岩松 暉著『山のぬくもり』5


大学生する

遊ぶために大学生する  左の写真はJR山手線の吊り広告(1992)である。「大学生する」などというサ変動詞があることを初めて知った。「JRめ、ケシカラン」と怒る前に、うなってしまった。敵もさるもの、日頃のマーケットリサーチの成果であろう。「遊ぶために大学生する」とは、現代学生の本質をズバリと突いている。世間はバブルが崩壊し、平成不況が到来して大変なのに、学生たちには実感がないらしい。バブル期に育ったのだから無理もない。ある教授が言っていた。「バカにつける薬はないが、勉強をしない学生につける薬はある。それは不況だ。」と。しかし、どうもこの説はあやしい。大学とは、昔はプロを目指して入学してきた学生を鍛える場だったが、今ではいやがる学生を追い回すところでる。「入りたい大学より入れる大学」という基準で学科を選んだのだから、就職氷河期になったとて、その学問に急に身が入るわけではない。4年になるとリクルートスーツに身を固め会社訪問に精を出す。ますます卒論はそっちのけとなる。遊び呆けて教養もなく専門もダメな人間を世に送り出していいのだろうかと自問自答する今日この頃である。PL法(製造物責任法)が大学に適用され、賠償でも請求されたら、大学は倒産しかない。

(1996.12.28 稿)


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更新日:1997年8月19日