[地質調査こぼれ話 その9]

露頭前でのディベート(対論)

―久野先生の進論指導―


 大学に卒論があるのは知っていたが,その前に,4年になるためにはまだ関門があるとは知らなかった。ヤレヤレ。東大では3年夏に進級論文がある。3年に進学したとき,第一次世界大戦の賠償で取ったとかいう旧式の恐ろしく重いタイプライターが学生室に持ち込まれ,練習しておけと命じられたのは,進論のためだったとのこと。
 進論のフィールドは秩父盆地だった。なるべくいろいろな岩石が出てくるところという条件で選んだ由。確かに変成岩も中古生層もあるし,地質図学の実習にはもってこいの新第三系が広く分布している。指導は,故久野 久先生と杉村 新さん(現神戸大名誉教授)。前半は荒牧重雄さん(現在東大地震研)が運転手として同行。学生は総勢7人。
 10人乗りのジープにギュウギュウ詰めになって大学を出発する。屋根の上はリュックが満載。最初の2〜3日は,フィールド周辺の巡検である。フィールドの地質学的な位置付けを頭に入れるためと,フィールドには出てこない岩石を見るためとのこと。三波川変成岩のタイプや正丸峠の石灰岩などを見学。途中,石屋の墓石を教材に久野先生の即席講義がある。花崗岩の産地をことごとく言い当て,石屋さんを驚かす。正丸峠ではフズリナの化石を見つけ,先生にわざと名前をお聞きする。化石は素人だからわからない,とおっしゃるかと思いきや,言下に「ウン,これはフューシュライナだね。」 久野先生は玄武岩の専門家と聞いていたのに,花崗岩はもとより,フズリナの名前までご存じとは!しばらくしてから,フューシュライナとはFusulinaの英語読みと気づき,してやられたと悔しがる。
 後の数日は,フィールド内の現地指導。長瀞から上流を歩く。親鼻橋でpiemontite schist(紅レン片岩)が出てくると,早速,図学を応用して予想露頭線を描けと指示。次は,一人ひとりのフィールドノートの点検である。それが終わると,誰の予想が当たっていたか,尾根道を確かめに行く。いや足の早いこと。鍵層は徹底的に足で追跡すべきことを,言葉ではなく行動で教わった。翌日は堆積岩。ある露頭の前で,「ハイ,10分間時間をあげます。観察してノートをつけなさい。」 またノートの点検だろうと,スケッチだけきれいに描くことに専念。ところが,「ハイ,時間です。A君,この露頭は何ですか?」「断層です。」「B君」「ハイ,不整合です。」…… 返事を全部メモしながら聞いておられる。ひとわたり済むと,断層派と不整合派に分れさせて,ディベート。断層派は面に条痕があることを論拠に挙げ,不整合派は境界線が不規則なことを強調。これまた名前と発言をメモ。ところがこれで終わらず,今度は逆の立場になって相手を説得しろとのこと。これには参った。先入観で物事を見ないように,との教育だったのだろう。最後に,不整合面が後で二次的に少し滑ったのではないかと,学生たちの気づかなかった証拠も示しながら講評があって,おしまいとなった。こうしたディベートのために,ずいぶん露頭観察が細かく意識的になった。古生層の緑色岩の露頭。「Schalstein(輝緑凝灰岩)です。」「そんな十把一からげではダメ。Lava(溶岩)か,tuff(凝灰岩)か,はたまたlacolith(餅盤)か?」「Lavaならどんな現象が見つかるはずか。tuffなら?」と,矢継ぎ早の質問。Lacolithなら,中程が粗粒で上下の境界付近は急冷相があって細粒のはず,と教科書的な返事をすると,「ウン,君はいいところに気がついた。早速調べてみよう」と,一人で崖をガサガサ登っていかれる。学生たちは下で「センセーイ,どうでしたかァー」とどなるだけ。疑問点はフィールドで解決すべきことを身を以て教えていただいた。
 昼休みも印象的だった。まず,荒川の本流の水をガブガブ飲まれる。「先生,上流には秩父の町があるんですよ」と言っても,「ナーニ,水は3尺流れれば大丈夫」と笑いとばす。アメリカ的生活様式どころか,至極クラシックである。昼食後はパンツ一丁で水泳。その後,木の枝にパンツを干して,乾くまでズボンだけで昼寝となる。上半身はもちろん裸。ヘソの上を蟻が這っても平気でグーグー。学生たちは大喜びでマネをする。以後,フィールドで昼寝をする習慣がついてしまった。
 夜は夜でまとめと反省。ただし,ナイターで巨人が勝つと,すこぶるご機嫌で,スライドを使ってのアラスカ紀行談などアトラクションとなった。大体巨人の試合のときは先生だけ帳場に行ってテレビ観戦。その間のんびりできた。負けると,その後のミーティングは気のせいか大変シビアだったように思う。こんな風に1週間過ぎると先生方は帰京され,次週は2〜3人ずつグループになって各自のフィールド調査。3週目はまた先生方が来られ,今度はグループごとの個別指導となる。先週歩いてわからなかったルートを一緒に歩いてくださる。枝沢詰めまで付き合われた。50代とはとても思えないタフぶりである。最後の4週目はまた自分達だけでまとめの調査。何とかデッチ上げて帰京した。
 いよいよ進論発表会。北部と南部でそれぞれ地層がずれて食い違う。場所も方向もころ合い,エイヤーッと1本につないで推定断層を引く。「君,その断層の動きのセンスは?」「ハイ,正断層で東落ちです。」「そう,じゃ南部のほうも東落ちで説明がつくかね。復元してみてごらん。」「アッそうか,西落ちですね。」「ホー,ちょうつがい断層か。君はなかなか珍しいものを発見したね。ついでに変位量も計算しておくといいよ。」 これには参った。安易な推定断層は引くな,と叱られるよりずっとキツかった。あの恥ずかしい思いは今も忘れられない。
 久野先生は熱力学を駆使して華麗な岩石学の体系を築いた巨人として有名であるが,決して単なる理論家ではなく,上述のようにフィールドを大変重視されたオーソドックスなジオロジストである。国際的に大活躍をされておられたので,海外出張が多く,講義などは1週間の集中講義で済まされることもあった。「書物を読めばわかるようなことは自分で勉強すればよい。しかし,自然を見る目は黒板では身につかない。どんなに忙しくても学生のフィールドには行くんだ」と,バッチリ2週間,進論につきあってくださった。卒論でついた木村敏雄先生(現名誉教授)と共に,久野先生から「露頭を読む」ことを教わった。久野先生の口癖「じゃ行ってみよう」「早速調べてみよう」が,今も耳に残っている。
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更新日:1997年8月19日