リエンジニアリングとリストラクチャリング

 岩松 暉(未発表, 1996)


 昨今の鹿大の人心荒廃ぶりは目を覆うものがある。食堂で他学部の人と和気藹々と談笑していた昔が懐かしい。文系と理系の先生同士が顔を合わせても、知らんぷりかせいぜい黙礼して通り過ぎる程度。今回の組織改革でエゴむき出しの主張をぶつけ合ったため、互いに不信感があるし、その結果、概算要求が遅れに遅れて文部省からペナルティーが来るに及び、その原因が他学部の頑迷な人たちのせいと、互いに責任転嫁しているからである。寒々とした人間関係だけでなく、熱心な議論も聞かれなくなった。学内での改革案も二転三転どころか四転五転し、しかも文部省に他律的に振り回されるから、真剣に議論するだけ馬鹿馬鹿しい。投げやりな雰囲気が蔓延している。
 数年前、井形前学長時代には、鹿大キャンパスのマスタープランが盛んに議論され、『鹿大広報』でも「鹿大キャンパス―21世紀への展望」特集が連載されていた。私も、井形学長から風致委員長就任を要請された。その時のお話は次の通りである。
 少子時代を迎え、大学はサバイバル時代に突入した。大幅定員割れを起こした大学からカルチャーセンターなどとして切り捨てられていくであろう。鹿大もその恐れが充分にある。今から魅力のある鹿大づくりをしていかなければ生き残れない。ソフト面、つまり研究教育の内容面での充実は組織改革である。これは自分の担当だ。もう一つ、ハード面でも魅力的な大学にしたい。鹿大キャンパスは桜島の降灰のためもあって薄汚れている。諸外国の公園のような明るい静かなキャンパスとは雲泥の違いである。高校生が受験に来て、がっかりして帰ったというのもうなずける。外国並みとは言わないが、私学並みの小ぎれいで静かなキャンパスを作って欲しい。実行力が求められているのだ。
 私も先生の熱意に打たれた。キャンパスが抜本的にきれいになれば、鹿大も21世紀に向けて変わりつつあるとの印象を与え、ぬるま湯で安閑としていた人たちにも、何らかのインパクトを与えるに違いない。それが組織改革にも良い影響を与えるはずである。組織改革の援護射撃だと思って引き受けた。もっとも二つの条件を付けた。金がなければ何もできない。ちょうど長年のゼロシーリングからほんの僅か予算が増えた年である。身銭を切っても努力しているとの姿勢が大事だから、共通経費で環境整備費を設けて欲しい。二つ目は、タダでも出来ることは清掃である。クリーンキャンパスデーを設けて教職員学生一緒になって清掃に取り組もう。学生も自ら汗をかけばゴミのポイ捨てなどしなくなるだろう。その時学長も率先して出てきて欲しい。この2条件は快諾された。
 当時あまり流行ってはいなかったがリエンジニアリングという言葉がある。CS(顧客満足度)を高めるため、ビジネスプロセスを抜本的にデザインし直すことである。その際、情報技術をフル活用し、企業体質や構造を抜本的に変革して企業生産性を高め新たな競争力を構築する。つまり攻めのリストラ手法である。大学令から一世紀余、時代はまさにこのリエンジニアリングを大学に要求しているのだ。顧客(学生やその受け入れ先の社会)抜きの象牙の塔から脱皮しなければ未来がない。井形学長はそのことをおっしゃっておられるのだろうと思った。風致委員会の新年度の会議には必ず出席され、上述の趣旨と共に、「単なる諮問委員会ではなく、積極的に行動する委員会になって欲しい」と熱っぽく話された。人間意気に感じれば誰しも動くし、夢があれば力もわく。それから風致委員会はずいぶんいろいろなことをやった。従来の縄張りにとらわれず、ゴミ処理問題や車の総量規制(道路整備の前提だった)など、他委員会の事項まで首を突っ込んだりした。歩行者天国を実現したり、それまでは実習園として閉鎖していた植物園を農学部にお願いして大学の庭として開放していただいたりもした。
 しかし、その後、学長が替わり(風致委員会専門委員も全員解任された)、学内の雰囲気も変わった。惰性が変革の動きに打ち勝った。ために、世の中の動きから一歩も二歩も遅れ、新年度になってもまだ来年度概算要求案すら出来ていないという。ついに95国立大学のどん尻の由。どこの大学にもない斬新な学部学科を作るなど夢のまた夢、組織改革は単なるリストラに堕してしまった。リストラクチャリングとは経営資源を縮小して業績を改善する守りの経営手法である。前向きのリエンジニアリングなら、先に明るい展望があるから、多少の内部矛盾も表面化せず、小異を捨てて大同に尽き、一致団結、学内の融和もはかれるだろう。しかし、夢も希望もない後ろ向きのリストラでは、些細なことでいがみ合い、とげとげしい雰囲気や投げやりな気分が充満するのも必然であろう。
 キャンパスもそれを反映してか、何となく雑然とし荒れた印象を与える。不法駐車があふれ、本来24時間入構禁止のはずのバイクがわが物顔に走り回って、無法地帯と化している。車の総量規制どころか倍増した。なまじ環境を整備しただけに、かえってコントラストが目立つ。最高学府などという古語を持ち出すまでもなく、静かな学園という雰囲気すらない。大学の自治が内部から瓦解し始めているのを象徴している。結局、井形前学長が心配しておられた事態がじわじわと進行しているのだろうか。はてはてどうしたものか。
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更新日:1997年8月19日