岩松 暉著『二度わらし』29


ダムはムダ?

 『ダムはムダ』という本を読んだ。なかなか説得力がある。アメリカでも巨大ダム建設を中止したという。塩害などマイナス面が大きいかららしい。早速日本でもこうした論調を援用して、ダム建設中止を訴える人が増えている。しかし、大陸と日本では条件が違う。アメリカが中小ダムをたくさん造ることに切り替えたといっても、アメリカの中小ダムは、わが国にとっては巨大ダムに当たる。それに乾燥地帯と違って、日本は「湯水のごとく使う」とか「水に流す」という言葉があるくらい降水量の多い国である。塩害の恐れなど全くない。機械的引き写しは当を得ていない。
 ではダムはマイナス面だけだろうか。歴史を振り返ってみたい。紀元前3世紀秦の時代、蜀の太守李冰(りひょう)が都江堰(とこうえん)という大ダムを造った。岷江(みんこう)の洪水を防ぎ、成都盆地の灌漑を行ったのである。以来四川は今に至るまで穀倉地帯となっている。わが国でも、香川県の満濃池は大宝年間に造られたと言われているが、弘法大師空海が弘仁12年(821年)に築池別当として修築に当たったとして名高い。雨の少ない瀬戸内気候の讃岐が穀倉地帯になったのは、このような溜池を無数に造ったからである。鹿児島でも、高隈ダムを造ってから、不毛のシラス台地と言われた笠野原台地が見事な畑作地帯と化した。建設当時は激しい反対運動があったという。1994年の高松の渇水騒ぎでは、高知県の早明浦ダムが唯一の頼りだったことは記憶に新しい。
 このようにダムは多くの利益をもたらしているのは事実である。しかし、自然の摂理に反して河川をせき止めている以上、何らかの悪影響は避けられない。昔は湖底に沈む村人が反対運動の中心だった。つまり、生活権が主要な論点だったが、最近は環境問題が前面に出てきている。確かにダムの堆砂やそれに伴なう海岸侵食の助長、あるいは貴重な動植物が失われるなどいろいろ問題も多く、なるべく造らないに越したことはない。しかし、昨年鹿児島では、一方で北薩の出水で土石流災害があったのに、南薩では渇水で池田湖の取水を巡って争いがあった。福岡市は慢性的に水不足である。日本の現状では、ダムはある程度まだ必要である。どうしても造らなければならないのなら、なるべく生態系を乱さない慎重な配慮が求められる。
 一方で、われわれも節水に努め、中水道の循環利用など、水の有効利用を図る必要がある。毎日朝シャンをやり、全自動洗濯機で水を大量消費しながら、ダム建設反対・自然を守れなどという資格はない。
<文献>フレッド・ビアス著、平澤正夫訳(1995):『ダムはムダ―水と人の歴史―』 共同通信社, 416pp.

(1998.11.15 稿)


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更新日:1998年11月15日