岩松 暉著『山のぬくもり』8


大学全入時代

 リクルート社の予測によると、2009年には大学・短大の定員割れが始まり、大学全入時代が到来するという。大学志願率が上昇し続けるとの仮定の下に試算した結果である。平成不況になって親の収入も苦しくなったから、進学率はそれほど増大しないとすれば、もっと早く全入になる。この結果をもとに、同社では「将来の大学は今の高校のような位置づけになり、高等教育機関は学部から大学院に重点を移す」と見ているという。
 これはゆゆしい事態、一人立ちの年齢が20代後半になるということは大いに問題がある。確かに今は長寿社会である。しかし、寿命が延びたのは、医学の進歩と栄養の普及の結果である。人類の歴史は高々500万年に過ぎない。進化の過程では、人間の身体はまだ人生50歳用にしかできていないのである。最近若年性痴呆症(40歳後半〜50歳代のボケ)が話題になっていることがそれを示している。骨内カルシュウム値は25歳前後から減少し始め、やがて骨粗鬆症になる。「25歳がお肌の曲がり角」という化粧品のコピーもある。肌だけではない。頭脳活動のピークもそこら辺なのである。若い柔軟な頭脳を受験勉強に空費して、大学院で今の学部程度のレベルの教育を受け、さて30代になってから真に創造的な仕事ができるであろうか。所詮無理であろう。
 また、20代に実社会に出て額に汗することを覚えなかった者が、30代〜40代になってできる訳がない。20代にフィールドをせっせと歩いた地質屋はいくつになっても山を歩くことを苦にしないが、若いときに経験したことのない人は絶対にやろうとしない。理屈で必要性が分かっても生理的に受け付けないのである。
 先に述べた長寿社会の前提である医療と栄養も、結局、日本が経済大国になった成果である。戦中戦後の貧しい時代に育った人たちが営々と働いて築いてきたのだ。しかし、今や産業空洞化の時代、製造業の中心はニースに移りつつある。研究開発の分野でトップを行くしか日本の生き残りはない。それが先のような事態で、若い頭脳の空費を続け額に汗することを厭うようだと、経済大国の位置を維持することは難しい。またもや貧しい人生50時代に逆戻りするのであろうか。
 そこで考え出されたのが飛び級制度なのだろう。現在大学は大衆化が進んで大幅にレベルダウンしているが、折角潜在能力のある人も、全体に足を引っ張られて伸びていない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」時代に、孤高を保って勉強し続ける人は稀なのである。社会主義国のステートアマのように幼少時から英才教育をすれば、偏った分野の得意な専門バカが飛び級制度の恩恵を受けることも可能であろう。しかし、中学生が司法試験に合格したとしても人生経験の少ない者が人情味溢れる弁護士になるとは思えない。ましてエリート官僚にでもなられたらたまったものではない。幅広い教養に裏打ちされ、専門分野でも秀でた人が多数出てこそ社会全体の牽引車になり得るのである。
 ではどうしたらよいであろうか。全入時代を逆手に取り、欧米のフリーアドミッションと同じような制度を確立することである。全入なのだから、暗記詰め込みの受験教育は一切やめ、高校では実験実習を復活し、もっと学問の面白さを教える。古典文学をたくさん読むのもよい。一方、大学では毎学年厳しく審査して成績不良者はどしどしふるい落とす。そうして大学卒にふさわしい者だけを世に送り出すのである。現在の日本の大学は入るのは難しく出るのは易しい。中退者は、何か欠陥人間でも見るような世間の目もあり、企業でも受け入れてくれない。それ故大学側は、どんなにひどくても卒業証書を出してしまうのである。欧米では、途中で学費を稼ぐためにしばらく大学を離れたり、後から入り直したり自由である。大卒でなくてもそれなりの職がある。わが国でも大学中退を許容する寛容さが欲しい。大学と社会との関係がもう少し柔軟であってもよいと思う。
 さらに言えば、猫も杓子も大学を目指す必要はない。親の言い付けで、学問が嫌いなのに大学に入ってきた人は悲劇である。大学教育について来れない低学力の人も毎日が苦痛の連続でしかない。結局、連日のゲームセンター通いとなって留年を何年も続ける。人生で一番大事な青春時代を無為に過ごすのはあまりにもったいない。最初から自分の適性にあった分野へ行ったほうがはるかに充実した人生を送ることができる。「良い大学に入り、良いところに就職し、安楽な人生を」といった考えはそろそろ捨てたらどうだろうか。エリート大学卒高級官僚の末路を見れば哀れではないか。世の親御さんたちのご一考をお願いする。

(1997.1.2 稿)

<注>
 1997年1月29日大学審議会が答申を出し、ベービーブーム対策の臨時増入学定員約10万人の5割を通常定員に組み込むことを認めた。これによって、リクルート社の予測と同様、2009年度には全入時代が到来するとしている。権威ある大学審議会の答申だから実行に移されるに違いない。ヤレヤレ。
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更新日:1997年8月19日