岩松 暉著『山のぬくもり』4


8・15ギャップ

 1996年8月15日は国際地質学会議三峡ダム巡検の初日だった。船着場で船を待つ間自己紹介が行われた。以前から揚子江を見たいと切望していたから、"I'm happy today."とやってはっと気が付いた。そうだ今日は終戦記念日だ。そのまま続けて「今日は第二次大戦が終わった記念日である。大戦中日本軍の蛮行により中国国民に多大の被害を与えたことをお詫びする。これからは、今回の巡検仲間と同じように、世界中の国々が仲良くしていきたいものだ。」と独りでに口をついて出た。
 しかし、その夜、船室のベッドで考えた。中国人にとっては、今日は抗日戦争勝利記念日(韓国では光復記念日)である。決して単なる終戦ではない。8・15ギャップのことを忘れていた。また、日本の軍隊ないし軍部だけが悪いので、われわれ日本人一般は、それと距離をおいた第三者なのだろうか。英語が下手なせいもあって、上記のような言葉しか浮かんでこなかったが、単に語学の問題ではなく、私自身の思想の反映ではないのか。私は台湾からの引き揚げの直後母を亡くし、幼い頃苦労したため、自分は戦争の犠牲者との意識が強いが、台湾人から見れば植民地支配層の一員だったのではないだろうか。父は民間人だったし、台湾の人々から慕われていたから、その息子であるが故に私が台湾に行けば今でも親切にしてもらえるが、その父とて台湾人の上に君臨した特権階級であったことには間違いない。さらには、従軍慰安婦のことなどなど、いろいろなことが心に浮かんで、なかなか寝つかれなかった。
 最近になっても、大臣の歴史認識が国際問題になって、辞任する騒ぎが繰り返されている。彼らは戦前の皇民教育を受けた老人たちではない。私よりも若い戦後世代も多い。いわゆる戦後民主教育・平和教育を受けて育った世代である。したがって、彼ら保守政治家だけがごく稀な例外なのではなく、日本の国民一般に加害者としての自覚が足りないからこそ、性懲りもなく吹き出物のように噴出するのだろう。どうしてこのようなことが起きるのだろうか。いくつか理由が考えられる。
 まず第一に、南京大虐殺にしろシンガポールの華僑虐殺にしろ軍隊の残虐行為が日本を遠く離れた海外で行われ、直接国民が見聞していないことが挙げられる。ナチスドイツのように目の前で行われた訳ではない。実際に国内で経験したのは、東京大空襲であり、広島・長崎の原爆である。学童疎開や食糧難もあった。とくに原爆は非戦闘員を直接の標的とした史上最悪の大殺戮であり、しかも投下したアメリカ本国は無傷で繁栄を誇っていたから、そのコントラストもあって、日本人には戦争で被害を受けたのは自分たちだとの意識が強く植え付けられてしまった。アジア太平洋科学者会議で、ベトナムだったか東南アジアの代表が、「日本人は原爆で被害者意識を持ってしまったが、原爆投下のニュースを聞いて涙して喜んだ人がいることを忘れてはならない」と演説したという。原爆投下は日本の降伏すなわち自国の解放を意味したからである。第三に、戦後民主教育・平和教育の一面性を指摘しない訳にはいかない。「戦争反対・原爆反対」を積極的に教えたが、「日本の加害責任」についての教育が軽視されていたことは否めない。反米に傾きがちでアジアへは目が向いていなかった。敗戦と共に、今まで弾圧されていた左翼とくに共産主義者たちが中心になって労働運動・社会運動を組織した。初代日教組委員長は後の共産党参議院議員岩間正男氏である。天皇制と軍国主義に一貫して反対してきたとの自負から、自分たちは絶対的に正しく、悪かったのは軍部・財閥・保守政治家であるとして、国民は一方的な犠牲者だったと位置づけた。そこから前述の一面性が生まれたのであろう。一方、保守政治家のほうも「一億総懺悔」を唱え、自分たちの戦争責任を回避する策を取った。「あいまいな日本人」が育った所以である。こうして8・15ギャップが解消されないまま、国際感覚に乏しい戦後生まれの政治家が輩出したのである。ナチス戦争犯罪の時効停止までして、自らの加害責任の追及と被害者補償に国として誠実に取り組んだドイツと決定的に違う点である。
 今からでも遅くはない。アジアの人々と歴史を共有しなければならない。国際地質学会議に行った大学院生が帰途一人で南京へ回った。戦争博物館を見て深刻なショックを受けたらしい。知識として理解しているのと、肌で感じるのとは大違いである。パック旅行で忙しく観光地を巡り、ショッピングを楽しむのもいいが、若者たちが個別に出かけ草の根の交流をしてくるのが何よりと思う。日本から出す留学生が欧米に偏っているのは早急に是正する必要がある。大学での語学教育も英独仏に重点が置かれ過ぎている。中国語やハングルの比重も抜本的に高める必要がある。脱亜入欧はもうやめるべきだ。若者たちが個のレベルでアジアの若者と歴史を共有し共感したとき、日本ははじめてアジアの一員として迎え入れられるであろう。

(1996.8.16 稿)


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更新日:1997年8月19日