岩松 暉著『山のぬくもり』38


ブランドの終焉

 教え子の結婚式が終わった後、新郎の上司である課長・係長から二次会に誘われた。この二人も教え子である。飲み屋に入るや、いきなり「近頃の鹿大はいったいどうなっているのですか。最近の卒業生は露頭を見るセンスが全くない」と詰問された。役員たちは鹿大ブランドのイメージをまだ持っているから、鹿大出身といえば、入社試験で優先的に採用してくれる。ところが肝心の新入社員が全くなっていない。鹿大卒に対する期待と現実との狭間で、自分たちが一番つらい立場に置かれるというのだ。恐らくそっとフォローしてやっているのだろう。「もう鹿大からは採りませんからね。役員たちには、わが社は鹿大卒が多くなりすぎて閥になりそうだから、そろそろ採用を手控えましょうと進言しました。」と宣告されてしまった。そこへ新郎新婦が二次会場へ挨拶に現れた。すでに散々とっちめられたことを知らない新郎から、またまた同じ趣旨の詰問を受ける始末。やれやれ、披露宴の心地よい酔いもすっかり醒めてしまった。
 卒業生の質が変わったのには理由がある。博士課程設置が日程に上り、教員の資格審査が待っているし、その上教員任期制が法定されようとしている。教員が生き残っていくためには、何が何でも論文数を増やさなければならない。フィールドを歩いて地質図など作っていては、1年に1編の論文が書ければよいほうである。分析機器を駆使してデータブックのような論文を量産するのが早道だ。勢い学生にもそうしたテーマを与え、結果として学生をデータ出しのテコに使うことになる。あるいは、教育に手を抜いて研究に専念するほうが得策であるとばかり、教育を雑用視する傾向が出てきた。これは全国的な風潮であり、わが鹿大だけの特殊現象ではない。教員も生活がかかっているのだから責めるのは酷だ。鹿大ブランドはもうおしまいである。産業界から猛反発が出て、見直しが図られるまで、ここ10年くらいこうした傾向が続くであろう。その時、フィールドサイエンスを教えられる教員が残っているだろうか。

(1997.7.13 稿)


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更新日:1997年8月19日