岩松 暉著『山のぬくもり』39


進路熟考

 今日の教授会で3人の休学を承認した。いずれも「進路熟考のため」という理由である。不本意入学者だったのだろうか。しかし、中の一人は大学院生である。唖然とした。大学を卒業すればその道のプロ、まして大学院は、さらにその先を極めたい人が進学するところだ。いったいどうなっているのだろう。
 一昔前の休学理由は判で押したように「病気療養のため」だったし、大抵診断書が付いていた。退学は「経済的理由」だった。もちろん、今のような「学習意欲の喪失」といった理由は皆無である。したがって、退学や休学が議題に上ることは稀だったから、その学科主任は、教授会の席上で事情説明をさせられた。「家業が倒産したので働くことになりました」「次学期から授業料免除することにして、それまでアルバイトで何とかやっていけませんか」といったやりとりがあった。しかし、今は一覧表に列挙して提出され、機械的に承認される。いちいち事情説明などない。
 進路熟考するのは本来高校時代である。もっと本をたくさん読み、人生を考えるゆとりがあって欲しいものだ。コンピュータが偏差値で志望校を決めてくれるようなシステムは、早急にやめなければならない。大学時代は人生でもっとも充実した青春時代である。不本意な学科に進学して、もんもんと無意義に過ごすのは何とももったいない。

(1997.11.19 稿)


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更新日:1997年11月19日