岩松 暉著『二度わらし』34


アルキメデスとピタゴラス

 ご存知アルキメデスは浮力を発見した人である。風呂に入っていて思いつき、喜びのあまり裸で飛び出したエピソードは名高い。ここまで読んで、何で陳腐な話を、と思った方はもう立派なオジサン・オバサンである。浮力を知らない大学生もいるといったら、驚かれるであろうか。大学の先生なら、笑ってうなずくであろう。
 土質力学に土圧という概念がある。構造物を載せた時の圧力など高級なことをやる前に、何も載せない状態で地下水面よりも深い位置における土圧について質問してみた。単純な浮力の問題である。ところが驚いたことに、誰一人出来なかったのである。そこで、潜水夫は潜水病に罹ると言うが、水深10mで水圧はどのくらいかと問い直してみた。それでもわからない。そこで、工業高校の土質力学の教科書を紹介し、必ず試験に出すからよく読んでおくようにと言った。その上で、章末の演習問題ではなく、本文中の簡単な例題を期末試験に出した。見事全員不可であった。今度はモールの応力円の話で、法線応力σと接線応力τの式から剪断面角θを消去せよと言ったところ、これまたθ=ルートなんとかとごちゃごちゃやっていて、結局出来ませんと降参した。ピタゴラスの定理を機械的に適用するだけの問題なのに、ギリシア文字だと動転するのだろうか。どうもそうではなさそうだ。クーロンの破壊則で、岩石の内部摩擦角は約30度だと言ったら、本当に30をかけ算した者もいるからである。おいおいタンジェントだろうと言うと、タンジェントって何ですかと質問された。これには絶句したしまった。
 最近は中学・高校の指導要領もずいぶん変わったそうだから、本当に教わらなかったのだろうかと思って、本屋で「中学理科の要点」という本を買ってきた。やはり圧力や浮力のことは載っていた。もちろん、三角関数も教わっている。
 今の学生は、勉強とは単位取得のための必要悪だと思っているらしい。単位を取ったらすっかり忘れてしまうのである。教育学の先生によると、学力剥離型人間というのだそうだ。小学校1年生で習った足し算引き算も忘れたのだろうかと心配になる。
 以前は、お互いの講義内容がダブらないように調整しようと話し合ったりしたものだが、今や古き良き時代の昔話である。最近では、どんなに重複してもかまわないから、重要事項はいろいろな講義で繰り返し繰り返し話をしようということになっている。

(1998.12.20 稿)

<追記>
 南日本新聞1999年元日号に「文系大学生の数学力ぼろぼろ―小学生レベルの計算も怪しい―」という記事が載っていた。分数・小数の計算もおぼつかない大学生がいるとあった。戸瀬慶大経済学部教授と西村京大経済研教授の調査によるという。昔のように『マルクス曰わく』と訓古学をやっていた時代と異なり、今の経済学は計量経済学が主流になったから、数学に弱い学生が来ては、さぞ困っておられるだろう。こちらは理系だから、もっと大変である。両教授は「このままでは日本の将来は危うい」と訴えておられるそうだが、全く同感である。

(1999.1.1 稿)


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更新日:1999年1月1日