鹿児島の坂


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★坂道考

 坂道をてくてく登る。汗は噴き出す、のどは乾く。しかし、四季折々の楽しみがある。春には小鳥のさえずり、夏の冷たい清水、秋には落ち葉を踏み敷く音などなど。何よりも哲学がある。街路を歩くようにはせかせか歩けない。ゆっくりゆっくり一足ごとに踏みしめながら歩く。いろいろなことを考えるゆとりが生まれるからであろう。だから古来、坂道は文学や歌の題材になってきた。私も坂道を歩くのは好きだ。東京出張で本郷に泊まると、朝早く坂道を散歩する。ここは私にとって青春の地、懐かしいところだ。一葉の菊坂、鴎外の団子坂・無縁坂、必ずといってよいほど文豪にゆかりがある。
 鹿児島のシラス台地も、本郷台地に劣らず坂が多い。シラス台地は水に乏しいから、がけ下まで水汲みに行くのが重労働だったという。鹿児島の教育でよく強調される「山坂達者」の気風は、そこから生まれたものだろう。

★水上坂

 「みっかんざか」と発音する。「みなかみ」ではない。石橋で有名だった西田橋からまっすぐ西へやってきて最初にたどり着く坂だ。参勤交代でお殿様が通った由緒ある坂である。今でも毎年妙円寺参りの隊列がここを通過する。関ヶ原の戦いで島津義弘公が敵中突破した故事にならって、陰暦9月14日伊集院町にある義弘公の菩提寺妙円寺(現在の徳重神社)まで約20kmを「チェスト行け関が原」と叫びながら行進する。
 水上坂の由来は昔ここの沢が西田一帯の水源地だったからである。今も水神様が祭ってある(写真)。しかし、今は台地の上に武岡団地ができて、都心に出る唯一の通路として利用され、渋滞の名所である。道路は拡幅され、法面は殺風景なモルタル吹き付けになった。

★名越殿坂

 鼓川町にある。この付近に名越左源太屋敷があったのに由来する。名越左源太時敏(1819-1881)は1849年(嘉永2年)のお由羅騒動に連座して大島遠島を申し付けられ、島の生活を詳細に記録した『南島雑話』『遠島録』などを著したので有名な人物である。

★ビクニ坂

 冷水越の途中にある。今もバス停の名として残っているが、有名な比丘尼でも住んでいたのだろうか。故事来歴等についてはこれから調査するつもりである。ご存知の方はご教示願いたい。

★木折坂

 やはり冷水越にあるが、ビクニ坂とは峠の反対側、紙屋谷にある。この由来も調査中。

★冷水越

 鶴丸城から伊敷方面へ抜ける峠道である。現在も冷水町という。この谷あいから清水が湧いていたのであろう。1753年(享保8年)に、その湧き水を石管で鶴丸城に送水したとのことで、今の冷水配水池付近は水道発祥の地と言われている。
 昔は鶴丸城から伊敷方面への近道だったが、現在は城山トンネルが完成したので、交通量は大幅に減った。

★城ヶ谷越

 故事来歴については調査中。この坂の途中に初代大阪商工会議所会頭五代友厚誕生の地がある。

★岩崎谷越

 西南戦争の激戦地である。西郷隆盛が立てこもった西郷洞窟がある。写真奥の細い道が旧道。

★白銀坂

 「しらかねざか」と発音する。鹿児島市内ではないが、鹿児島への入口なので触れておく。姶良町枦山から吉田町牟礼ヶ岡に登るつづら折れの坂である。現在は遊歩道になっているが、藩政時代はれっきとした大隅街道、吉野・実方を通って鹿児島に出た。海抜ゼロメートルから300m以上登るのだから、かなりきつい。しかも大きな石が敷いてある。昔の人はよくもまあこんな大工事をしたものだ。
 なお、竜ヶ水を通る現在の国道10号は、1873年明治天皇行幸に際して突貫工事で造った新道である。ここは姶良カルデラ壁、鳥越トンネルの名が示すように、鳥にしか越せない厳しい海岸線だったのだろう。

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更新日:1998年6月9日