岩松 暉著『二度わらし』9


バタフライナイフ

 昼休みの茶飲み話で、中学生による先生刺殺事件が話題になった。
「その内に彼らが進学してくるよ。」
「いや、もうキレル学生は出ている。すぐカーッとなり、自分で自分の感情をコントロールできない者、つまり大人になりきれない者がたくさんいるじゃないか。」
「この間、歩行者天国をバイクで通った学生に注意したら、何をッ!と食って掛かられた。そろそろナイフが飛び出す時代になりそうだから、もう見てみぬふりをしよう。」
などなど、賑やかだったが、一人深刻な話をした同僚がいた。
 こちらが将来本人が困るだろうと思って、いろいろアドバイスしているのに、学生たちのほうは先生は無理難題を吹っかけて自分をいじめていると受け取っていることに、最近気がついた。小学校の頃から、先生とは自分たちをいじめる存在だと思い込んでいて、最初から心を閉ざしている。幼い頃から築いてきた心の壁を破ることは大変難しい、といった話だ。
 確かに将来その道のプロになろうと思って学科を選んで入学してきたのなら、先生の叱責も善意から出たものと受け止めるだろう。それを習得しなければ社会に出てから困ることぐらい理解できるからである。ただ、わかっちゃいるけどサボりたいのは今も昔も変わらないだけのことだ。われわれ教師層だって、学生時代サボった経験はある。
 しかし、現状はかなりの部分が不本意入学だし、専門以外のところに就職する。何しろ将来何の役にも立たないのだから、炎天下の野外調査や連日の徹夜実験は、単なるしごきかいじめでしかない。また、全入時代になり彼らの基礎学力は悲惨の一語に尽きる。一昔前に比べたらずっとレベルは下げているが、彼らからすれば超過大な要求に違いない。その上同僚が言うように、はなから教師というものに敵意を持っているのだったら、「先生とは自分たちをいじめる存在」との確信を深めさせるだけだ。本当にバタフライナイフが飛び出す日は近いかもしれない。

(1998 稿)


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更新日:1998年6月11日