日本応用地質学会九州支部創立30周年に当たって

岩松 暉(GET九州,No.30)


 支部もついに而立の年を迎えた。20周年のときに、たまたま支部長だったので、『応用地質』誌に、「明日の応用地質学会九州支部」と題する拙稿を載せたことがある。そこでは、成人式を迎え、一人前の大人として来るべき21世紀に大きく羽ばたく決意を固める絶好の機会と前置きして、おおよそ下記のような趣旨のことを記した。
 九州支部の特色は、理工融合の会員構成・人の和・若手中心の運営と民間会社の協力を挙げ、その強みを活かそうと、21世紀のキーワードとして、地方の時代、国際化、環境デザイン、防災、海洋、メンテナンス、情報、技術革新、実力主義を列挙しておいた。
 当時はバブル崩壊後ではあったが、まだ会員数も順調に伸びていた時である。若干バラ色の色彩は強かったが、理科離れや外国からの参入なども意識していたから、逆にこれを実践しない限り、明日はないとも思っていた。それから10年、どの程度実践したであろうか。再読していただければ幸いである。
 さて、その内容を現在に即して点検してみよう。九州支部の特色は今も変わらないし、この強みを生かし切ることが重要であると思う。また、21世紀のキーワードについても基本的には間違いではないし、これを実践していく必要は今もあると思っている。その後の10年を振り返ってみたい。
 地方分権が叫ばれて久しいが、この10年あまり進捗しなかった。逆に人口の一極集中が強まっており、関東圏に日本の人口の半数が居住している異常な事態が進行し、地方は疲弊しきっている。限界集落なる言葉も登場、“夕張現象”があちこちに起きつつある。しかし、中央官僚が生殺与奪の権を握り、国を運営している“日本型社会主義”の時代は間違いなく終焉を迎えており、地方分権の流れは必然である。その時に,地方に人材が育っていなければ、逆に混乱と停滞を招く恐れがある。力をつけようではないか。
 国際化については、当時タイの通貨危機などあって、アジアの経済は停滞していたが、予想通り、その後、中国・インドなどが世界経済の中心に躍り出た。九州から東京千キロ、上海千キロの地理的状況は不変であり、東南アジアへの玄関口であることは間違いない。先年スマトラに行ったが、シラス台地が延々と続いており、水牛が遊んでいなかったら、鹿児島の風景と見紛うばかりであった。熱帯~亜熱帯の赤色風化も奄美・沖縄と同じである。火山国九州で培った風土病の専門医としての力量を携えて、もっと海外に進出し、途上国に技術支援をする必要があろう。国内では社会資本整備がほぼ飽和に達し、新規事業はあまり見込めない。既に地質調査の受注量は往事の半分になっている。もっと目を海外に向ける必要がある。この10年間、その努力が若干足りなかったのではないだろうか。
 環境というと最近はイコール土壌汚染と狭く捉えている向きがある。確かに従来培った技術がすぐ応用できる。しかし、私が述べたのはもう少し広い意味である。1988年、「来るべき21世紀には、環境と調和しながらいかに自然を利用していくか、環境設計が重要な課題となる。工学は現在という一時点での最適適応を考えるが、地質学は悠久の自然史の流れの中で現在を捉え、未来を洞察することができる。また、文字通り地球科学であり、汎世界的な視点も持ち合わせている。こうしたロングレンジの発想とグローバルな視野という地質学の長所が、環境設計に当たっては一番重要になってくる。このような地質学の武器を生かしつつ、環境設計という課題に具体的に対応できるだけの学問内容を創造し、技術革新していかなければならない。それも残された20世紀の10年の間に確実にやり遂げる必要がある。そうしてこそ、地質学の存在意義が社会的に高く評価されるであろう。」と述べた。「環境設計」というと神をも畏れぬ響きがあるので、国連環境計画UNEP(1994)の「エコデザイン」に倣って、その後「環境デザイン」と言い換えている。国土のグランドデザインや地域再生・地域振興に地質学を活かすために、学問的な裏付けや技術革新を追求しなければならない。コンサルタントも、まちづくりコンサルタントへウイングを伸ばす必要があろう。
 情報については、ようやく電子納品が都道府県レベルにまで到達し、地方の中小コンサルタントも対応しなければならなくなった。一方、情報公開も進み、国交省もKuniJibanなどでボーリングデータを無償公開し始めた。地方自治体にも追随する動きがある。こうした地質地盤情報を安心安全の国づくりに活用して、地質学の有用性を社会にアピールすることは、地質家の社会的ステータスの向上につながるに違いない。公開されたファクトデータをどう活用し、どのようなものを創造していくのか、応用地質学の学問的力量が試される。コンサルタントもコンテンツサービス産業へ転進する良い機会ともなろう。
 実力主義については、この10年間に先の国際化と関係して、JABEEやAPECエンジニアが始まった。まだ青い眼の地質屋さんが日本の野山を徘徊する状況にはないが、東アジアの人たちが日本のコンサルタントに就職しているケースも増えてきた。日本の若者よりもやる気があると好評のようである。相撲界がモンゴルやヨーロッパ勢に上位を奪われているように、地質調査業も,うかうかしていると蚕食されるであろう。
 その他のキーワードについては、基本的に変わっていない。
 さて、20周年の時には生産年齢人口(15歳~54歳)はピークに達していた。現在は少子化が進行し、総人口はプラトー状態を維持しているものの、生産年齢人口は激減している。それに伴って当然、研究者技術者人口も減っているから、学会の統廃合も不可避な情勢になった。理科離れも相変わらずで理工系学部はあまり人気がない。幸い今度の学習指導要領の改正で、理科が増えた。小学校で15%、中学校で30%増えたという。この機会を利用しない手はない。減少している研究者技術者人口の中で各分野が奪い合いをするのではなく、迂遠なようだが、子供たちに理科や地学の魅力を伝え、供給のパイプを太くするのである。九州支部は20周年に『九州の大地とともに』を出版した実績がある。今後も地元の地質遺産の活用やジオパークの設立など、学会として努力する必要があろう。エコ同様、ジオも日本語にしたいものである。その時こそ地質学が市民権を得た時である。

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更新日:2007年月日