岩松 暉著『山のぬくもり』18


建て前

 私は中学校の正門前に居を構えている。毎朝校門指導というのがある。先生と当番の生徒さんたちが並んで、「おはようございます」と声をかける。この朝の挨拶でスキンシップが深まり、いじめなどが解決すると思っているのだろうか。昔は、丸刈りの髪の長さが長いとか、スカートの丈が短すぎるとか、服装の点検もやっていたが、さすがに今はもっぱら遅刻の監視である。「あと1分、走れ!」と大声を上げる。それまでダラダラ歩いていたのが、その一声でドタドタと走る。先生の前だけで、校門を過ぎてしまえばまた元に戻る。私はいつもニヤニヤしながらそれを見ている。
 第一、遅刻を取り締まっている先生方自身がどうなのだろうか。学校の周辺はスクールゾーンだから時速20km制限である。毎朝、遅刻寸前や遅刻した先生の車が猛スピードで突進してきて危なくてしょうがない。私が車庫から車を出そうとして、鼻先を猛スピードでかすられ、ヒヤリとしたことが何度もある。自分たちが実行できないのに生徒だけに要求しても、聞いてくれるわけがない。建て前と本音を使い分ける大人の虚構を敏感に感じ取っているからである。先生が心から信頼されていないようでは、いじめ問題など解決するはずがない。
 しかし、その先生を養成しているのはわが大学である。オートバイは24時間乗り入れ禁止で、モータープールに乗り捨てなければならない。門衛さんの勤務中はキチンと守られ、一昔前のように「ロックアウト反対!」などと抗議する者は一人もいない。長いものには巻かれろ、権力には弱い。ところが、門衛さんがいなくなったとたん、平気で歩行者天国をバイクで走り回る。先生の卵たちがいる教育学部キャンパスでも同様である。ちゃんと建て前と本音を使い分けている。
 やはり教育が間違っている。物事の本質を真に理解させるのではなく、結論や公式だけを暗記させるのにも通じている。試験問題が解けていい点が取れれば分かっていなくてもよいのだし、表面的にいじめがなくなって学校が静穏になればよい、こうした風潮が払拭されない限りダメだろう。家庭や義務教育が悪いからこうした学生が出現したのか、将来の先生を養成している大学が悪いから学校がダメになったのか、鶏と卵の話になる。責任のなすり合いではなく、自分の今いるところで努力するしかないだろう。

(1997.1.15 稿)


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更新日:1997年8月19日