そう思う理由がある。私が入学した頃は,旧制高校出身者すらいて,駒場はまだ一高センスが濃厚に残っていた。バンカラでよく飲みよく歌った。コンパの最後には「ああ玉杯」を全員起立して歌うのが恒例である。数ある寮歌の中でも特別な地位を与えられていた。教官も招いたあるコンパの席上,みんなで肩を組んで歌おうとしたら,先生が一喝された。
「この歌は,どんなに酔っ払っていても,シャンと一人で立って,両腕を後手に組んで歌うものだ。お互いにもたれあって生きて行ってはいかん。世の中は自分の実力だけで渡って行け。それが本学の教育方針である。力もないくせに,東大卒という経歴に頼って,うまい汁を吸おうなどという奴は,さっさと退学しろ。」
 言葉通りではないが,こんな趣旨の話だった。「東大卒は実力があるから,結果としていろいろな分野で要職を占めているというのならよいが,先輩の“ひき”ではびこっているとしたら許せん。現状は決してそうではないはずだ」とも言われた。
 確かに東大は,良い意味でも悪い意味でも実力主義・個人主義の社会だった。とくに,その頃は理Vの医進コースがなかったし,進学時の振り分けは成績で決まったから,級友でも競争相手という感じで,私のような田舎っぺには,なじめない雰囲気だった。8年も寮にいたのも,寮には利害を超越した「友の憂いに我は泣き,我が喜びに友は舞う」人間関係があったからである。
 したがって,私自身,誰がどこの大学の出身者か,といったことにはとんと関心がない。おそらく他の東大出身者も同様であろう。私の勤めている鹿児島大学でも,他大学出身の教官の間では,鹿大○○会といった同窓会があるという。しかし,東大関係者には,一緒に集まろうなどという発想はない。自分の属している学部でも,どなたが先輩なのかすら知らないのが実情である。第一,東大出身というだけで嫌味を言われ,イヤな思いをさせられることがしばしばあるから,聞かれない限り黙っているのが普通である。もちろん,他人の学歴に無頓着なこと自体,学歴にコンプレックスを持つ必要がない者のエリート意識なのだと言われると,その通りかも知れない。そういうわけで,東大出身者があちこちにいるのは事実だが,閥意識といったものは,私の経験では虚像だと思う。
 逆に他が意識しすぎているのだと考える。最近の国立大学入試のグループ分けに関して京大等が猛反発したのは,その端的な表れと言えよう。立派な大学なのだから,己が道を行けばよいのである。独自の学風で東大とはひと味もふた味も違った有為な人材を養成したら,東大の下風に立っているといったコンプレックスは払拭できるのではないだろうか。
 しかし,世の中には学閥というものは厳然としてある。例えば鹿児島県庁を例にとると,一中閥と二中閥とがシビアな争いをしているという。また,鹿児島高等農林(現鹿大農学部)出身者の「あらた同窓会」が隠然たる勢力を持ち,理学部出身者はなかなか入れてもらえない。現に土木部では地質屋が皆無,地質に無知で土木行政が行えるのか,大変心配である。
 大学や研究所の人事も然り。先の○○会を作るような閥の好きな大学の出身者は,教員人事のとき,明かに実力の上な者が応募しているのに,自分の後輩を採用する。また,○○会系でないと研究所のトップにはなれない。こうした弊害は目を覆うものがある。そして,学会のときなどを利用して,全国に散ったものが一堂に会して閥の結束を固めるような,破廉恥なことを行う。その大学に勤めたら,少なくともその間は,その大学の人間になりきるべきであって,何時までも母校と臍の緒がつながっているようでは困る。
 だから私は同窓会が大嫌い。むろん東大の同窓会はないから,私が入っているのは,高校と新大および鹿大(いずれも特別会員)である。ほとんど出席したことがない。しかし,後発弱小大学が生きていくためには,結束して行かなければならないのかとも思う。学生の就職等で先輩のお世話になることも多く,現実的なメリットもある(東大がやれば指弾されるが,鹿大ならば別に何も言われない)。さて,どうしたものか。

(1986.2.10 稿)


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更新日:1997年8月19日