岩松 暉著『二度わらし』12


モンゴルの教訓

 来月学会の研修旅行でモンゴルへ行くことになった。せっかく行くのだからモンゴル国の歴史を少々勉強した。モンゴルというと誰でもチンギスハーン(ジンギス汗)の大帝国を思い出すが、私には現代史が一番興味深かった。
 モンゴルは長く清朝の冊封体制の下におかれ、中国の藩部として収奪されていた。清朝末期、帝国主義列強が中国を侵略するに及び、モンゴルは二重の搾取を受け、疲弊の極にあった。当時革命に成功したばかりの新生ソ連に頼って独立を果たすしか、生きる道は残されていなかったのである。こうして世界で二番目の社会主義国が誕生した。
 いわば中世の状態から一足飛びに近代化するためには、人民革命党による中央集権的な単一指導と計画経済は効率的に働いた。遊牧は、厳しい自然条件の中で生活していくために、何世紀もかかって編み出されてきた祖先の知恵である。こうしたモンゴルの自然的社会的特殊性や伝統は無視され、性急な集団化の強制とコメコンの援助による工業化が図られた。当初はソ連の強力なてこ入れもあって、目覚ましい成果をあげた。しかし、他の社会主義国とまったく同様、次の段階では硬直した官僚体制は逆に障害となる。羊・山羊・馬と多種の家畜を飼い、それらを巧みに利用して生活必需品を生産してきたのに、単一種の放牧など分業が行われた結果、家内手工業が成り立たなくなった。折からの中ソ対立のあおりで援助合戦の場となり、安価な消費財が大量に輸入され、自立した経済が破壊されてしまった。また、工業化は都市への人口集中、すなわち遊牧民の減少を意味する。都市住民に食糧を供給するため、本来農耕不適地である草原で機械化大規模農業が行われた。当然、良好な放牧地が犠牲になった。こうしてモンゴル本来の産業基盤である牧畜は低迷する。現在、ウランバートルにはストリートチルドレンがいるという。コメコンの援助で成り立っていた都市は、いわば蜃気楼だったのである。援助がなくなった今、成立の基盤が失われた。ストリートチルドレンはその象徴である。なお、民主化後、家畜の私有化が進行する中で、家畜頭数が史上最高を記録しているという。この事実もまた、これまでの社会体制の欠陥を如実に示している。
 以上概観したように、官僚体制による上からの強力な指導の功罪は教訓的である。いわば、即効性化学肥料による農業のようなものだ。堆肥と違ってすぐ効き目が現れ、生産は急増する。しかし、地力はかえって減退し、やがて生産高も落ち、ついには農業そのものを破壊してしまう。すべての社会主義国が発展途上国ならぬ発展停止国になったのは、こうした社会体制に起因する。
 このモンゴルの教訓はわが国にも当てはまるのではないだろうか。確かにキャッチアップ段階では官僚による強力な指導は有効である。明治維新時の富国強兵・殖産興業も、大戦後の戦後復興も、やはり日本の優秀な官僚の力が大いにものをいった。経済大国になり長寿社会になったのは、そのお陰と言ってよい。しかし、経済のすべての面にわたる規制と、護送船団方式といわれるような御上頼みのたかり体質が社会の隅々に染み込んだ。官僚や財界は退廃し、社会・経済は停滞した。アメリカのようなカウボーイ資本主義(弱肉強食の剥き出しの資本主義)はいかがかと思うが、わが国でも単なる規制緩和に止まらず抜本的な民主化が必要なのだろう。
 

(1998.6.21 稿)


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更新日:1998年6月28日