シラス災害の防災戦略

岩松 暉(『第3回環境地質学シンポジウム講演論文集』,187-192, 1993)


1.はじめに

 「人が死なないと梅雨が明けない。」 鹿児島にはこんな悲しい言葉がある。今年(1993年)の夏も多くの犠牲者を出してしまった。マスコミは一斉にシラス1)は崩れやすいもろい土壌だと宣伝する。専門家の中にもマスコミにおもね「シラスは角砂糖の如く水に溶ける」などとテレビで解説し不安をあおる人もいる。シラスの塊をコップに入れてまことしやかな“実験”までして見せる念の入れようである2)。鹿児島はこうした特殊土壌の上に立地している以上、災害は鹿児島の宿命だとする諦観を知らず知らずに人々の心に植え付けているのだ。確かにシラスがけは無数にある。継続的に防災工事も行われているが、僅かな予算を考えると気の遠くなるような数である。宿命論に陥りがちになるのも無理はない。果たして本当にそうであろうか。物的損失は免れないにしても、人的犠牲だけは何としてもなくしたいものである。「死亡ゼロ災害」達成の戦略戦術について考えてみたい。

2.シラス地帯の土地利用と災害

 『鹿児島県災異誌』等の書物を見ても、戦前にはあまりシラス災害の記述がない。恐らく危険ながけ下には人が住んでいなかったから、がけ崩れはあったにせよ災害として認識されていなかったのであろう。人命や財貨が失われなければ、それは単なる地質現象、ありふれた侵食現象に過ぎない。災害とは自然現象と社会現象の交錯するところに発生する。災害の進化とは人間の土地利用形態の変化に対応しているのだ。自然現象が異常になった訳ではない。
Fig.1 Schematic profile of shirasu slope
 Fig.1はシラスがけの模式断面図である。がけ下には必ず緩やかな坂がある。これは地質時代を通じて崩壊によってがけが後退していったときの崩土の堆積地形である。つまりがけ崩れの土砂の最大到達距離を示している。現に西郷屋敷のような江戸時代の宅地はこの坂が終わった平地に立地している。永年の経験を通じて安全な場所を知っていたのだ。坂から上は自然の領域であって、人間が犯してはならないところ、せいぜい裏庭の借景に利用するか畑にしていたのであろう。「先祖の知恵」は偉大である。鹿児島県宅地造成基準(1976年改訂)によれば、がけ法肩を望んで30゜以内のところは宅造禁止となっている。35゜までなら公園や道路にはしてよい。1986年の災害で被害にあった住宅はすべてこの規制区域内に入っていた(1993年の災害では未曾有の長雨で地盤がたっぷり水を含んでいたため、86年時よりも土砂が流動性に富み到達距離が若干長いようである)。やはり、人間のほうが自然の領域を不遜にも犯してがけに近づき過ぎていたと言えよう。戦後、とくに高度成長期における鹿児島市への一極集中により人口が急増した結果、平場の少ない市内で土地を得るためには、この坂の部分への進出が一番手っとり早かったのであろう。
 したがって、災害をなくすにはこの規制区域からの集団移転が最も効果的である。がけ地近接等危険住宅移転事業という制度もあるが、住み慣れたところからの移住はなかなか難しい。かといってハード的に対応するにも限度がある。町中灰色のコンクリートで覆って要塞都市のようにする訳にもいかない。そうなると災害の予知予測が重要になってくる。

3.シラス災害の種類

 戦後、食料増産のかけ声の下、シラス台地が大規模に開発された結果、主として侵食による大規模な農地災害が発生した。その後適切な水処理が行われて一時災害はなくなったかに見えたが、人口の都市集中に伴って都市型災害が激発するようになった(岩松・下川,1982)。これに応じて崩壊のメカニズムも“シラス崩れ”から風化したシラス(表土層)やシラスを覆う降下軽石(ボラ)の“表層すべり”へと変化していった。したがって、小規模群発の傾向があり、都市域で発生するため人的被害が大きくなっている。
Fig.2 Relation between weathering and cycle of landslide
 表層すべりのメカニズムは単純明快である(Fig.2)。崩壊が発生して裸地が出現すると、先ず草本が侵入する。そこへ日向を好む松などの陽樹の種子が飛来して来て群落を形成する。これら陽樹の生長と共に下草が枯れ、やがて日陰を好む陰樹にとって替わられる。いわゆる植物遷移である。こうした植生の変化に対応して、地下では風化が進み土壌が形成されてだんだん厚くなっていく。斜面傾斜との関係である一定の限界に達すると崩壊が発生し、再び裸地が出現する。いわば崩壊輪廻とも言える周期性がある。下川・他(1989)によれば、鹿児島市内のような傾斜数10度の斜面(縄文海進後陸化してしまった古い海食崖)では、80〜100年経って土壌の厚さが数10cmに達すると崩壊するという。現在の海食崖は70〜80度と切り立っているので、20〜30年経って土壌の層厚が20〜30cmになるとすぐ崩壊してしまう。こうして何十年かに一度の割合で斜面は更新され、がけが後退していく。いずれにせよ風化部分の表層がすべるだけであるから、崩土の量はごく少ない。前述のがけ下の坂はこのときの産物である。
 なお、シラス斜面上に降下軽石や火山灰が堆積している場合には、“ボラすべり”が発生する。ボラはほとんど軽石のみからなるため、極めて淘汰がよく地下水の良好な透水層となるから、ボラ層最下部は地質時代を通じて粘土化が進行している。そこが人工的に露出させられたりすると、いわば滑り台をすべるようにしてボラすべりが起こるのである。ボラ層は鹿児島市内の急斜面では層厚1m程度とかなり厚いため、崩土の量が多くなり、それだけ被害も大きくなる。蛇足ながら垂直がけの剥落は崩土量が少なく災害には至らない。
 以下、こうしたシラスがけの表層すべりに限って災害の予知予測について考えてみたい。

4.災害の予知予測

 東海地震が喧伝されてから、予知というといつ地震が起きるかといった時間的予知が全てであるかの印象を与えている。しかし、予知には空間的予知もある。どこでどのような災害が起きる可能性があるかということがわかれば、事前の防災対策をとることができる。すなわち、いつ災害が起きようとそれに対処できる防災都市づくりを行うことが肝要なのである。寺田寅彦(1935)が「地震の現象」と「地震による災害」の峻別を唱え、「現象の方は人間の力ではどうにもならなくても災害の方は注意次第でどんなにでも軽減され得る可能性がある」と訴えたことの意義をもう一度かみしめる必要があるのではないだろうか。少なくとも新規の開発に当たっては防災アセスメントを義務づける必要があろう。
 もちろん、集中豪雨時の避難など短期的な場合には、時間的予知は欠かせない。シラス斜面の場合、降り始めからの累計雨量が250〜300mmに達し、時間雨量が50mm程度を超すと、がけ崩れが始まる。しかし、集中豪雨のようなメソスケールの擾乱では豪雨セルの大きさは気象庁の観測網よりはるかに小さい。現に1986年の災害では、現場では300mmを超えていたのに、2・3Km離れた鹿児島地方気象台では195mm、そこからさらに11Km離れたアメダスはわずか1mmであったという。気象台の発表や役所の避難命令を待っていては手遅れになる危険がある。コップか牛乳瓶を外に出し、2時間で一杯になったら時間雨量50mm程度であるから、がけ下に住む人は避難したほうがよい。これだけでかなりの人命が助かるであろう。

5.災害の空間的予知と成人病検診

 しからば、無数にあるシラスがけから危険な個所を洗い出すにはどうしたらよいのであろうか。片端からしらみつぶしに詳細な地質調査をするには莫大な費用と時間がかかる。もっと効率的な方法はないものであろうか。その点で、成人病検診のやり方が参考になる(Fig.3)。先ず保健所の検診車が街角まで出かけて行って間接撮影による集団検診を実施する。これによって抽出された要注意者については、病院でバリウムを飲ませて直接撮影を行う。さらに要精密検査者には内視鏡検査や組織検査を行い、その中の要治療者には最終的に外科手術をするといった手順である。
Fig.3 Analogy between disaster prevention survey and medical examination on adult's disease
 斜面崩壊の場合、間接撮影に当たるものは、地形や植生などのような外観で分かるものを用いた広域調査であろう。行政には斜面災害の専門家がそれほど多数いる訳ではない。地質・土木・砂防などの技師が、多少の畑違いはあっても、力を合わせなければとても広範囲の調査はできない。そこで岩松(1987)は、市販表計算ソフトLotus1-2-3を用いた非専門家支援のアプリケーションソフトを開発した。これをノートパソコンやパームトップパソコンに入れて現地踏査に携行するのである。手法としては数量化理論第U類が用いられており、斜面形態・平均傾斜・植生などのアイテムの崩壊寄与率が比較的高い。前述の崩壊輪廻からもわかるように、地下水が集中しやすい谷型斜面のような地形構造をしていて、樹齢の比較的高い広葉樹の繁っているところが要注意である。
 しかし、アイテムやカテゴリーが多くなると、いちいち全ての項目に入力するのがわずらわしいし、省エネに反する。明らかに危険とか明らかに安全と判断できた段階で評価を打ち切りたい。やはり人工知能(AI)的手法の導入が望ましい。岩松(1988)は、パソコンレベルで動く評価エキスパートシェル「コギト」を使用した。これは動燃事業団が開発したもので、推論機構は、新鉱床を発見したとして名高いPROSPECTORをベースとしており、地質屋にとっては使い勝手がよい。このようなソフトを上記の技師たちに持たせて人海戦術を行えば、かなり短期間に広域をカバーすることが可能になろう。
 次に、上記のAIが危険と判定したところについては、直接撮影を実施する。つまり、表土層の層厚やボラの有無、埋没谷の有無などを地質現地踏査によって調べるのである。層厚程度なら検土杖(ボーリングステッキ)でもおおよそわかるが、できれば簡易貫入試験を実施したい(Fig.4)。標準貫入試験と違って、急斜面でも持ち運びができるし、N値も換算で求まり、土層断面図まで描くことができる。
Fig.4 Weathering zoning of shirasu based on sounding
 内視鏡検査に当たるのは電気探査やボーリング調査などの精査であり、切開が不要なら水抜きボーリング等で内科的に処置する。外科手術がどうしても必要な場合には防災工事を行う。がけ下住宅の移転が不可能ならコンクリートを貼り付けるのもやむを得ない。

6.シラス災害ハザードマップ

 上記のような手順を追えば、比較的効率よく広域の調査が実施できるものと思われるが、防災工事の完了まで手をこまねいている訳にはいかない。予算の関係もあり、長年月を要するに違いないからである。やはり、集団検診が終わった段階か、できれば直接撮影が終わった段階で、危険度ランクを付記した災害予測図(ハザードマップ)を公表し、住民に自分がどのようなところに住んでいるのか周知徹底すべきであろう。従来は地価が下がるとか、いたずらに恐怖をあおるなどといった理由で公表をためらう空気があった。しかし、人の命は地球より重いのである。勇断が必要であろう。また、事前に危険個所を知っていたのに、対策を講じなかったのは行政の怠慢として、被災者がすぐ告訴する風潮も行政が予測図作成をためらう一因ともなっている。予知不能だったと逃げれるからである。アメリカ的に何でも裁判に訴える風潮は必ずしも災害をなくすことにはつながらないのである。
 その他に、予測の精度がまだまだ低いという問題もある。危険度のランクが高いところが崩れず、低いところで災害が発生することも起こり得る。前者は地価が下がった経済的損失を被るし、後者は安心させただけかえって重大なマイナスの影響を与えたことになる。人命が失われた場合には取り返しがつかない。今の段階では決定論的な予測は無理であるから、確率論的な予測図を公表するしかないであろう。利用者側にもこれを参考に「疑わしきは避難せよ」といった発想の賢明な利用の仕方が求められる。
 このことは、われわれ研究者側にもっと厳しい研鑽が求められているということを意味する。狼少年的な警告や災害が起こった後の“事後予知”や解説、「明日かも知れないし数百年後かも知れないがいずれ必ず起きる」といった無責任な“予知”など、目に余るものがある。人間の尺度からすれば、数百年後なら土地利用して差し支えないし、数年後なら直ちに工事を行わなければならない。地質学の根本“法則”に「現在は過去の鍵」という概念があるが、「過去は未来の鍵」として近未来の定量的予測ができなければ、地質学は単なる趣味か解説・解釈の学問として退けられ市民権を失うであろう。

7.おわりに

 緊急時の災害情報伝達や避難誘導、あるいは被災者救援・災害復旧といったことだけでなく、こういった文字通り災害を未然に防ぐ防災戦略についても行政でご検討いただきたい。こうした戦略の下、住民に正しい災害知識を普及し「自らの命は自ら守る」を基本とした自主防災組織を組織して、死亡ゼロを是非とも達成したいものである。
 最後に、災害で犠牲になられた多くの方々のご冥福をお祈りする次第である。合掌。


1) シラスとは火山灰質の白い砂層を意味する鹿児島地方の方言であるが、最近では入戸火砕流堆積物(22Ka)の非溶結部に限定して使われる。後述のボラも方言で、降下軽石堆積物を指す。鹿児島市近傍でシラス台地を覆うボラは薩摩降下軽石(11Ka)に当たる。
2) ハンマーで打撃を加えて採取した以上、当然、組織が乱されている。自然状態では直立したがけでも結構もつものである(火山ガラスのインターロッキング効果のせいとの説もある)。水を含んだだけで簡単に崩れるのなら100mもの高さのシラス台地が2万年間も存在し続けるはずがない。今頃は侵食し尽くされて豊かな穀倉地帯になっているであろう。同様に、乱したシラスで斜面模型実験をやるのも問題がある。さらに、あまりにシラスのもろさを強調しすぎると、逆にシラスがけでないところに住む住民に安心感を植え付け、避難を遅らせるマイナス効果を及ぼす恐れもある。
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更新日:1997年8月19日