地質遺産と応用地質

岩松 暉(日本応用地質学会中国四国支部創立15周年記念総会シンポジウム講演概要集, 2-15)


1.はじめに

 長谷川支部長から世間一般の常識ではおよそ無関係と考えられている「地質遺産」と「応用地質」で何か話をしろとの命を受けた。しかも翌日には「応用地質学的ジオパーク豊島」という現地見学会も催されるという。もっと深く広い視野で物事を考えておられるらしい。その上、創立15周年記念総会とあれば、過去を振り返り今後の展望を議論する場である。この3つを結びつけて一つのまとまった話が出来るだろうか。さて、荷に余る課題を仰せつかった。そこで、まず応用地質学会ないし応用地質学の置かれている現状を考察し、その閉塞状況を打開する糸口の一つとして、地質遺産の活用やジオパークがあるのではないかといった順序でお話したい。

2.少子化時代と学会

 少子高齢化時代の到来が叫ばれて久しいが、総人口は2004年からほぼ横ばい、プラトー状態を維持しているので切実感がない。しかし、実は生産年齢人口(15歳~64歳)は既に1995年をピークに減少の一途をたどっているのである。当然、研究者・技術者層の人口も減少傾向にあり、この少ないパイを文理全分野で奪い合っているのが現状である。
 既に各学会とも会員減に悩まされており、鉱物科学会のように統廃合したところも出てきた。こうした情勢を踏まえ、政府や日本学術会議では学協会の自己改革と機能強化を訴えている。学会が生き残るためには、仲間内の単なる研究発表の場から社会貢献が求められている時代になったこと、スケールメリットと称して、分野が重複する学協会の統廃合は避けられないことなどが強調されている。実際、あの巨大学会である日本化学会も工学系も含めて全化学界を糾合した日本化学連合を結成し、徐々に学会化を目指すという。地球科学系でも2005年、日本地球惑星科学連合が結成され、単なる合同研究発表会の場だったのが、法人化を目指している。加盟個別学会の自主性は尊重し、共存共栄を唱っているが、学会化の方向は不可避であろう。実際、大学院生の中には連合に加入すれば研究発表の場が保証されるから、個別学会に入る必要性を感じないと述べている人も多い。
 それでは学際分野の応用地質学会はどうすべきなのだろうか。学会法人化で文科省に説明に行ったときにも、地質学会との違いや地盤工学会との違いについてしつこく問いただされた。地質学会との関係については純粋科学と応用科学ということで区別をすぐ理解できたようだが、地盤工学会との関係については、似たようなことをやっていると捉えられたようだった。それではスケールメリットを出すために地盤工学会と合同すべきなのであろうか。確かに20世紀後半のように社会資本整備が重点課題だった時代には地質工学的色彩が強かったが、これからは環境共生の時代である。環境はもとより防災もハード対策一辺倒からソフト重視に変わってきており、応用地質学も理学への回帰が求められているのではないだろうか。とはいえ、地球惑星科学の中で応用地質学の影は薄く、とくに院生層にとっては全く存在感がない。そうなると、応用地球科学連合の方向を模索する必要も出てくるかも知れない。差し当たっては、財政問題解決のためにも、応用地質学会・情報地質学会・地すべり学会など応用地球科学関連学会で合同事務局を考えるのが第一歩ででもあろうか。

3.理科離れ

 もう一つの厳しい現実に理科離れがある。戦後復興は資源小国のわが国では科学技術立国しかないと言われ、ソニー・ホンダ等々の創業技術者社長が活躍し、科学者・技術者は尊敬の眼で見られていた。当然、理系学部を志望する若者も多かった。しかし、マネーゲームの金融資本主義の現代では、文系世襲社長が君臨し、技術者は彼らにアゴでこき使われている存在と見られている。政界も官界も法経出身者が幅をきかせている。しかも、環境ホルモンやフロン、耐震偽装などなど、科学技術不審の声が強い。これでは、理工系に魅力があるはずがない。いわゆる理科離れの遠因である。今や全入時代を迎えた大学では、理工系学部に定員割れを起こしているところも出てきた。応用地質学は前述のように既存の学生院生の中で影が薄いだけでなく、供給側の先細りの中で、どうするかを考えなければならないのである。

4.地質調査業界

 一方、20世紀後半、応用地質学を支えてきたインフラである建設産業も縮減の一途をたどっており、地質調査業では往事の半分しか受注量がない。マクロに見れば、社会資本整備はもはや飽和に達し、これからはメンテナンスの時代に入る。つまり、新規事業がほとんどゼロになると見て良い。最上流部門である地質調査業が一番打撃を受ける。関連産業界にスポットライトが当たるようでないと、若者もその分野に進学してこない。かつて資源産業が盛んだった時代には地質学科や鉱山学科は花形学科だったのである。これからは地方の時代であり、国の公共事業に依存する時代は終わった。地域住民からむしろ旗で迎えられるようではダメで、住民から頼もしく思われる存在にならなければならない。現在、町づくりコンサルタントには都市工学出身者が多く、良くて地域政策論を専攻した経済学出身者を抱えているに過ぎない。当然、自然の理を無視したプランニングが横行している。地質家ももっと地域づくり・地域振興に貢献しなければならない。先日も「活断層巨大地震」というテレビ番組があったが、安心安全の国づくりにとっても、地質地盤情報を活かすことが求められている。こうした地質情報コンテンツサービス産業化も一つの道であろう。いずれにせよ、イメージチェンジが必要である。談合・癒着・腐敗といった暗いイメージで捉えられているようでは、若者にとって魅力のある分野として映らない。ロマンを感じさせるか、地球環境を守るといった誇りと使命感を持たせるか、あるいは花形の職場が待っているといった明るいイメージが欠かせないのである。

5.ジオを国民教養に

 それでは地質学や応用地質学は八方塞がりで未来はないのだろうか。しかし、明るい材料もある。平成15年度小・中学校教育課程実施状況調査によれば、小中学校を通じて、「好きな教科」の第1位は全学年を通じて理科が断然トップである。小学生の疑問の6・7割は地学に関するものだと聞いたことがある。総合的学習の時間で野外に連れ出すと生き生きとしているという。子供は生まれながらのファーブルであり、子供たちは理科離れ・地学離れしていないのである。しかし問題もある。その教科の勉強は大切だ、つまり、その教科が生活や社会に役立つか、との質問では理科が最低である。確かに国語や算数のほうが世の中に出れば直接役に立つ。理科の場合、ストレートにわかりにくいのは事実である。応用地質関係者ももっと出前授業などに積極的に取り組む必要があろう。
 われわれは若手研究者・技術者を他分野と奪い合う前に、迂遠なようだが、理科好きの子供たちをたくさん育てる必要がある。先ほど「供給側の先細り」と述べたが、太い供給パイプを構築するのである。その手段の一つに世界遺産やジオパークがある。
 エコは今や日本語になり、エコツーリズム推進法のような法律用語にもなった。分子生物学全盛の時代、冷飯組だった生態学者たちが、1950年代の尾瀬沼保護運動に始まる永年にわたる地道な努力が実を結んだのである。考古学も然り、一昔前には考古学科のあった大学はごく少数であった。少数の考古学者たちが各地の発掘に奮闘した。その結果、文化財保護法が改正され、開発の前に発掘が義務づけられた。その後の事態はご承知のとおり、日本の古代史は一変したし、地方大学にも考古学科ができ、各自治体の教育委員会で考古学科出身者も採用されるようになった。金持ちの暇人がやるものと言われていた考古学にも就職口が出来たのである。このようにして、かつてマイナーだった学問分野も今では若者が殺到する分野になったのである。
 しかるにジオはどうであろうか。前述のように地質学科が花形学科だった時代がある。産業を興すためには資源とエネルギーが欠かせない。産業の米である。この両方とも握っていたのが地質だから、当然優遇されてきた。これに安住して自己変革を怠ってきたのではないだろうか。60年代、地質学を支えるインフラが資源産業から建設産業になったときにも、地質学は資源にしがみつき、バスに乗り遅れた。もちろん、メタンハイドレートなど資源分野や社会資本の整備など土木地質分野も依然として重要ではあるが、やはり21世紀は地球環境時代である。国民、いや世界の眼はそちらを向いている。これに対応できなければ、地質学や応用地質学の未来はない。環境問題というと、すぐ土壌汚染などを考える。もちろん高度成長期の負の遺産を修復することは重要だが、もう少し前向きな明るいイメージも必要である。かつてハコモノ行政と言われ、自然の摂理を無視した乱開発が行われてきた。その反動か、自然との正しいつき合い方を知らない環境原理主義者たちの、自然に一切手を付けるなとの主張もある。しかし、江戸時代の人口ならいざ知らず、これだけの人口を支えていくためには自然に手を付けざるを得ない。そうしたとき、ロングレンジの発想とグローバルな視野を持つ地質学の知恵が求められる。結果として乱開発を許してしまった原因の一つに、現在時点での最適適応しか考えなかった工学の弱点がある。自然にも人間にも優しい環境デザインには地球科学的視点が欠かせない。日本の国土のグランドデザインにとってジオはなくてはならないのである。
 一方、わが国は活変動帯に位置している。日本海溝から仰ぎ見れば、10,000m級の大山脈の八合目にわれわれは生活しているのだ。若い変動帯ゆえに当然地震活動も活発で、地震災害や津波災害にしばしば見舞われる。活火山も多く、噴火災害も頻発している。同時に、若い変動帯とは地殻変動の活発なことを意味する。地質構造が複雑で活断層も多い。この200万年以降日本列島の中央部は2,000mも隆起し、険しい山岳地帯を形成した。北アルプスには世界一若い花崗岩すら露出している。「出る釘は打たれる」の原理で、地すべりや山崩れなど浸食作用が活発である。しかも日本列島は南北に細長いから、河川は急流が多く暴れ川である。当然、土石流や洪水も多い。また、地質的に若いから軟岩や軟弱地盤も多く、地すべりや地盤沈下の素因となっている。一方、日本列島はまたアジアモンスーン地帯に位置している。台風の通路になり、梅雨前線が停滞しやすい。冬にはシベリア寒気団が日本海を渡ってたっぷり水分をもらい豪雪をもたらす。したがって風水害や雪害も多い。いわば日本列島は災害列島と言ってよい。このように自然災害にとってもジオを忘れてはならないのである。つまり、環境にとっても防災にとっても、ジオは不可欠であり、地学を国民教養にする必要がある。ジオが復権する可能性はここにある。やがて、子供たちや若者にジオは輝かしい魅力的な学問分野として目に映る時代になるであろう。ジオをエコ同様、日本語にしたいものである。

6.地質遺産とジオパーク

 先に、生態学や考古学の人たちの半世紀にわたる努力について触れた。今からでも遅くはない、われわれも努力を始めようではないか。幸い、今年は国際惑星地球年のコア年である。ちょうど良いスタートラインとなる。ジオを国民に定着させる一つの方法にジオパークがある。
 ジオパークは世界遺産同様ユネスコのプロジェクトである。ただし、前者は国際条約であるが、後者はユネスコが支援するプロジェクトである。これが出てきた背景にもやはり環境がある。リオの環境サミットで生物多様性条約が採択され、翌1993年発効した。その第1条に地球上の多様な生物を「その生息環境とともに」保全すると唱っている。言うまでもなく、動植物は大地の上で生活しているから、自然多様性biodiversityは地質多様性geodiversityに規定されているのである。蛇紋岩植生や石灰岩植生などという言葉が存在すること自体、それを示している。そこで、イギリスなどではローカルアクションプランを作って地質多様性を守る運動が展開されている。ジオパークもその流れの延長にある。Geoconservationといった言葉も生まれた。
 世界遺産は「世界で唯一つ、類い稀な」という条件が付いているから、どうしても保全が前面に出てくる。当然ハンマーで化石や岩石を採取するのは禁止である。これは地質にとって具合が悪い。ジオパークは保全だけでなく、教育やジオツーリズムにも貢献する利活用が中心である。その点が世界遺産と異なる。ジオパーク生みの親であるユネスコ前地球科学部長Eder氏は、世界遺産や人間と生物圏計画(MAB)と相補い合うものと位置づけている。現在、世界で合計18箇国57箇所ある。ヨーロッパと中国に偏在しており、地質学的に言えば,安定大陸だけで島弧は一つもない。
 そこで、わが国でもジオパークを作ろうと、2004年私どもGUPIが声を上げた。最初は地質学界内でPRに努め、2006年くらいから地方自治体にも働きかけた。幸い反響を呼び、メディアでも大きく取り上げられて、2007年暮れには,名乗りを上げている自治体で日本ジオパーク連絡協議会が結成された。加盟地域は以下の通りである。
正会員
オブザーバー
 こうした地方の動きに触発されて、中央省庁も重い腰を上げ、審査認定機関である日本ジオパーク委員会(委員長:尾池和夫京大総長)も、この5月に発足した。現在、洞爺湖・糸魚川・山陰海岸・室戸・島原半島が世界ジオパークに申請を出しアポイ岳と南アルプスが日本ジオパークに申請している。現在、書類審査と現地調査が行われている。
 さて、上記の地域は直接的には応用地質と関係がない。強いて言えば、有珠山や雲仙岳の火山災害は関係があるだろう。火山は災害だけでなく温泉のような恵みももたらす。温泉もまた重要な地質遺産である。土砂災害も当座は負の作用ではあるが、一種の造地形運動であるから、結果としてさまざまな優れた景観を作り出す。土石流は扇状地地形を作り、地すべり地は棚田などとして活用され、美しい景観を作り出す。風化・浸食も景観形成に大いに関わる。その他、地下水の湧水なども立派な地質遺産である。水と関わりの深い酒などもジオパークの大切な要素の一つと言って良い。さらには、鉱山や炭鉱の跡地なども広義の応用地質学的遺産であろう。はては、豊島のような不法投棄現場も負の地質遺産とでも言えようか。
 一方、自然遺産や文化遺産の保全には、応用地質学は大いに貢献できる。マチュピチュや華清池など世界遺産を地すべりから守るIGCPプロジェクトもある。ピサの斜塔やアンコールワットなどを地盤沈下から守るために地質家が関わっている。その他、塩類風化や浸食から遺産を守ることも行われている。今後も大いに貢献が求められている。

7.おわりに―今後の応用地質学の発展のために

 かつて私が応用地質学会九州支部長だった時代に、支部が創立20周年を迎えた。そこで、『応用地質』誌に「明日の応用地質学会九州支部」という駄文を書いたことがある。その中で、次のようなキーワードを列挙した。すなわち、地方の時代、国際化、環境デザイン、防災、海洋、メンテナンス、情報、技術革新、実力主義である。もっとも、これらを九州支部が実行したかどうかということになると若干問題もあるが…。また、記念論文集など自己満足的な内輪の出版物の代わりに、『九州の大地とともに』という易しい普及書を刊行し、子供たちに応用地質学の有用性をアピールした。
 上記のキーワードは、中四国支部にとっても現在でも当てはまるのではないだろうか。支部の強みは何かを見つめ、それをさらに発展させることが重要であろう。中四国はどの大学も地質巡検に一度は来る日本の地質の標識地である。南九州のように火山しかないところとは異なる。何でも知っているというところが中四国支部の強みなのかも知れない。
 なお、先ほど地球環境時代を迎え、理学への回帰が必要と述べたが、単なる理学になって、解説と解釈の学問になっては困る。実際の国民の生活にとって役立つ頼りになる存在でなければならない。この活断層は明日動くかも知れないし、1000年後かも知れないなどと言っていては、情報を受け取る側の国民は戸惑うだけである。人間の寿命のオーダーでの議論が出来るようになってもらいたいものだ。若い世代に期待する。

講演スライド


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更新日:2008年10月3日