岩松 暉著『二度わらし』33


ボキャ貧

 今年の4月、今の学生はボキャブラリが貧困で、愕然という語も知らないと書いたら、その後ボキャ貧首相が誕生した。一国の総理がボキャ貧なのだから、その国の学生がボキャ貧なのはやむを得ない。「愕然」では、新入生のことだったが、大学に入って何年か経った専門生でも、われわれとの日常会話が理解できない者もいる。まず漢語はダメ。ある大学の先生から聞いた実話だが、「今日の講義の要旨を書け」と言ったら、「ようしって何ですか」と質問された由。Abstractと言い替えたら、もっとわからないに違いない。もちろん「暗中模索」といった四字熟語はほとんど知らない。そう言えば昭和20年代、曲学阿世などとののしった首相がいたっけ。
 若い同僚が同音異義語でシャレを言ったけれど、全く通じなかったことがある。逆に、学生の発言で、最初はシャレだと思って大笑いしたが、本人は大真面目で本当に意味を取り違えていたこともある。試験やレポートの文章でまともな日本語になっているのは少ない。「非難命令」のような誤字はザラで、学生の文章を集めれば立派なジョーク集が出来あがる。
 しかし、思考は言語で行われる。相対性という概念を知らずに相対性理論は生まれないのである。最近の学生は、自分の頭で考えようとせず、すぐ正解を聞きたがる。思考が苦手な原因の一つがこのボキャ貧であろう。これからの日本は、物真似・加工から、新技術の開発へ移行しなければ、ニース諸国に追いつかれてしまう。ジョーク集などと笑ってはいられない。ボキャ貧首相の内閣は短命だろうが、次代を担う学生がこれでは日本の将来が心配である。

(1998.12.19 稿)


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更新日:1998年12月19日