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鹿児島のご隠居(2009.02)


★志布志

 今日は暖か。何年ぶりかで志布志に出かけた。志布志は元々武家屋敷のある麓集落、史跡名勝がたくさんあるところだからである。宮崎県境ゆえやはり遠い。昼頃着いたので、まずは志布志駅近くの活魚問屋直営店でうまい魚料理を食べる。それから、愛甲喜春墓・天水氏庭園・平山氏庭園・志布志城跡・宝満寺跡・山宮神社の大クスと、あちこち巡り歩いた。山宮神社には菅原天神も祀ってあり、梅が咲いていた。大隅半島は鹿児島より暖かいのか、ドライブ途中でも梅をあちこちで見かけた。帰途、桜島島内で久しぶりの降灰に遭遇した。昭和火口が活発に活動をしている。(2009/2/1)

★巨大スーパー

 例によって史跡の写真を撮りに長島まで出かけた。途中、阿久根で先日NHKスペシャルで放映された巨大スーパーに立ち寄ってみた。生鮮食料品から、農機具・仏壇、果ては車まで売っている。市の人口よりも多い人が買い物に来るという。送迎バスを長島で見かけたから、相当遠くから客を集めているようだ。これでは中小商店はたまらない。(2009/2/5)

★万葉歌碑

 長島で古墳群を見たが、様式が関西風で、大和朝廷が隼人と対峙する前線基地だったのだろうという。この万葉歌碑の歌も万葉集に載っている歌では最南端の歌らしい。長田王(ながたのおおきみ)の歌で、「隼人の薩摩の瀬戸を雲居なす 遠くも吾は今日見つるかも」とある。長島町歴史民俗資料館の解説によれば、昭和初期まで鹿児島よりも天草や佐賀との交流のほうが盛んだったそうである。海というと、われわれは「隔てるもの」と考えがちだが、道路の整備されていなかった往古は、舟運のほうが活発で、「結びつけるもの」だったのかも知れない。(2009/2/5)

★白梅

 ここ2・3日暖かい。ついにわが家の梅も咲いた。ただし、若木の白梅のほうである。しだれ梅の紅梅は老木だから、まだまだ。(2009/2/7)

★洗足池

 東京での会議が2つ続いた。そのまま泊まったほうが安い。中日に時間が出来たので、勝海舟の墓(写真中)がある洗足池(写真左)を訪れた。先日、『海舟座談』を読んだからである。かなり大きな池で水鳥が泳いでいた。海舟墓の隣には、海舟が私費で建てたという西郷隆盛の留魂碑も建っていた。二人はよほど肝胆相照らしていたのだろう。行ってみてわかったのだが、名馬「池月」(写真右)で有名な旗揚げ八幡(千束八幡神社)や日蓮の「袈裟掛けの松」がある妙福寺も池周辺にあった。(2009/2/9)

★没個性

 日本ジオパーク連絡協議会臨時総会の後、時間があったので、田町まで行き、秋田大学の公開講座に参加した。田町駅に降りたとき、熊本の友人が、「東京の駅前はどこも同じようで、よくわかりませんねえ」と言った。全く同感。どこも超高層ビルが建ち並び、その街らしさがない。ヨーロッパ並みとは言わないまでも、それぞれ歴史に残るような都市計画を念頭に置いて建設して欲しいものだ。(2009/2/10)

★人の土台

 NHKで100年インタビューという番組を見た。今日のゲストは作家の池澤夏樹氏である。90分番組だったが、飽きずに非常に面白く視聴した。話の中で人は6歳までに土台が作られると言っておられた。別に早期教育の話ではない。氏の原風景が広々とした十勝平野だということである。私の原風景はやはり台湾である。3年前スマトラに行った際、バナナの木が繁り、水牛がのんびり遊ぶ水田を見たときに、何となく故郷に帰ったような安らぎと懐かしさを感じた。私は転勤族の息子、何回も転校を繰り返し、引越は数知れない。コスモポリタンで故郷はないと思っていたのに、である。そう言えば、姉が若くしてガンで亡くなる間際に、突然、マンゴーが食べたいと言い出した。その頃は経済大国になっていたから、新潟のデパートでもマンゴーが入手できて、食べさせてやることが出来た。やはり、姉の「土台」も台湾だったのだろう。(2009/2/12)

★ウグイスの初鳴き

 テレビのローカルニュースで阿久根の民家にある枝垂れ梅が見事と聞いたので、野次馬で出かけた。ご主人の言うには一昨日の春一番でかなり散ってしまった。もう少し早く来れば良かったのにと気の毒がってくれた。しかし、それでも見事である。そこで藤川天神の臥竜梅を見ることにして、川内温泉を通ったら、そこの民家の紅梅が若木ではあったが見事だった。ここでウグイスのさえずりを今年初めて聞いた。ウグイスはわが家の庭にも来るがこれまでは地鳴きだったから、これからが楽しみである。藤川天神はお祭りらしく、車が渋滞していたので敬遠して、入来麓の武家屋敷群を散策し、国指定史跡の清色(きよしき)城跡の写真を撮って帰った。(2009/2/15)

★紅梅

 庭の紅梅が咲き始めた。枝垂れ梅の老木である。今年は裏年で、少し咲いただけ。枝垂れ梅らしくない。残念。(2009/2/16)

★川内

 川内砂丘の調査に出かけた。海岸線に対して吹上砂丘は平行なのに、ここ川内砂丘は斜めに雁行配列しているのが不思議だったからである。少し風は強かったが晴れていて気持ちが良かった。何よりも若い友人と議論しながら歩けたのが、楽しかった。昼食に寄った食堂から川内港が良く見渡せた。大きな船が着いていたが、製紙用のパルプを運んできたのだという。(2009/2/17)

★写真美術館と庭園美術館

 日本ジオパーク式典があり上京したので、翌日、半日東京見物した。今まで行ったことのないところということで恵比寿の東京都写真美術館に行ってみた。ところが、恵比寿映像祭とやらで、期待していたスチール写真は全然なく、映画だけだった。第二次世界大戦の記録映画が一番興味があったが、椅子がない。くたびれたので、途中で退散。
 さて、飛行機の時間までまだ時間がある。渋谷方向に戻るのもしゃくだから、隣の目黒で降りて、自然教育園に行くことにした。しかし、恵比寿でくたびれたので、広い教育園内を歩くのもどうかと思って、手前の東京都庭園美術館に寄ってみた。20世紀前半のドレスの展示をしていた。着物には興味がないからちょっと躊躇したが、入ってみた。19世紀の貴婦人たちが着ていたコルセットでふわりとふくらませたお人形のようなスカートから、身体の線を際だたせるほっそりとしたものに変革した人たちらしい。貴族に取って代わった新興ブルジョワジーの心意気を感じた。こうした着物にも時代性があるのだと、改めて知った次第である。(2009/2/21)

★それからの海舟

 『海舟座談』を読んだから、前回上京したときに、本屋で今度は半藤一利『それからの海舟』(ちくま文庫)を買ってきた。寝るときに少しずつ読んで、今日読了した。半藤氏は海舟と同じく下町生まれの下町育ち、その上、戊辰戦争のとき西郷に焼き払われた長岡に疎開したというから、根っからの薩長嫌いである。官軍を西軍と呼び、海舟を「勝つぁん」と呼ぶ。海舟の人柄も面白かったが、半藤氏の肩入れぶりもなかなか痛快で面白かった。「それ」とはもちろん江戸無血開城のことである。海舟が維新後いかに幕臣の面倒を見たか、本当は嫌いだった徳川慶喜の復権のためにいかに努力したか、アヒルの水かきの様子がよくわかった。(2009/2/22)

★井形桜

 鹿児島大学に用事があって出かけた。本部前の寒緋桜が咲いていた。これは私が風致委員長をしていたとき、当時の井形学長が退任に際して、構内に桜がないのは寂しいと寄付してくださったので、植えたものである。井形先生はソメイヨシノのおつもりのようだったが、植物や林学の先生に相談したら、台地の上なら良いが、低地ではソメイヨシノはダメだと反対されたので、寒緋桜で勘弁していただいたことを思い出す。シラス台地のわずか100mの標高差が、微妙に植生にも影響があるのだと、その時教わった。(2009/2/23)

★京唐子

 わが家の京唐子が咲き始めた。早速、ヒヨドリがやってきてついばむ。このどう猛な鳥は、せっかく地鳴きからさえずりに変わり始めたメジロを追っ払うので、困りものだ。メジロ用に木の枝に指しておくミカンも、横取りして、メジロが食べられない袋まで食べてしまう。(2009/2/24)

★芽吹き

 この頃、雨の日が多い。気の早い菜種梅雨のようだ。そのせいか、庭の木々が芽吹き始めた。昨年丸坊主にしたキンモクセイも芽を出した。植物の旺盛な生命力を感じる。(2009/2/25)

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更新日:2009年2月25日