岩松 暉著『二度わらし』23


遊牧と共生

 ゴビ砂漠へ行ってきた。砂漠というから砂丘の連なりをイメージするが、実際は背丈の低い草がまばらに生えた石ころだらけの礫漠である。乾燥ステップ地帯と言ったほうが適切だ。したがって、アラビア砂漠のような無人の荒野ではなく、遊牧民が生活している。生態系に負担をかけないために、四季それぞれの季節営地を移動して歩く。休閑地にしておく間に植生が回復するのである。夏営地は水の得やすい湖畔に、冬営地は厳しい季節風を避けて山かげに構えるのが一般的とのこと。まさに自然との共生である。
 一方、五畜という言葉もしばしば聞いた。牛・馬・羊・山羊・ラクダの5種類の家畜を指す由。それぞれ出産の時期、したがって搾乳の時期が微妙にずれるから、主食を乳製品に依存している以上、一家で複数の種類の家畜を飼うことが望ましい。それに早朝は牛、昼間は羊と搾乳時間も異なるから、労働時間の上からも多種類飼うほうが合理的である。また、羊の毛からはフェルト、山羊の毛からはカシミア、ラクダの毛からは糸、牛馬の毛からは縄といったふうに、異なる用途の製品が作られ、それらを巧みに組み合わせて日常の生活必需品を製造する。伝統的な手工業の成立基盤がここにある。まことに合理的なシステムである。
 食料も、草の乏しい冬には家畜を屠殺して肉を食べ、草の豊富な春から秋にはたくさん飼育して乳を飲む。血も飲んでビタミンを補う。去勢した家畜の睾丸まで食べるらしい。冬に肉ばかり食べて酸性になった身体を夏に乳で洗うのだとの説明だった。栄養学的にこの説明が正しいかどうかわからないが、実際、夏は馬乳酒をガブガブ飲むだけで済ますのが普通らしい。家畜の糞まで燃料になる。むを得ず採った苦肉の策かもしれないが、やはり合理的である。モンゴルの厳しい風土に適したやり方を何千年もかけて編み出してきたのだろう。
 社会主義時代はご多分に漏れず集団化が行われた。ソ連のコルホーズ、中国の人民公社は有名であるが、モンゴルではネグデル(農牧業協同組合)という。そして単一種を多数飼ったほうが効率的との理由で分業が行われた。これは上述の自給自足的な生活を不可能にし、否応なしに消費経済に巻き込んだ。他なしに生活が成り立たないことは、党と国家に従属しなければ生活できないことを意味する。有効な支配の手段でもあった。なお、ネグデル体制が崩壊した後、家畜総頭数が増加した事実が、この体制の虚構を明白に物語る。
 社会主義時代といえば、人民革命党政権は良好な放牧地を農耕地に変え、穀物自給を図った。トラクター・コンバイン・スプリンクラーなどを投入した石油浸けの大規模経営である。工業立国を目指すには、都市に労働者を集めなければならない。彼らに食料を供給するための農場が必要だったのである。しかし、元来農耕には不適地、結局塩分析出により砂漠化を招いた。ゴビへ向かう機上から、放棄された巨大な長方形の農場跡が見えた。砂が舞っているその姿は、エリート官僚が頭だけででっち上げたことの愚をあざ笑っているようであった。
 ひるがえってわが国はどうであろうか。昔から葦原の瑞穂の国と言われ、水の豊かなわが国には、やはり水田が似合う。山間部の棚田はかつて田毎の月と称され、それはそれは美しかった。今では機械化農業になじまないと真っ先に減反の対象とされ、祖先が営々として築いてきた遺産が荒れ果てている。平野部の穀倉地帯でさえ、耕作放棄地が目に付く。
 わが国は資源に乏しい。原料を輸入してきて加工し、製品を輸出して稼ぐしか生きていく道はないと、子供の頃教わった記憶がある。狭い国土を農地にしておくのはもったいないという訳である。工業立国が国是かのごとく思わされてきた。一見筋が通っており、なかなか説得力がある。当時のエリート官僚が考えたことなのだろう。夢かなって今や世界一の経済大国、円の力で大量の農産物が輸入され、飽食日本が実現した。
 しかし、海外から農産物を輸入するということはその国の土壌を輸入することを意味する。本来食べた後の排泄物は土壌に還元してこそ循環が成り立つ。日本で消費されれば、そのままゴミとして埋め立てるしかない。結局、日本の海岸は富栄養化する。反面、輸出国の土壌はどんどん疲弊する。化学肥料で補わざるを得ない。それは土壌を酷使し、ますますやせ地になっていく。
 自然の摂理に逆らった共生の対極にあるのがわが国のやり方である。このままでよいはずがない。何でも自給自足とは言わないが、環境面からいって少なくとも食糧は各国で自給すべきであろう。その上、食糧安保の点からも問題である。21世紀の人口爆発と地球温暖化の農業への影響を考えると、日本人が飢えに直面する可能性は十分ある。わが国の農業をつぶしてしまった指導者の責任は大きい。21世紀は共生の時代という。モンゴルのやり方が何か示唆しているような気がしてならない。

(1998.8.31 稿)


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更新日:1998年9月2日