岩松 暉著『山のぬくもり』36


卒論テーマ

 大学を卒業するためには卒論という関門がある。大時代的に言えば大学は最高学府であり、次代を担う人たちを養成するところである。人の命令に従って動く人間ではなく、新しい分野を切り開いていく人間を育てなければならない。卒論や卒業研究はそのための絶好のトレーニングになる。自分の頭で考え、自分で解決方法を見出さなければならないからである。しかし、今の学生は研究というと、小学校の夏休みの自由研究を連想するらしい。結論がわかっていて、追試をするようなことである。あるいは決まり切ったルーチンの仕事を望む。折角の青春の一時期、1年間汗水垂らして没頭するのだから、好きなことをやればよいではないか、そしてちょっぴりでもよいから何かオリジナルなことをやろうとけしかけても、私ごときにそんな大それたことをと尻込みする。まして、与えられたテーマを与えられた方法でやるのでは、人に顎で使われる職人しか育たない。卒論テーマは自分で決めろとなどと言うと、手も足も出なくなる。
 もちろん、ただ突き放すだけでは無責任である。3年後半の半年、テキストブックなどじっくりと読み、視野を広げた上で大いに考えるよう指導している。ところが、昔のやり方は今の指示待ち人間には通用しない。まずどんな本を読んだらいいのですか、と来る。なるべく出版年が新しくて総括的なものがよい。それも論文集のような大勢で書いたものより、単著のほうがフィロソフィーがわかって味わいがあるなどと言ってもダメである。インターネットで即座に検索できる時代だというのに、いくつか具体的に推薦しなければならない。今度は本屋にありませんでしたという。注文すれば取り寄せてくれるよというと、高すぎると本音が出る。一生の仕事になるのだから専門書くらいは買っても良さそうなものだが、貧しいのかと思って、図書館を探せという。中央図書館になかったとまた言ってきた。それなら、他学部の何々先生の研究室にあるはずだというと、お留守でしたとすましている。もうここまできてあきれ果てた。もしもその先生が海外出張中で1年間留守だったら、留年する気なのだろうか。やれやれ、こんなに手取り足取りしなければならないようでは、受け取る側の企業も大変だろう。昨日と同じものを今日売っていれば、明日はつぶれるのが厳しい企業社会である。とても会社をリードしていく幹部候補生にはなれまい。それでもしばしばやってくる学生はよいほうで、なるべく教師を避けて逃げ回っているのがかなりいる。

(1997.3.30 稿)


前ページ|ページ先頭|次ページ

連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1997年8月19日