フンちゃん東奔西走(1999)


石橋の復元|大霧発電所|中岳ダム|大山ダム|十津川災害|竜ヶ崎産廃焼却場|出水活断層|神田上水|八百屋於七の墓|神奈川県立生命の星・地球博物館|小石川植物園|出水断層トレンチ|藺牟田池|青の洞門|種子島第四紀断層|防災科学技術研究所|道後温泉湯神社|広島災害|鹿屋分水路|応用地質学会見学会|根尾白谷大規模崩壊|根尾谷断層|横井埋立処分場|道路防災ドクター|会議出張・その他

★石橋の復元

 鹿児島市の象徴ともいえる有名な甲突川五石橋が撤去されて久しい。1993年鹿児島豪雨災害の結果、水害の一因になっているというので、移設されることになったのである。現在、祇園の州公園で復元作業が進められている。正月休みに見学に行った。写真は西田橋である。半円形の鉄骨枠の上にアーチ石が並べられていた。昔は円周率を求めるのが秘伝だったという。復元作業は、石橋の内部構造がよくわかって興味深い。しかし、実用に供されなくなった公園の橋は、いわば剥製の鳥か、檻の中のライオンである。何だか哀れに思った。(1/3)

★大霧発電所

 栗野岳へ遊びに行ったついでに大霧発電所を見学した。ふらっと立ち寄っただけなのに、建物の中までわざわざ案内までしてくださった上、見学記念品までいただいて恐縮した。ここの地熱井試掘中と発電所建設中に亡くなった露木先生と学生たちを連れて見学に来たことを思い出して感無量だった。その時、liquid inclusionで温度を測定する話をしていだだき、学生たちが痛く感激していたっけ。それ以来だから本当に久しぶりだった。(1/5)

★中岳ダム

 中岳ダムのギャラリーが掘削中とのことなので見学させていただいた。写真のような見事な横臥褶曲があった。褶曲軸面に沿って断層が形成されている。(1/15)

★大山ダム

 大山ダムの代替地地盤検討委員会があったついでに、翌日ダムサイトを見学させていただいた。基礎は釈迦岳火山岩類の溶岩と自破砕岩だという。横坑を観察させていただいた。写真は自破砕岩の剪断試験面である。(1/26)

★十津川災害

 1889年8月、奈良県吉野郡の十津川流域で大災害があり、被災者の一部が北海道に移住して新十津川村を作ったのは有名である。その間の事情は川村たかしの『新十津川物語』に詳しい。崩壊堆積物が川を堰き止めて多くの天然ダム湖が形成され、それが決壊して多大な被害を出したという。今回京大防災研の人たちなどと現地調査に行ってきた。当時の堰止め湖がまだ残っていた(写真)。地元では大畑瀞(おおばたけどろ)と呼ばれている。幸い渇水期だったので、当時の木立まで水面から顔を出していた。正面が崩壊跡地、右手が堰き止めた崩壊堆積物である。(2/3)

★竜ヶ崎産廃焼却場

 地質調査所の産学官連携推進委員会があったので、ついでに牛久まで出かけ、有名な竜ヶ崎地方塵芥処理組合城取清掃工場を見に行った(写真の煙突)。筑波台地の南端に位置する古いゴミ焼却場である。筑波おろしによって高濃度のダイオキシンが拡散、南側の新利根町根本地区ではガン死亡者が多発したという。焼却灰は谷地に埋め立てられ、モトクロス場になっていた(写真手前)。(2/22)

★出水活断層

 鹿児島県主要活断層調査検討委員会の仕事で、鹿児島県の防災ヘリに乗せてもらい、出水断層を見に行った。残念ながらご覧の通り春霞がかかっていて、良い写真が撮れなかった。残念。
 防災ヘリの基地は枕崎空港にあるが、今回は谷山港のヘリポートから乗った。お陰で市内の団地群の真上を飛行したので、シラス台地がよく観察できた。(3/2)

★神田上水

 学術会議地質研連の会議があったついでにお茶の水の東京都水道歴史館を見学した。本郷1丁目で発掘された神田上水の石樋が復元されていた。神田上水は井の頭池の湧水が水源である。徳川家康江戸入城と同時に、大久保藤五郎忠行(後の主水)に命じて作らせたと言われている。江戸城下の低地は塩分が多く飲料水として不適だったし、関東ローム層に覆われた台地は極端な深井戸でないと水が得られなかったから、都市計画の第一歩が上水の開発だったのである。文京区目白台下の大洗堰で分水した後、こうした石樋で延々と水を導いた。お茶の水では懸樋で神田川を渡した。水道橋の語源である。(3/5)

★八百屋於七の墓

 宿の近くに八百屋於七の墓があるので、お参りしてきた。於七は有名な天和(てんな)の大火を起こした火つけ犯である。当時の江戸はロンドンを抜く世界一の大都市であった。同じ頃、両方で大火があったが、ロンドンは石造りの街に改造したのに、江戸は於七を江戸市中引き回しの上、獄門に処した。火を出すことを戒めるための見せしめだったのだろう。責任者厳罰主義のはじめである。日本では事故や災害の場合、責任者処罰が先行するため、関係者は過失をひた隠しにする。その結果、同じ原因で同じような事故が再発するのである。一方、欧米では刑事免責まで与えて、徹底的に原因を究明し、二度と同じ原因では事故が起きないようにする。このように事故や災害に対して東西で対処の仕方に違いがある。江戸大火以来連綿と続いたやり方は何とかならないものだろうか。災害科学にとっても八百屋於七事件はエポックメーキングな出来事であった。(3/5)

★神奈川県立生命の星・地球博物館

 学術会議の用件で箱根入生田にある神奈川県立生命の星・地球博物館に行ってきた。珍品の倉庫といった博物館ではなく、一生懸命訴えようとしている姿勢が感じられた。ただ、外国の標本が多く、箱根火山や温泉のことなど、もっと地域に根ざした部分も強化して欲しいと思った。写真は正面にデンと据えられているクチファクチヌスの巨大な化石。(4/20)

★小石川植物園

 災害情報学会創立総会翌日の日曜、宿の近くにある東大理学部付属小石川植物園に行って来た。ツツジが花盛りで見事だった。ここに来たのは学生時代以来である。当時、理学部進学生歓迎ビアパーティーを池の周辺で開くのが恒例だった。精子発見で有名な銀杏の木(写真)のところで、銀杏は「生きている化石」であると、先輩から説明されたことを覚えている。なお、看板には生きている化石の話はなく、平瀬作五郎が1896年世界で初めて種子植物から精子を発見して大反響を起こしたと書いてあった。(4/26)

★出水断層トレンチ

 鹿児島県活断層調査による出水断層のトレンチが2個所で開いたので、学生たちも連れて見学に行ってきた。活断層研究の権威松田時彦先生にも来ていただいたから、学生たちにはずいぶん良い勉強になったことだろう。(4/28)

★藺牟田池

 こどもの日、妻と藺牟田池に遊びに行ってきた。子供たちが小さかった時には、二人乗り自転車を2台借りて、池を一周したものだ。今や夫婦二人だけ、今日は外輪山巡りをした。自然遊歩道だというので馬鹿にしていたら、途中にはロープの設置してある岩場まであって、どうしてどうしてかなりきついコースだった。
 この藺牟田池は泥炭質の浮島が有名である(写真手前)。昔レストランがあったところに、生態系保存資料館が出来ていた。「藺牟田池は藺牟田火山の一つ飯盛山(写真左)の噴火によってできたカルデラ湖である」と説明にあった。(5/5)

★青の洞門

 大山ダムに行ったついでに、翌日耶馬渓を巡検した。写真は青の洞門のところの耶馬渓層の崖である。凝灰角礫岩からなるが、崖の中腹のくびれたところが凝灰岩層の挟みで、昔はそこに鎖を張り、人が通ったという。当然、落下事故があとを絶たず、見かねた禅海和尚が手彫りで掘ったというのが有名な青の洞門である。(5/19)

★種子島第四紀断層

 種子島で古第三系熊毛層群が第四紀層に乗り上げている露頭ができたのいうので、見に行ってきた。牧場の造成地だったが、確かに褶曲した熊毛層群が逆断層で第四紀層に乗り上げている(写真)。しかし、AT(姶良―丹沢火山灰)は切れていていないし、活断層ではなさそうだった。(5/21)

★防災科学技術研究所

 科技庁防災科学技術研究所の外部評価委員会があり、つくばに行って来た。その後引き続き札幌で情報地質学会総会があるので、幸い半日時間に余裕ができた。そこで、翌日研究所内を見学させていただいた。広大な敷地に大型機器の研究棟が並んでいる。これは人工降雨装置である。ちょうど実験中で、霧雨のような雨が降っていた。(6/26)

★道後温泉湯神社

 防災研修会の講演のため、松山に行った。日本最古の温泉道後温泉には湯神社がある。大国主命と少彦名命が祭神である。お二人の神々が伊予を旅されたとき、少彦名命が病気になられた。傷ついた白鷺が湯気の出る沼に入って元気に飛び立った様子をご覧になった大国主命が、少彦名命を湯で温めて病気を治したとの伝説がある。
 また、道後温泉は地震があると湯の湧出が止まることでも有名である。この神社で湯祈祷をすると、再度湧き出したという。神代の昔はいざ知らず、1946年の南海地震でも涌出が止まったというが、そのメカニズムを知りたいものだ。(7/29)

★広島災害

 斜面災害研究推進会議が広島で開かれた。鹿児島―広島西の航空便は1日1往復しかない。半日時間が出来たので、去る6月末に大きな被害を出した佐伯区の土石流災害現場へ行って来た。左写真は観音台団地である。二つの沢で土石流が出たが、これは小さなほうで、崩壊地が奥に見える。右写真は屋代の土石流被害住宅である。こちらの土石流は大規模で、多くの被害を出した。(8/21)

★鹿屋分水路

 鹿屋市で防災フォーラムがあって一泊した。翌日、建設省大隅工事事務所のご好意で、鹿屋分水路を見学させていただいた。シラスの、しかも地下水面下にトンネルを掘るという世界でも稀な工事だった。私の前任者である故露木教授が委員長として苦労されたところである。これで鹿屋市街地の水害が防げるのだという。露木先生の温顔を思い出して、感無量だった。(8/27)

★応用地質学会見学会

 応用地質学会が鹿児島で開かれた。最終日見学会が催され、桜島国際火山砂防センター・高峠テフラ標識地・国分市上野原縄文遺跡などを見学した。高峠の露頭は、鹿大演習林の敷地内だから、よく保存されており、桜島起源の軽石層がきれいに見られた。
 上野原遺跡では、発掘現場は保存のため完全に被覆され、側にイミテーションが展示されていたので、少々がっかり。(10/30)

★根尾白谷大規模崩壊

 岐阜大で大規模崩壊のシンポジウムがあり、翌日、徳山白谷・根尾白谷(写真)などの大規模崩壊地を見学させていただいた。ここは1965年の台風24号で崩壊したところである。緑色岩類の上に石灰岩が載っており、ドリーネから水が供給されて起きたキャップロック型の崩壊とのことであった。(11/24)

★根尾谷断層

 大規模崩壊地見学の後、水鳥の地震断層観察館に立ち寄った。これは小藤文治郎先生が報告して世界的に有名になった根尾谷断層である。だいたい同じ位置から写した。(11/24)

★横井埋立処分場

 共通教育「地球と環境」の授業で、市営横井埋立処分場を見学に行った。昨年見学に来たときには道路面よりも下だったのに、今はうずたかく積み重ねられて完全に満杯になり、写真のような新しい処分場をすぐ横に建設中だった。今のようにみんながゴミをたくさん出すと、いくつあっても足りないというと、実感としてわかったのか、うなずいていた。(12/14)

★道路防災ドクター

 建設省の道路防災ドクターで大隅工事事務所管内垂水市牛根を点検して歩いた。ここは姶良カルデラ壁の急崖、集中豪雨時にしばしば土砂災害の起こるところである。至るところ対策工が施され、落石センサー(写真)や監視カメラなども整備されていた。それでも災害はなくならない。そこで、桜島に一旦迂回し、橋で戻ってくる計画になっている。この部分は市道として移管するのだという。(12/17)

★会議・講義・講演・その他

1月 水資源公団大山ダム地盤検討委員会(日田)
2月 鹿児島市建築物耐震改修促進基本計画策定検討委員会(鹿児島)
2月 日本応用地質学会九州支部幹事会(福岡)
2月 京都大学防災研究所風化シンポジウム(宇治)
2月 通産省地質調査所産学官連携推進委員会(東京)
3月 日本学術会議地質学研究連絡委員会(東京)
3月 日本学術会議地質科学総合研究連絡委員会(東京)
4月 産業地質科学研究所評議員会(新潟)
4月 地盤工学会九州支部総会(福岡)
4月 日本応用地質学会九州支部幹事会(福岡)
4月 日本災害情報学会創立総会(東京)
5月 日本情報地質学会評議員会(東京)
5月 日本応用地質学会九州支部総会(福岡)
5月 水資源公団大山ダム地盤検討委員会(日田)
5月 鹿児島県地質調査業協会理事会(鹿児島)
5月 東京地学協会総会・評議員会(東京)
5月 日本応用地質学会総会(東京)
6月 日本学術会議地質学研究連絡委員会(東京)
6月 日本応用地質学会九州支部幹事会(福岡)
6月 防災気象講演会(鹿児島)…講演
6月 科技庁防災科学技術研究所研究開発課題外部評価委員会(つくば)
6月 GEINFORUM'99(日本情報地質学会総会)(札幌)…講演
7月 消防科学総合センター香川県防災安全研修会(松山)…講演
8月 斜面災害研究推進会議(広島)
8月 道路防災フォーラムin大隅(鹿屋)…講演
10月 鹿児島県地質調査業協会理事会(鹿児島)
10月 日本応用地質学会九州支部幹事会(福岡)
10月 APECエンジニアに関する懇談会(東京)
10月 日本応用地質学会平成11年度研究発表会(鹿児島)…講演
11月 日本情報地質学会シンポジウム(東京)…講演
11月 福岡県地質調査業協会創立20周年記念パーティー(福岡)
11月 日本学術会議地質学研究連絡委員会(東京)
11月 地盤工学会九州支部創立50周年記念シンポジウム(福岡)
11月 京都大学防災研究所大規模崩壊シンポジウム(岐阜)
11月 日本応用地質学会九州支部幹事会(福岡)
12月 日本応用地質学会九州支部合同役員会(福岡)
12月 秋田大学工学資源学部集中講義(秋田)

ページ先頭|石橋の復元|大霧発電所|中岳ダム|大山ダム|十津川災害|竜ヶ崎産廃焼却場|出水活断層|神田上水|八百屋於七の墓|神奈川県立生命の星・地球博物館|小石川植物園|出水断層トレンチ|藺牟田池|青の洞門|種子島第四紀断層|防災科学技術研究所|道後温泉湯神社|広島災害|鹿屋分水路|応用地質学会見学会|根尾白谷大規模崩壊|根尾谷断層|横井埋立処分場|道路防災ドクター|会議出張・その他
連絡先:iwamatsu@sci.kagoshima-u.ac.jp
更新日:1999年12月17日