新燃岳の噴火活動と防災対応

鹿児島大学名誉教授 岩松 暉(消防科学と情報, No.105,31-35.)


1.はじめに

 霧島山は国立公園第1号に指定された風光明媚なところである。20あまりの火山からなり、コバルトブルーの火口湖がいくつもある。温泉にも恵まれ、坂本龍馬とおりょうが訪れた新婚旅行発祥の地としても名高い。春になると、ミヤマキリシマを愛でるハイカーで賑わう。しかし、そのミヤマキリシマが活火山の象徴であることを知る人は少ない。同じ霧島山系でも栗野岳のような古い火山は、植物遷移が進んでもはやミヤマキリシマはないのである。

2.新燃岳の噴火

 霧島山が活火山であることを思い知らされる事件が起こった。2011年1月19日未明に新燃岳が300年ぶりに大噴火したのである。それまでの新燃岳は火口底に僅かな水をたたえる池があり、火口壁から水蒸気を出しているに過ぎなかった。麓の温泉街のほうがもうもうと湯気を出しており、新燃岳の湯気は可愛いものだと多くの人は思っていた。
 しかし、噴火活動は始まっていたのである。井村(2011)によれば、2008年8月22日から活動が始まっていたという。この時、火口内に新しい小火口を作り、山体西斜面に割れ目火口列を作るような水蒸気噴火があった。2010年3月頃からは小規模なマグマ水蒸気噴火を繰り返すようになり、この1月19日にマグマ噴火に至ったのである。この時の噴火は単発的だったが、折からの北西風に乗って、火山灰を宮崎県都城市周辺に降らせ、遠く太平洋岸の日南市にまで達した。26・27日には空振を伴う大規模なマグマ噴火が起こった(図1)。風下側の都城市・三股町・日南市などでは多量の軽石火山灰が積もった(図3)。麓の御池付近では軽石の直径は1~2cmで厚さ10cm弱も積もり、農作物に被害を与えると共に交通にも障害となった(図5)。火口から7~9kmのところでも火山礫の直撃により車のガラスが割れたし、空振で窓ガラスを割られた家もある。
 1月31日には溶岩が火口内をほぼ埋め尽くすようになり、ややドーム状に盛り上がってきていたが、2月1日に爆発的噴火をしてからは直径600mほどの平たいパンケーキ状になり、現在に至っている(図2)。2月14日にはやや大きな爆発が起こり、北側の小林市方面に火山礫を降らせ、車のガラスが割れる被害が出た。その後、何度か小規模な噴火をしたが、現在は小康状態を保っている。
 さて、このまま終息に向かうかどうか予断を許さない。先に300年ぶりと述べたが、300年前の噴火とは新燃岳享保噴火(1716-1717)のことである。今回の噴出物の化学組成は享保噴出物と酷似しており、享保噴火が参考になる。享保噴火では、かなり長期間、凖プリニー式噴火(軽石火山灰噴火で降下物の範囲が500km2以下)を繰り返しており、火砕流を伴ったり、泥流を出したりしている(井村,2011)。油断は出来ない。

3.災害とその対応

 1月26日18時、気象庁は噴火警戒レベルを2から3に上げた。これに伴って、周辺市町村では災害警戒本部を設置、入山規制を半径1kmから2kmに引き上げ、関連道路の通行止めなどの措置が執られた。翌27日には宮崎県高原町で自主避難も行われ、学校も臨時休校となった。30日の爆発的噴火に伴い、高原町では避難勧告が出され、2月15日に全面解除されるまで最高時289名の避難者がおり、福祉センターなどに収容された(図10)。翌31日には入山規制が3kmとなった。2月1日にも空振を伴う大きな爆発的噴火があり、入山規制はさらに4kmと強化され、鹿児島県側からえびの高原には直接行くことは出来なくなった。鹿児島県霧島市内では空振によるガラス破損等が300件以上発生、玄関ドアが外れる、入院患者が軽傷を負うなどの事故があった(図4)。前述のように2月14日には噴石被害も発生、噴火活動の活発化をうかがわせた。今後も降灰が続いた場合には、その処分場をどうするかが大きな問題となった(図6)。
 こうした有珠山2000年噴火以来の事態に、国など各機関も動き、7日には東大が臨時観測所設置、8日には気象庁が霧島山総合観測班現地事務所を設置した。内閣府も政府支援チームを派遣、国・県・関係自治体・学識経験者による霧島火山防災連絡会コア会議を立ち上げた。この第1回会議は2月22日に開かれている。この結果、各種観測データや情報の共有体制が構築された。
 その後、火山活動が小康状態を保っているため、3月22日入山規制を3kmに縮小し、鹿児島県側からえびの高原への通行が可能となった。しかし、山腹には火山灰軽石が堆積しており、少しの雨でも土石流が発生する恐れがある。火山灰が地表を覆うと表面だけモルタル状に硬くなり、雨水の浸透を妨げるからである。当初は避難警戒雨量をどうするかで若干混乱もあった。時間雨量4mmで発生した三宅島の事例を参考に、都城市は2月9日、2時間で8mm以上の雨量が予想されたり、連続降雨量が20mmに達したりした場合に、避難勧告を発令するとのやや極端な基準を発表した。対象者は新燃岳から半径約6~18kmの2126世帯4604人であった。しかし、その後、実情に合わせて緩和されている。このようなソフト対策がなされると共に、国交省も土石流危険渓流の予測を発表、緊急砂防事業を行い梅雨前に完了した(図7)。林野庁も緊急治山事業を行った。

4.住民対応とジオパーク

 ユネスコのジオパーク認定を目指すことも念頭にあって、2007年に環霧島会議が結成されており、防災部会では2009年には防災相互協定が締結されていた。高原町の屋根に積もった降灰の灰降ろしに、他市町村から応援に駆けつけるなど、この協定が有効に機能した。
 一方、2010年に霧島は日本ジオパークとして認定されたが、その過程で、霧島火山に関する学習会やガイドの養成、ジオツアーなどが頻繁に行われ、住民の火山に対する意識がかなり向上していたし、霧島火山のホームドクターである鹿児島大学井村隆介准教授と行政や住民との顔の見える信頼関係が築かれていたのも幸いした(図8)。『ふるさとの山 霧島山』という副読本が作られ、環霧島の全小学校に配布されていたのも、火山の知識普及に役立った。そのためか、観光業者も比較的前向きに事態を受け止めた。ある旅館の女将は新聞に「新燃岳は生きている火山。ジオパークに選ばれ、火山を売りにしているのだから噴火するのは当たり前」とコメントしている。
 もちろん、行政は広報の臨時号を出したり、ハザードマップを再配布するなどの広報も行ったりしているし、ジオパーク推進連絡協議会も新燃岳のウェブサイトを立ち上げ、最新のニュースや火山噴火予知連発表のやさしい解説などを流し続けた(図9)。当然のことながら、自治体では総合防災訓練なども行っている。防災ボランティアも活躍した。  この中で、ご多分に漏れず、過疎地の災害時要援護者の問題が浮上している。避難勧告を出した高原町は、合併をしなかった小さな町のため、避難者の数も少なかったし、避難所も調理室から診察室まで整った福祉センターだったから、痒いところに手の届く世話が出来たが、職員数が少ない故に、もしもこれが長期間にわたっていたら、職員の負担は大変だったろうとの述懐も聞かれた。なお、避難所に関しては、学校の体育館が利用されるケースが多い。最近、給食のセンター方式が導入され、自校方式の廃止が目立つ。防災にとっては好ましくない。少なくとも給食室と設備は残しておいて欲しい。
 火山活動は小康状態が続いたが、5月23日梅雨入りし、土石流の発生が心配された。6月20日には九州一円で大雨があり、都城市では、1148世帯2523人に避難勧告を出した。幸い大事に至らなかったが、この間のいわゆる空振りの避難が多かったため、度重なる避難が高齢者に負担をかけたことも事実である。高齢者ほど、他人様の迷惑になってはと、避難勧告に従ってくれるからである。身体に堪えた、との声も聞かれた。避難疲れである。

4.おわりに

 現在のところ、噴火は小康状態だし、噴火もそれほど大きくはなかったから、ライフラインにもそれほど大きな被害はなかった。しかし、マグマはまだ供給し続けているというから、溶岩流出や火砕流発生などもあり得る。梅雨末期の集中豪雨も心配である。ハード・ソフト両面で備えておかなければならない。火山では噴火期間は短く、恩恵を受ける期間のほうがはるかに長い。火山との共生をはかる生き方が求められている。すなわち、ふるさとの山に誇りを持つと共に、その山の成り立ちを深く知り、時に恐ろしい噴火を起こすこともあることを肝に銘じておかなければならない。そのためには、学校教育・社会人教育を問わず、日常普段からの火山防災教育が欠かせない。火山防災の日常化である。

追記

 6月25~26日の両日火口付近で総雨量76mm、時間雨量最大30mmの雨量を観測、宮崎県高原町を流れる高崎川で大規模な土砂流出が見られたが、幸い、砂防施設で捕捉され、大事には至らなかった。
6月28日、気象庁は南九州の梅雨明けを発表した。しかし、本格的な台風シーズンはこれからであり、火山活動の終息宣言も出されていない。まだまだ気を抜けないのが実情である。
<注>
図1:窪田宗摩氏撮影、図2:成沢昇氏撮影、図3:産総研地質調査総合センター、図4:坂之上浩幸氏撮影、図5・6:筆者撮影、図7:国土交通省、図8:坂之上浩幸氏撮影、図9:気象庁、図10:筆者撮影

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更新日:2011年月日