鹿児島のご隠居


★も く じ

 還暦になって、少し人生を振り返り、随筆でも書きためようかと『残照』を書き始めたが、その頃から大学は独法化云々でてんやわんや、雑用や会議が増え、ゆとりなど全くなくなってしまった。筆を持つ時間すらなくなった。
 定年退職後は、いくつかの道があった。私学の教授をしながら各種審議会の委員をやる田舎名士の道、コンサルタントの顧問をやって若い人たちと現場を歩きながら応用地質の論文を書き、最後にテキストでもものにする道、つまり研究者を続ける道である。ところが、(NPO)地質情報整備・活用機構(GUPI)の専務理事になって欲しいと会長の故大矢曉さんに口説かれた。今まで守秘義務のもとに隠されてきた地質地盤情報を公開して安心安全の国づくりに貢献し、それによって地質家のステータスを高めたい。地学をもっと国民の中に普及したいとの熱意に賛同して、上京することになった。2004年4月1日であった。その後、大矢さんが交通事故で急逝され、会長を引き受ける羽目になった。後はもう無我夢中、大矢さんと始めたことだけは何としてでも実現したい。それまでは鹿児島に帰れないと誓った。今年2008年になって、国交省もボーリングデータを無償公開し始め、地方自治体の中にも追随するところが出始めた。目下、GUPIサーバを大容量にして、クリアリングハウスを構築中である。普及活動の一つとして始めたユネスコ提唱のジオパークを日本にも作る運動もやっと軌道に乗り始めた。一応の産婆役は果たしたものと思っている。そういった次第で、在京中は走り回っていて、随筆など書く心の余裕など全くなかった。
 8月になって、ようやく鹿児島に帰ることができた。さて、これからが本当のご隠居である。随筆などきついから、ブログ風に身辺雑記など書くとしようか。(2008/08/01)



更新日:2021年11月01日