フンちゃん東奔西走(2005)


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★8・6水害記念碑

 正月休みの運動不足解消に鶴丸城址まで歩くことにした。途中、西田橋を渡る。たもとに8・6豪雨災害之碑が建っていた。平成12年にできた由。平成5年の大災害を思い出した。多くの犠牲者が出て、鹿児島の誇りだった石橋も流失した。当時私は文部省突発災害研究の代表者としててんてこ舞いしたものだった。(1/3)

★那智の滝

 和歌山県防災安全研修会の講師を頼まれて新宮まで出かけたので、那智大社に参詣した。日本一の落差(133m)を誇る那智の滝も飛瀧神社のご神体だが、岩石は何だろう(注)。雨と老眼でよくわからない。那智には碁石で有名な那智黒という石があるから、やはり那智黒なのだろうか。
<注> 帰ってからインターネットで調べた。和歌山市立こども科学館のページに「滝は、かたい花こうはん岩とやわらかい熊野層群のさかい目にできています」とあった。そこで地質図(右図)を見ると一目瞭然。予習して行かなかったのがばれた。(1/23)

★翡翠展

 翡翠展の最終日である。ヒスイは新大の茅原名誉教授が研究しておられた。今度お会いしたときの話の種にでもと国立科学博物館に出かけた。岩石学的解説から考古学・中国の美術品などまんべんなく触れてあった。しかし、縄文時代に広く環日本海に伝播したことなどに触れていなかったのは残念。あれだけ勾玉などに利用されていたのに、古墳時代以降パッタリとヒスイ製品が出てこなくなった。玉(ぎょく)が呪術的役割を果たしていたのを仏教が嫌ったらしい。この説明には納得した。
 常設展示も新館が出来て一新されていた。地学コーナーは地球史の流れの中で進化を捉えていてわかりやすい。しかし、日本列島の地質を中心とした展示があっても良いのではないだろうか。(2/13)

★文京むかしむかし展

 弥生町遺跡発見120周年記念展があるというので、昼休み文京ふるさと歴史館に出かけた。今回は東大総合研究博物館と共催の由。有名な弥生町遺跡を1974年再発掘した結果、この貝層は縄文時代のものではないかと考えられるようになったとのこと。なかなか面白かった。ただ、古地理図などがあれば、もっとよかったのだが。弥生遺跡を発見したことで名高い坪井正五郎先生の肖像(左端の写真)もあったが、私が教わった息子の坪井忠二先生や当時名誉教授だったお兄さんの誠太郎先生にはあまり似ていなかった。(2/15)

★吾平町土砂災害

 鹿児島県吾平町の畑かん事業工事現場で土砂災害があった。大隅降下軽石がすべったボラすべりである。大隅降下軽石は名前の通り大隅半島に広く分布する。しかし、浸食されて今はないところもある。調査ボーリングは不幸にしてボラのないところで行われ、この場所に存在することには気づかなかったようだ。残念。(2/19)

★花倉御仮屋庭園

 鹿児島市にある花倉御仮屋庭園に砂防ダムを造るという。すぐ近くの花倉病院が1993年の鹿児島豪雨災害で被災し、16名の犠牲者を出したところだから無理もない。しかし、ここは国の重要文化財、何とか文化財も守り、かつ、災害に対しても安全な工法がないものだろうか。そこで調査に出かけた。庭園の外周北側にだけ写真のような頑丈な石垣がある。しかも外側に側溝が作ってあり、花倉谷の水が庭園内に入り込まないよう迂回させてあった。つまり、この石垣は導流堤だったのである。このため、先の災害の際も庭園内には出水もなく、庭の橋も流されなかったという。見事な土石流対策である。立派な土木遺産といえよう。(3/1)

★鹿児島県文化センター

 本当に久しぶりで鹿児島県文化センターにある県立博物館恐竜化石展示室に行ってきた。30年前本物の恐竜化石があるところはごく僅かだった。在米のコレクター小川氏が国立科学博物館に寄贈しようとしたら、「寄付願いを書け」と言われたので怒って、こちらに寄付してくださったのだと、赴任当時同僚からエピソードを聞かされたことがある。官尊民卑のお役人気質のおかけで鹿児島は得をした。三葉虫など他のコレクションも立派である。僅かだが、鹿児島県産出化石も展示してあった。
 背景の絵は寄贈の仲立ちをされた八島太郎氏の作品。氏は根占町出身で本名を岩松 淳といい、有名な『からすたろう』を書かれた著名な絵本作家である。(3/2)

★東京大学総合研究博物館

 昼休み東大総合研究博物館に出かけ、特別展「Systema Naturae~標本は語る~」を見てきた。植物・動物・鉱物の世界を体系的に分類したリンネに焦点を合わせてある。鉱物のコーナーでは宝石などきれいなものも並んでいたが、鉱石もたくさんあった。この写真は北上山地鹿折(ししおり)金山の自然金である。鹿折は私の卒論フィールドだった。懐かしい。今では地元でも「しかおり」と発音する人が多くなったらしい。(3/3)

★福岡県西方沖地震

 3月20日福岡で地震があった。一番被害の大きかった玄界島は立ち入り禁止、そこで市内の調査に行ってきた。活断層の警固断層を境にして被害が違うと聞いたからである。断層を境にして第四紀層の厚さが極端に違う。エッジ効果のためだろう。しかし、現地に行ってみると文献にある断層よりも西側に、被害地域と無被害地域の境界がある。さて従来の断層の位置が間違っていたのか、それとも断層谷の地形を反映したのか、興味深い。写真は危険の赤紙が貼られた木造住宅である。気の毒に思う。わが家も老朽住宅、人ごとでない。(4/2)

★栃尾市半蔵金

 新潟出張のついでに栃尾にあるわが家のお墓を見に行ってきた。雪はほとんど溶けていたが、お墓はそのまま、復旧を依頼する。帰途、山古志に向かったが、積雪のため通行止めだった。村全体が避難して無人だから、誰も除雪をしないからだろう。手前の半蔵金はこぶし・梅・桜が一緒に咲き、一見いかにも雪国の春らしい。しかし、中越地震の爪痕があちこち残っていた。写真のようにこの時期は地すべり地形がよくわかる。(4/26)

★伊能忠敬大図展

 鹿児島アリーナで伊能忠敬大図展が開かれた。日大で開かれていた時に見損ねたのでラッキー、早速見学に出かけた。現在の地形図と重ねると多少ゆがんでいるが、これだけ正確な地図をよくもまあ作ったものだ。それも隠居してから。やはり、九州付近が人だかりしていた。
 ところが会場に鹿大博物館が出品した明治時代の英文大日本帝国地質図が展示されていた。ということは地学教室にあったのだろうか。現役時代には存在を知らなかった。良く見つけ出したものだ。<注> 文理学部の図書室が生物学科図書室に引き継がれたが、そこに保管されていたのだという。生物の先生方は全く興味がなかったのだろう。(5/3)

★狭山池博物館

 鹿大地学科同窓会が大阪であった。隔年で地方回りをすることになったのである。折角大阪まで来たのだから、翌日大阪府立狭山池博物館を見学した。狭山池は日本最古のダム式溜池である。平成の改修に際して、堰堤の断面を切り取り、それを中心に博物館を開設したという。実物の切り取りだから迫力がある。その他、木樋や石樋などいろいろあった。古人の知恵にはほとほと感心した。(5/15)

★震生湖

 富士学会の巡検に参加した。秦野~山北~須走と関東地震および富士宝永噴火による被災地を見学。まず関東地震による堰止め湖「震生湖」に寄る。寺田寅彦の「山さけて成しける池や水すまし」の句碑があった。(6/5)

★太郎坊

 太郎坊で宝永テフラを見学した。案内者の上方に見える黒っぽいスコリアがそれである。(6/5)

★真米甌穴

 牧園町馬込に大規模な甌穴があるという。早速見に行ってきた。溶結凝灰岩上に甌穴ができている。硬い岩石のところでは河川はショートカットするのが普通なのに、ここでは蛇行している。非溶結の部分を流れるときに蛇行し、その後下刻して溶結部に達したが、もはや流路を変更できなかったのだろうか。面白い。しかし、規模は国の天然記念物である都城の関之尾甌穴に比べればやはり小さい。それに、渇水期のためか甌穴のあるところは苔むしていてどうもさえない。(6/9)

★大出の水

 馬込まで来たついでに隼人町海老ヶ迫の大出(おおで)の水まで足を伸ばした。きれいな水がこんこんと湧いており、水汲みに訪れる人が絶えない。しかし、大量に湧き出しているためか、あまり冷たくなかった。(6/9)

★賢治標本

 宮澤賢治が採集した岩石標本が岩手大学に保存されている。農学部附属農業教育資料館のご好意で拝見させていただいた。秩父巡検で採取してきた岩石らしい。ラベルの番号が賢治の筆跡に間違いないとのこと。右横書きで「石墨片岩」「輝岩 太古界」などといったラベルが付いているのもあった。(6/22)

★独鈷の滝

 目黒不動尊に参詣した。ここは目黒台の崖端、関東ローム層を帯水層とする湧水がある。開山以来、千百有余年涸れずに流れる霊水『龍御神水』として崇められている。写真左は水かけ不動尊。苔が生えているから、水をかける信者が跡を絶たないのだろう。(6/26)

★埼玉県立自然史博物館

 クラス会の下見に友人と秩父に出かけた。進論のフィールドが秩父だったのである。ここは日本の地質学発祥の地、埼玉県立自然史博物館前に石碑がある。博物館は昔よりは数等立派になっていて見応えがあった。(7/9)

★笠野原深井戸

 吾平土砂災害の委員会があって鹿屋に出かけたので、ついでに笠野原台地土持堀(ほい)の深井戸を見学した。シラス台地は水に乏しいため、昔は深井戸を掘り、牛に釣瓶の綱を引かせて水汲みをしたのだという。この井戸は深さ64mで文政~天保年間頃掘られたらしい。少し大きめのバケツほどの釣瓶に綱引きの綱ほどの太さの綱が付いている。80mもの深い井戸もあるという。昔の人の苦労が忍ばれる。高隈ダム(大隅湖)が出来てから、シラス台地も豊かな農地となった。(7/26)

★出水断層

 出水断層の新しい露頭が土取り場で出たというので見に行った。四万十層群の断層面にシラスがアバットしており、その面が動いているから活断層の由。ウーン。(8/7)

★真米甌穴2

 文化財保護審議会の面々と真米甌穴の調査に出かけた。先日の予察で行かなかった下流にも足を延ばした。入戸火砕流と阿多火砕流の接している露頭を見つけた。収穫。さらに下流の塩浸では加久藤火砕流だから、3時代の溶結凝灰岩上にできた甌穴群ということになる。この調査では、動植物・水産の先生方と一緒だったから、植物や鳥、魚のことなどいろいろ聞けて楽しかった。(8/10)

★三宅島巡検

 GUPI主催の第1回地学見学旅行(巡検)で三宅島に行ってきた。三宅島火山地質図の著者産総研川邉氏直々のご案内だったので、大変内容の濃い巡検で大満足だった。前回1983年噴火の溶岩で埋まった阿古集落の被災状況には圧倒されたが、写真は今回2000年噴火に伴う泥流で埋まった椎取神社と鳥居である。(9/4)

★松ヶ平変成岩

 仙台出張の帰途、相馬を訪れた。昔のフィールドも今は真野ダムが出来て水底になった。ダム湖の葉山公園に庭石として松ヶ平変成岩が置いてある。昔を今に返すよしもがな!(9/11)

★善光寺石垣の風化

 文京区春日善光寺坂にある善光寺の石垣は砂岩から出来ているが、ご覧のように風化が激しい。信者の寄進によるのだろう、一つひとつの石に名前が刻んである。「小石川區」「牛込區」などとあるから、100年程度の比較的新しい石垣である。風化の程度は垣根の上下(水の供給)や向き(日照)にはあまり関係ない。玉ねぎ状風化のような殻もある。風化していないのもあるから鉱物組成の違いでもあるのだろうか。研究テーマとして面白そうだ。(9/21)

★深田研一般公開

 深田地質研究所の一般公開があったので出かけた。アンモナイトの深田コレクションはさすがに見事。劈開褶曲に伴って偏平に変形した北上のアンモナイトもあった。北上は私の卒論フィールド、懐かしい。液状化や地すべりの実験には子供たちが夢中になっていた。(10/15)

★名大博物館

 名古屋で応用地質学会があった。昼休みに名古屋大学博物館を見学した。少し狭いがなかなか充実した展示である。大きな枕状溶岩の研磨面は見事だった。(10/28)

★宝暦治水

 学会終了後、宝暦治水の史跡を見学に出かけた。ここは千本松原、薩摩義士たちが苦労して築いたところだ。今では国営木曽三川公園になっていた。(10/29)

★加久藤カルデラ

 霧島に紅葉見物に出かけた。これは白鳥温泉から見た加久藤カルデラである。『死都日本』の舞台になったところだ。(10/30)

★雲仙

 東大地文研OB会の恒例巡検で、今年は雲仙にやってきた。10年前とは様変わり、ずいぶん復興していた。初日は雲仙岳災害記念館雲仙復興事務所を見学、翌日は土石流現場や大野木場砂防みらい館などを見学した。写真は火砕サージで焼けた大野木場小学校跡と砂防みらい館である。
 垂木台地には環境省の平成新山ネイチャーセンターも出来ていた。環境省のビジターセンターの中では一番地学関係が充実している。実際に偏光顕微鏡を使って岩石を見ることもできる。(11/2)

★垂水台風災害

 2005年9月6日台風14号により、垂水市新御堂で土石流が発生、1名の犠牲者を出した。四万十層群の深層崩壊が引き金になった由。土砂災害委員会で帰鹿したのを機に調査に行ってきた。今でも無惨な姿を残していた。合掌。(12/1)

★地質標本館

 応用地質学会・産総研合同巡検に参加した。まず午前中は地質標本館の見学。ここは何度も来たが、今日は岩石薄片で作ったトンボを初めて見た。ここの石工さん(岩石薄片作成技術者)は名人芸で、人事院総裁賞も受賞した由。(12/9)

★御前山ダム

 午後は農業水利用の御前山ダムの見学。三畳・ジュラ系の付加体堆積物中に建設されている。なかなか良い岩盤だった。午前中、産総研の方から放散虫層序について話を聞いていたので、興味深かった。(12/9)

★東京ミネラルショー

 池袋で東京ミネラルショーがあった。大変な人出である。もちろん宝石目当てのご婦人も多いが、化石や岩石・鉱物に夢中になっているマニアも多い。世は地学離れと言われているが、この盛況ぶりを見ると、考えを変えなければならない。(12/17)

★吾平町土砂災害2

 冬休みで帰省した。小春日和なのでドライブに出かけ、吾平町土砂災害現場を見に行ってきた。委員会は終了したが、復旧がどうなっているのか気になっていたので、現況を知りたかったからである。押さえ盛土が施工されていた。(12/29)

★会議・講義・講演・その他

1月 和歌山県防災安全研修会(新宮)…講演
1月 鹿児島県土砂災害防止法検討委員会(鹿児島)
1月 (NPO)地質情報整備・活用機構理事会(東京)
2月 鹿児島県文化財保護審議会(鹿児島)
2月 土砂崩壊対策検討委員会(鹿屋)
2月 鹿児島県土砂災害防止法検討委員会(鹿児島)
3月 電子地質図の高度利用化研究開発委員会(東京)
3月 防災・危機管理e-college開発協力者会議(東京)
3月 鹿児島県文化財保護審議会(鹿児島)
3月 土砂崩壊対策検討委員会(鹿屋)
3月 日本情報地質学会シンポジウム(東京)…講演
4月 (NPO)地質情報整備・活用機構理事会(東京)
4月 (株)キタック・ハザードマップ講演会(新潟)…講演
4月 (財)環境地質科学研究所評議員会(新潟)
5月 (社)鹿児島県地質調査業協会総会(鹿児島)
5月 鹿児島大学理学部地学科同窓会(大阪)
5月 鹿児島県文化財保護審議会(鹿児島)
5月 日本応用地質学会総会(東京)
6月 (NPO)地質情報整備・活用機構総会(東京)
6月 (独)防災科学技術研究所研究成果発表会(つくば)
6月 (社)鹿児島県地質調査業協会理事会(鹿児島)
6月 鹿児島県文化財保護審議会(鹿児島)
6月 土砂崩壊対策検討委員会(鹿屋)
6月 新潟大学理学部首都圏同窓会(東京)…講演
6月 産総研シンポジウム「高く乏しい石油時代」(東京)
6月 産総研・GUPIシンポジウム「地震考古学」(東京)
7月 自治体総合フェア2005(東京)
7月 土砂崩壊対策検討委員会(鹿屋)
8月 GISコンソーシアム説明会(東京)
8月 (NPO)地質情報整備・活用機構理事会(東京)
9月 全国地質調査業協会連合会技術フォーラム(仙台)
10月 日本地質学会ジオパーク設立推進委員会(東京)
10月 日本地質学会関東支部シンポジウム(東京)…講演
10月 (社)鹿児島県地質調査業協会理事会(鹿児島)
10月 (社)鹿児島県地質調査業協会技術講演会(鹿児島)
10月 日本応用地質学会平成17年度研究発表会(名古屋)
11月 関東地質調査業協会創立50周年記念パーティー(東京)
11月 東京地学協会地学クラブ(東京)…講演
11月 (NPO)地質情報整備・活用機構理事会(東京)
11月 鹿児島県土砂災害防止法検討委員会(鹿児島)
12月 日本応用地質学会九州支部合同役員会(福岡)
12月 日本地質学会ジオパーク設立推進委員会(東京)
12月 資源・素材学会鉱物・エネルギー資源の持続可能な供給に関する調査研究会(東京)
12月 東京地学協会地学クラブ(東京)

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更新日:2005年12月29日