自然災害と祖先の知恵

特定非営利活動法人地質情報整備・活用機構専務理事 岩松 暉(IEGSニュース No.16, p.1, 2005)


写真:どぶね農業(北陸農政局より転載)
図1:風水害による死亡リスク(河田,1995)
 私が新潟出身というと、「米どころ」との答えが返ってくる。新潟イコールこしひかりとの連想が働くらしい。しかし、新潟平野は日本一の大河川信濃川の氾濫原である。一昔前までは潟や沼の点在する湿地帯で、ツツガムシ病が風土病だった。田んぼも深田(湿田)で、腰まで浸かる「どぶね農業」、三年一作と言われていた(写真)。新潟の風物詩「はざ木」も湿田時代の生活の知恵だったのである。水害は年中行事、中でも明治29年(1896年)の横田切れは名高い。哀切な「横田切れくどき」や「流れの親子」がその悲惨さを今に伝えている。その後大河津分水や数々の排水機場が完備して、新潟平野の「地図にない湖」は乾田となり、穀倉地帯へ変貌した。今では公共事業は諸悪の根源のように言われているが、このように営々と社会資本を整備してきたからこそ、今日の繁栄が築かれたのである。風水害による死者数も被害額も確実に減少を続けたきた(図1)。その功は大と言えよう。
 昨今ニューオリンズのハリケーン災害が話題を呼んでいる。水が引くに従って、老人ホームや病院での高齢者の集団死が明らかになっている。世界一の超大国でありながら社会資本整備は一体どうなっているのだろう。彼我の防災に対する施策は対照的である。わが国は、安心と安全はお国に任せておけとの行政側の気負いもあったし、一方の国民はすべて御上頼みで、何かあると行政責任を追及した。これでは公共事業は膨れあがる一方となる。他方のアメリカは、危なっかしい道路には必ず"Your Own Risk"と看板が出ている。ここは危険だと情報を提示した上で、自己責任で通れというわけである。事故があっても行政責任を追及できないから国民は保険で防衛することになる。レーガン大統領の「小さな政府」以来、この傾向はますます強くなったようだ。その行き着いた先がニューオリンズの事態なのだろう。
 さてどちらのやり方がよいのか。恐らくその中庸が良いのだろう。地震・火山噴火はもとより土砂崩れや洪水も人類誕生以前の何億年も前からあった地質現象である。植物が繁茂すればふかふかの肥沃な土壌が形成される。これは力学的には劣化を意味するから、やがていずれは崩れる。これを効率的に下流に運ぶのが土石流であり洪水である。こうして平野が形成され、農耕が成り立ってきたのだ。土砂崩れも洪水もなくてはならない自然の理である。コンクリートを厚くして自然を現状のまま固定しようなどと企てるのは不老不死を願った秦の始皇帝と等しい。江戸時代、鹿児島では崖下の崖錐地や土石流扇状地(洗い出しという)は自然の領域・神の領域として利用してこなかった。「敬して遠ざかる」やり方である。信玄堤(霞堤)は近代の連続堤防と異なり、洪水の奔流は流すが上澄みのオーバーフローは許した。当年は凶作でも、肥沃な土壌が客土されたのだから翌年は豊作になる。「軽くいなす」やり方と言えよう。
 先に災害死者が減少し続けたと述べた。しかし、ゼロにするためには天文学的な公共投資を行っても不可能であろう。天気予報の的中率を50%から5%上げるためにはコイン投げから観天望気に換えればよいが、80%をあと5%上げるためには気象衛星を打ち上げたりして何百億円もの投資が必要なのと同じである。現在の赤字国家財政では完璧を期すのは無理というものだ。床上浸水はゴメンだが、何十年に一度の床下浸水くらいは我慢して長靴を履いても良いのではないだろうか。従来のハード万能主義、御上頼みを脱却すると共に、公助・互助・自助をバランスよく実行していくことが大切である。祖先の知恵にならって自然災害とはほどほどに仲良く共生していかなければならないと思う。

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更新日:2005年9月28日