書評:加藤碵一・青木正博著『賢治と鉱物―文系のための鉱物学入門―』

岩松 暉(日本地質学会News, 14(9), 17, 2011)


 日本人なら誰でも宮沢賢治の作品を一つは読んだことがあるだろう.教科書にもしばしば登場するから童話作家と思っている人が多い.もう少し知っている人なら,作家,詩人,宗教家,農民の地学者などなど…,という.賢治像は人さまざまである.いずれも確かに一側面は表しているが,賢治はそれらすべてを包含したもっとスケールの大きい人間なのだろう.通底しているのは,「石っこ賢さん」と呼ばれた少年期から盛岡高等農林時代までに身につけた地質学鉱物学である.
 本書は賢治作品に登場する鉱物を色別に解説している.正方晶系云々といった学問的な分類ではなく,色別に並べた点がユニークである.これは「文系のため」におもねたというより,本質的で正鵠を得たやり方だと思う.日本列島は四季が明瞭で,亜熱帯から亜寒帯まで植物も多種多様,自然が豊かである.したがって,日本語の色の名前(和色)は他言語に比し著しく豊富だという.しかし,賢治の感性ではそれをもってしても十分に表現できなかったのであろう,「天河石,心象のそら」とか「天靑石まぎらふ水」といった具合に,鉱物名を多用している.同じ靑でも微妙な違いを鉱物で表現しているのである.朝焼けと夕焼けの空も黄水晶と琥珀で使い分けるなどこだわりがある.それ故,賢治作品を真に理解するためには鉱物の色を知ることは不可欠なのである.なお,鉱物名も和名・英語名・ドイツ語名と使い分け,リズム効果も狙っているという.
 本書は各節とも2つの部分から構成されている.まず,賢治作品の抜粋とそこに登場する当時の鉱物名の考証が行われている.現在では死語になっているのも多いからである.それにまつわる話や語源などにも触れてあり,読み物としても面白い.後半は鉱物のすばらしいカラー写真と解説からなる.理学部地学科の学生が必ず教わる結晶系など鉱物学的性質は一覧表にさらりとまとめられて詳細が省かれているのが,「文系のための鉱物学入門」と副題を付けた所以であろう.代わりに鉱物の成因や産状が平易に解説されている.
 前者は,先年『宮沢賢治の地的世界』を上梓し,宮沢賢治賞奨励賞を受賞した博覧強記の加藤碵一氏(産総研フェロー:構造地質学 )が担当し,後者は写真にかけてはプロ級として有名な青木正博氏(地質標本館名誉館長:鉱物学)が分担している.青木氏の写真は産総研のカレンダーに採用されたこともある.まさにベストメンバーによるコラボで完成したのが本書である.
章別構成は次の通り.
はじめに
年譜
第1章 青い鉱物
第2章 緑の鉱物
第3章 黄色い鉱物
第4章 赤い鉱物
第5章 白い鉱物
第6章 黒い鉱物
付録―用語解説
作品索引/事項索引
あとがき
 鉱物学は難解な専門用語が多く,それだけで敬遠されがちである.易しい用語解説が付いているのはうれしい.本文の理解に大いに役立つ.
 あえて欲を言えば,賢治が実際に見た岩手大学所蔵のクランツ標本や国立科学博物館に保存されている当時の古い標本を採用して欲しかった.鉱物の色は千差万別だからである.保存状態が悪かったためだろうが,クリーニングなどの手はあったのではないだろうか.なお,副題は不要であろう.「鉱物学入門」などというとお勉強させられるイメージが付きまとう.それよりも,きれいな写真集を眺めて,賢治の世界に思いをはせる,あるいはしばし賢治の世界に遊ぶ,でよいのではなかろうか.本書はその目的に十分応えている.賢治の心象世界を真に知りたい賢治ファンにとっては座右に置くべき必読書である.教科書の童話しか知らない地質鉱物関係者にとっては,賢治への入門書となろう.(岩松 暉)

<追記> 岩手大学所蔵標本は,出版企画時には撮影不許可だった由.

2011年7月20日刊行,272ページ.3200円+税,工作舎,ISBN978-4-87502-438-5

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更新日:2011年9月日