[地質調査こぼれ話 その6]

柱状図から先カンブリア時代の古環境が

―坂本先生の地質学鉱物学概論―


 2年の後期(東大では駒場の4学期と呼ぶ),理学部地質への進学が決った。これからは,理学部の先生による講義が始まる。その頃は,大先生が初級教育に当たることになっていたらしく,定年間近の先生が概論を担当された。地理学は故多田文男先生,地球物理学は故坪井忠二先生といった具合である。地質学概論は故坂本峻雄先生(鉱物学概論は正田篤三郎先生)だった。初めての専門の講義,期待して出席する。何とも風采の上がらない小柄なおじいさんが登場。小声で話をする。少々ガッカリ。その講義たるや,最初から最後まで,黒板に向かって柱状図を書くのである。ゼロックスなど便利な機械がなかった時代だから,プリントは一切ない。必死になってノートに写す。ところが,柱状図というものは,上から順に書くものと思っていたのに,下から書くのである。「Fushun(撫順炭田)では,fire clay(耐火粘土)が何cm,その上に石炭が何cm」と説明しながら,黒板にサイクロセムの柱状図を書かれる。ノートの適当な位置からスタートして写し始める。一向に終わらない。2サイクル・3サイクルと続き,とうとうノートの上限を突破,はみ出してしまう。頭にきて,その次はノートの最下段から書き出す。今度は1サイクルでおしまい。ノートの上半分は真白。まさかそこに次の図を書くわけにもいかない。話の順序がゴチャゴチャになるからである。実にノートが取りにくい。こんな学生泣かせの講義は初めて。しかも,次の週もまたまた柱状図。満州(現在の中国東北地方)における先カンブリア時代の banded iron ore(縞状鉄鉱)の話である。今度は数mmの単層が規則正しく数万回の微細構造を繰り返すという。タメ息が出る。最初のうちは,「よくもまあ飽きもせず柱状を取ったこと,ヒマなこって」と半ばあきれながら聞いていた。しかし,このような縞状鉄鉱の堆積が,環境のpHとEh(酸化還元電位)の変化をよく反映していることに話が及んでくる。そのうちに,縞状鉄鉱の沈殿する場がだんだん明らかになる。三角州地帯の海に近い沼沢性の湖水だという。今の揚子江河口の様子を思い浮べる。雨季には増水して海とつながり,乾季には減水して内陸湖の状態になる。それに応じて,pH・Ehも変化し,規則正しい周律的縞状構造が形成されるのだとのこと。話はさらに発展して,先カンブリア時代の大気や海水の組成にまで及ぶ。初期の海はアルカリ性で熱く,大気もCO2や水蒸気に富み,地表では機械的風化作用よりも化学的風化作用が卓越していた。その後,海水はだんだん酸性水に変化し,15×108年前頃に縞状鉄鉱が形成された。さらに後期になると,現在とほぼ変らない海になり,機械的風化作用による砕屑岩が多くなるという。あまりに話が雄大なのでビックリする。黒板に書かれた細かな柱状図を見ているうちに,何億年という気も遠くなる昔の海岸の風景がほうふつとしてくる。貝殻一つ落ちていない浜辺に,温泉のような海がひたひたと打ち寄せていたのだろうか。そんなことを考えながら前を見ていると,小柄な先生が何となく大きく感じられるから不思議である。厳寒の満州で,地層に折尺を当て,何mm,何mmと測っておられる姿が目に浮かぶ。柱状取りなど,あんな辛気くさい仕事は真平だ,と思っていた自分が恥ずかしい。1本の柱状図の中に,こんなにも大きなロマンが秘められていたのか,学問とはこうした地道な努力の上に花開くものかと,学問の真髄に触れる思いがして,大きな感銘を受けた。
 概論というからには,火山や古生物などひとわたり全部出てくると思ったら,最後まで柱状図だった。しかし,これで地質学の本質が理解できたのだから,立派な概論である。私のような若造がやる講義は,どうしても知識の切り売りの域を脱することができない。いくら背伸びをしても,大先生のような「自ずとにじみ出るもの」がないからである。やはり,初級教育は,研究に半生を打ち込み立派な成果をあげられた大先生が担当すべきものと思う。白髪の先生が目の色を輝かせて学問を語る。その姿自体が一番の教育なのである。
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更新日:1997年8月19日