[地質調査こぼれ話 その8]

小藤先生のフィールドノート―3年地質図学実習―


 遅まきながら理学部へ進学した。最初の野外実習は三四郎池の地図作り。歩測でひとまわりしてくる。むろん,出発点と到着点とは一致しない。ルートマップのような原始的なことをなぜやらせるのだろう,と内心疑問に思う。次は,トランシットを使った本格的な測量。今度は比較的良く合う。両者を比べてみる。歩測のほうが形がゆがんでいる。磁石による方位測定の誤差が大きいのである。距離のほうは,意外や意外,あまり誤差がない。器具を使ったほうが正確で,一歩二歩と数える原始的やり方のほうが不正確と思い込んでいたから,少しビックリ。「縮尺のことを考えてごらん。1/5,000なら1m,2mは鉛筆の太さだぞ」と,佐藤 正さん(現在筑波大)に笑われる。ルートマップの精度を再認識した。
 5月になると,いよいよ泊がけの実習である。房総の清澄山演習林がフィールド。指導は佐藤さん・鎮西清高さん(現在京大),それに大学院の岩崎泰頴さん(現在熊大)。沢の中をジャブジャブやりながらルートマップをとる。川底が全面露頭でツルツル滑り,今にも転びそう。地図作りに専念すると露頭観察がおろそかになり,地質を見ていると歩数を忘れる。また,やり直し。昼休み,演習林のドカ弁を食べる。鎮西さんのフィールドノートを見せてもらう。地形と地質が細かくきれいに記入されている。彩色までしてある。あちこち飛び回って学生の質問に答えたり,遅い奴の尻をたたいたりしていたのに,いつの間に書いたんだろう。あまりの見事さに唖然とする。すると鎮西さん曰く「ボクのなんか問題にならないよ。帰ったら小藤先生のフィールドノートを見てごらん。」
 小藤先生とは,地質学科卒業生第1号の小藤文治郎先生のことである。帰学後,早速小藤記念室の引出しを探す。あるある。細かな英語で書かれたフィールドノートがたくさん出てきた。みんなきれいな字で墨入れされている。昔の人はペン習字でもやったんだろうか。スケッチには彩色されているものもある。パラパラめくっているうちに,鉛筆で大きく×が付いているページに出くわした。他のページと違って露頭番号やスケッチがなく,文章がビッシリ書かれ,2〜3ページ続いている。もちろん英語である。どうも,一日の調査が終わると,その日観察したことを,文章にまとめておられた様子。×印は,論文に採用して刊行済みという意味だとのこと。恐れ入る。なるほどこれなら後でものすごく楽である。記載の項などは現地で書くほうが,論文提出直前に四苦八苦して書くより,記憶が新しいだけスラスラ書ける。よし,俺もマネしてやろうと決心する。東大の場合,進論も卒論も英語だから(本当は欧文),フィールドノートはいっそのこと英語でつけてやれ,と分不相応にも,そこまで小藤先生を見習う。しかし,これは大失敗。チャートをchart,互層をalterationと書いて,先生に笑われたのは序の口で,決定的にまずかったのは,日本語なら微妙なニュアンスまで表現できるのに,英語だとなかなか適切な言葉が見つからず,ついつい断定的な紋切り型になってしまうことである。露頭で観察したことの半分も記載できなかった。やはり,英語の達者な人以外は,最初は母国語がよいと思う。
 だが,この小藤先生のマネは,ずいぶん役に立った。その日の観察事項を文章化してみると,いかに露頭での記載が不十分だったか思い知らされたから,必然的に翌日の観察が細かくなったし,書くことが作業仮説発想のキッカケにもなったからである。もちろん,論文をまとめるときには助かった。卒論の記載の章など,これを適当に編集して丸写しにすればよい。英語で書こうとして,USGSの“Suggestion to Authors”も熟読(?)したから,だいぶ地学英語も憶えた。ただし,未だに上達していないが。
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更新日:1997年8月19日