岩松 暉著『山のぬくもり』15


小鳥になった酋長の息子

 アイヌ民話にこんな話がある。武勇の誉れ高い酋長に一人息子があった。大変優しいおとなしい子で、笛の名手だった。しかし、一人前の大人と認められるには関門がある。たった一人で熊や狼のいる森の中で一夜をあかしてこなければならない。酋長は、息子が勇気のある逞しい男であることを立証して欲しかった。そうしてこそ酋長の跡継ぎになれる。いやがる息子を森へ追い立てた。翌朝、心配しながら迎えに行くと、息子の姿はなく、かわいい小鳥が一羽、よい声でさえずっていたいう。
 今の若者は優しいと言われる。競争社会を勝ち抜いてきた企業戦士たちから見ると、恐らく物足りないだろう。根性がないと言うに違いない。かく言う私の息子も、母親に似たのか、大変心優しい。小学校時代からの障害を持つ親友を大切にしている。そこが彼の長所である。しかし、小さいときから、誰々ちゃんはすごいんだよと人をほめるが、自分もそうなりたいとは思わないらしい。欲がないのである。はてさて、酋長のように、志を持て、チャレンジせよと競争に駆り立てたほうがよいのか、本来の長所をそのまま生かしてやったほうがよいのか。今でも就職超氷河期と言われているが、間もなく産業空洞化が進んで確実に大失業時代がやって来る。終身雇用制が崩れ実力社会になる。窓際族なる語があったのは、まだ終身雇用制があったときの古き良き時代の話である。今実力を付けなければ、ホームレスにならずとも過酷な人生が待っている。それは分かってはいるが、酋長の道をとるのも躊躇される。民話の心はそこにない。ギスギスと競争に明け暮れしなくても、それぞれところを得て穏やかに幸せに暮らせる時代にならないものだろうか。悩みは深い…。

(1997.1.13 稿)


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更新日:1997年8月19日