今なぜジオパークか

岩松 暉(『地質ニュース』No.635, 1-7, 2007)


1.はじめに

 ジオパークについて総説を書けと編集部から依頼があった.2004年日本地質学会総会夜間小集会で私がジオパーク紹介の講演をしたのが,わが国におけるジオパーク運動の始まりだから,火付け役であることは確かである.しかし,本特集号では,ユネスコのEder氏・Missotten氏などジオパークの創始者たちの紹介文が載ることになっているし,日本におけるジオパーク運動の進め方や現状については,日本地質学会ジオパーク設立推進委員会の佃委員長がお書きになることになっている.そこで,私なりに地質学の重要性とわが国における危機的状況を整理し,現況を打開するためにジオパークが必要であることを述べて,総説に替えたい.
 ところで,ジオパークと仮名書きにするにせよ,中国のように地質公園と称するにせよ,恐らく一般の人にとっては全く何のことか想像できないに違いない.それほど地質学がこの日本でマイナーな存在であり,市民権を得ていないのだ.しかし,若い変動帯である日本列島に住む日本人にとって,地質学ないし地学は日常的にもなくてはならない存在である.そこで先ず「今」をスケッチしてみようと思う.「なぜ」が浮かび上がってくれば幸いである.

2.20世紀から21世紀へ

 ジオパークを設立しようという声の出てきた世界史的背景を考えてみたい.先ずわれわれの生きてきた20世紀を振り返ってみよう.20世紀を総括するのにいろいろな切り口があろう.科学技術面では「原子力時代」「宇宙時代」といった言葉がある.一方,20世紀を社会から切り取ると「帝国主義と社会主義の世紀」との説もある.覇権を求めて相争う「戦争と革命の世紀」でもあった.資本主義と社会主義は一見対極にあるように見えるが,どちらも産業革命が生み出した双子の兄弟である.共に富とパンを求めて工業化に狂奔した.科学技術も総動員され急速に発展した.「原子力時代」「宇宙時代」もその産物である.その結果何を招来したか.地球は満身創痍となり,人類生存の危機さえ叫ばれるような事態に立ち至った.マルクスが貧しい労働者に腹一杯食べさせたいと「必要に応じて受け取る」ことのできる豊かな共産主義社会を夢見たとき,人間の生産力が地球環境にまで影響を与えるほど巨大になるとは思いもよらなかったに違いない(岩松, 2003).
 同時に,両者ともキリスト教文明に深く根ざしているのも通底している.キリスト教に代表される一神教は砂漠の民が生み出したものである(安田,2006).森の民は恵み豊かな自然の懐に抱かれ,自然の一員として,自然を畏怖し感謝しながら生活してきた(梅原,1995).一方,荒々しい自然の中で生活する砂漠の民にとって,自然は人間と対置する存在であり,敢然と立ち向かい征服すべき対象であった.ヨーロッパに原生林は皆無に近い.近世になって製鉄と放牧のために森林を切り尽くしたのだ.社会主義が崩壊し,鉄のカーテンが開かれたら,そこは資本主義国以上に環境破壊がひどく,世界中が唖然としたのは記憶に新しい.両者とも人間中心主義であり,徹底的に自然を収奪し尽くした.
 わが国も例外ではない.明治維新以降,欧化主義を取り,産業革命を推進した.ミレニアムに環境庁(現環境省)は「21世紀の持続的発展に向けたメッセージ」と銘打った平成11年版環境白書を刊行した.その中で,「20世紀は破壊の世紀」と決めつけている.世紀前半は自然の収奪(資源開発)であり,後半は自然の破壊(乱開発)であったという.いささか乱暴であまりに否定的な総括ではあるが,確かに資源浪費の時代であった.地球が数千万年・数億年といった長い地質時代をかけて形成した化石燃料や鉱物資源を猛烈な勢いで消費したのである.鉱山や油田の廃墟に立てば実感できる.また世紀後半,社会資本の充実をめざして公共投資が精力的に行われた.奥地まで高速道路が走り,渚や湿地はコンクリート護岸に取って代わられた.都市はコンクリート砂漠と化している.一昔前と景観は一変してしまった.地質学がこうした環境破壊に直接間接関わってきたことは否めない.
 このように,人類は母なる大地を徹底的に収奪し,傷つけてきた.そのつけが回り,今や環境制約に直面しているのである.さらにはオイルピークを迎え,資源制約にも突き当たっている(Nur, 1996).最近の金属泥棒事件も鉱物資源の逼迫を象徴しているのだ.しかも,科学技術を基礎とした近代化は人類に豊かさをもたらし,それ故に人口も急増したから,人口圧もまた厳しい.古代文明が環境制約と人口圧で滅んだときには,必ず新天地で別の文明が勃興した.重商主義と帝国主義の時代には,自国市場の狭隘さという地理的制約を対外膨張で乗り切ろうとした.植民地主義である.しかし,今や地球はちっぽけな宇宙船地球号に過ぎず,もはや更地のフロンティアはない.この狭い地球の中で解決するしか道はないのである.今こそ自然あるいは大地とのつき合い方を見直すべき時期に至ったと言ってよい.自然と折り合いをつけて暮らしてきた日本人の祖先の知恵に学ぶ必要があるのではないだろうか.メソポタミアの愚は避けなければならない.

3.生物多様性と地質多様性

 ローマクラブは1972年「成長の限界」を出してこうした事態をいち早く警告した(メドウズほか, 2005).しかし,残念ながら現実はローマクラブの予想の通りほぼ進行し,地球温暖化や熱帯雨林の消失など,地球規模の環境悪化が問題視されるようになってきた.そこで,ついに地球環境問題が世界政治の課題に浮上し,1992年リオのいわゆる環境サミットが開かれた.この会議では,アジェンダ21を打ち出すと共に,「生物多様性条約」が採択された.翌年,日本も条約を批准し発効した.
 それではどのようにして生物多様性を守ればよいのであろうか.絶滅危惧種を動物園や植物園で飼育・栽培したり,精子や種子を冷凍保存したりすれば事足りるのであろうか.新薬開発のための遺伝子資源保存ならそれでもよかろう.バイオ産業などではこうした動きも見られるが,それは似て非なるものであって,生物多様性保全の真の姿ではない.5万分の1地形図「静岡」で地類(植生界)を塗り分けてみる.茶畑とミカン園の分布地域が見事に異なるのがわかるであろう.日照や霧の発生しやすさ,潮風の有無などが斜面の向きや海岸からの距離によって微妙に変わるからである.フランスやイタリアでは「ワインと地質」といった本が出版されている(Johnson and Wilson,1988; Cita, et. al., 2004).岩石の風化生成物である土壌や岩石種に規定される水質がワインの味に微妙に効いてくるのだという.石灰岩地域特有の苔なども存在するし,蛇紋岩にいたっては「蛇紋岩植生」という言葉すら存在する.海草も同様である.やはり岩石種によって微妙に異なり,それに応じて棲み着く小魚も種類が違うとか.
 もちろん,生物と岩石種との関係のようなミクロの関係だけでなく,マクロにも地質現象は生物界に大きな影響を与えている.プレートテクトニクスによる大陸の配置が気候区を決定づけているのは当然として,例えば,ユーラシアプレートとインド洋プレートの衝突によるヒマラヤ・チベット高原の隆起がアジアモンスーンシステムを生み出し,東アフリカの乾燥化を促した(酒井,1997).そのため,アフリカに生まれた人類の祖先が地上生活を余儀なくされ,アジアへの大移動を開始したのだという.世界最大の火山体であるオントンジャワ海台は多数の島嶼を作り出し,その結果ウォーム・ウォーター・プールと呼ばれる高温の海水のよどみができた.ここから流れ出した黒潮が湿潤温暖な日本の気候を形成したのである(平ほか, 2005).氷期・間氷期の気候変動やそれに伴う海水準変動は,陸橋の消長等々さまざまな環境変化を生み出し,生物界にも決定的な影響をもたらした.更にさかのぼれば,生命の起源そのものも地下深部の割れ目における熱水と岩石・鉱物との相互作用に由来するという.Astrobiologyという新分野も誕生した.生物にとって文字通り母なる地球なのである.
 このように生物多様性も地質の多様性に規定されている(岩松・星野, 2005).生物多様性の危機も母なる大地が病んでいることの証左なのだ.もちろん,生物の出現が酸素を生み出し,風化など地質現象にも多大な影響を与えている.生物と地質とが互いに影響を及ぼし合っていると捉えるのが正確である.生物多様性条約がその第1条で「地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全すること」を第一に謳っているように,生物多様性を保全するためには,同時に地質多様性を保全しなければならない.
 しかし,学問分野では学問の細分化による縦割りの弊害が強く,一面でしか物事を見てこなかったきらいがあった.地質多様性geodiversity, geological diversityという言葉すらなかった.1991年頃国際会議で使われ始めたらしいが,最近になってようやく,M. Gray(2004)の"Geodiversity: Valuing and Conserving Abiotic Nature"が上梓された.彼は,地質多様性を「岩石・地層・鉱物・化石・土壌・地形および物理過程など自然の多様性」と定義している.Burek(2001)は,「地質多様性は生物多様性の土台(Geodiversity underpins Biodiversity)」と簡潔に述べた.こうした動きの中で,実践的な取り組みも始まった.イギリスでは英国自然局(English Nature,現Natural England)の提唱でLocal Geodiversity Action Plan(LGAP)というプロジェクトも進行しており,各州でアクションプランが策定されている.同局のパンフレットでは「岩石・化石・鉱物・地形・土壌,さらには景観を作り出す自然過程の多様性」と定義されている.また,ヨーロッパやオーストラリアではGeoconservationという言葉もでき,組織的な運動も起きている.ジオパーク制度が生まれた背景には,上述のような環境制約という世界史的な行き詰まり問題と,自然環境保全運動の高まりが背景にあるのだ.
 わが国ではどうであろうか.リオサミットの直後,直ちに生物多様性国家戦略を策定し,2002年にそれを改定して新国家戦略を打ち出した.しかし,この中で地質はどこにも位置づけられていない.せいぜい「生物多様性から見た国土の捉え方」の項に,奥山自然地域・里地里山等中間地域・都市地域云々と地理的視点が列挙されているに過ぎない.行政はともかく,学問の世界は外国の動きに敏感だから,2005年『地球環境』誌がジオダイバーシティー特集号を刊行した.これがわが国で地質多様性を紹介した嚆矢であろう.多様な自然は,多様な地質の上に,多様な生物が見られてはじめて実現するものである.

4.エコとジオ

 エコeco-とはギリシア語の住居に由来する接頭語である.家政から経済economyに使われ,ひいては環境・生態ecologyの意味にも使われる.わが国ではエコマークなどともっぱら後者の意味で通用している.エコ産業という語すら登場した.一方,ジオgeo-もギリシア語の地球に由来するが,わが国ではほとんど市民権を得ていない.地質geologyという語も同様である.上述のジオダイバーシティー特集号発行の際,最初geodiversityの和訳を統一しようということになった.私は,「Grayもgeodiversityをgeological diversityと同義語として使っているのだから当然地質多様性だ」と主張したが,環境学者たちから,地質では地形や土壌が入らないとか,静的な感じでプロセスが入らないとか反対が出て統一出来ず,結局カナ書きで決着した.地質学が学者の中ですらいかに普及していないか痛感させられた.環境を研究する以上,大学教養程度の地学の常識は身につけておいてもらいたいものである.学者たちでもこのような状態だから,一般市民にはもっと普及していない.「じしつ」と発音し,布地の地質だとか土壌の性質だと勘違いする人さえいるのが残念ながら実情である.
 この間の事情は外国でも同じらしい.Googleによる検索ヒット件数を見てみる.
Biodiversity:28,100,000 Geodiversity:111, 000
Ecology:63,900,000 Geology:35,800,000
Biology:121,000,000 Earth Science:19,900,000
といった結果になる.1桁も2桁も差がある.どうしてなのであろうか.
 結論から先に言えば,地質学者たちの危機感の欠如に起因しているように思う.近代地質学は産業革命期イギリスにおいて誕生した.資源とエネルギーなしに産業は興こらない.地質学はその両方に関わる基幹学問だった.世界で最初の着色地質図,William Smithの英国地質図の凡例にはRailwayが取り上げられており,CoalやLimeなどと運搬用途が記入されている.したがって,どこの国でも地質学は重視されてきた.オリンピックより古い歴史のある国際地質学会議IGCは開催国の国家元首クラスが名誉総裁を務める慣わしがある.これもかつて地質学が重きをなしていた時代の伝統であろう.わが国においても同様,明治政府が真っ先に作った国立研究所は地質調査所だった.その後の世界大戦時代でも地質学者は重用された.戦争とはつまるところ資源の争奪戦だからである.戦後復興期にも石炭や鉄鋼の傾斜生産方式が採られるなど,地質学は手厚く遇された.しかしその後,地質学を支えるインフラが資源産業(第一次産業)から土木建設産業(第二次産業)へと変化したが,かつての特権的な地位に安住し,資源中心の学問体系を変えようとしなかった.自己変革を怠り社会から遊離して象牙の塔に閉じこもったのである(山本,1988).さらに現在は,情報化の時代であり,環境の時代である.はたして現在の地質学はこうした社会の要請に応える学問内容を持っているのであろうか.イギリス地質学会200周年に当たって,機関誌Geoscientistの巻頭言に,今まであまりにMurchisonやLyellの影響を受けすぎ,純粋科学にだけ偏っていたのではないだろうか,William Smithの時代の初心に返ろうと述べている(Watts, 2007).今年(2007年)から始まる国際惑星地球年IYPEも「社会のための地球科学」Earth Science for Societyをモットーにしている.これもこうした反省に立ち,社会の要請を真正面から受け止め,真摯に応えようとしているのであろう.
 一方,地質学同様,博物学から始まった生物学は,戦後生物化学の勃興によって,大学から分類学の講座がなくなるなど危機に立たされた.地質学より先に冬の時代を迎えたのである.そうしたとき,生物学者たちは自然保護運動など地道に取り組んできた.日本自然保護協会NACS-Jが誕生したのは1960年のことである.1949年の尾瀬保存期成同盟に端を発している.その後,環境問題にもいち早く取り組み,「エコ」の普及に大きく貢献した.最近では,各地の公園でグリーンボランティアなどによる自然観察会や野鳥観察会が催され,盛況である.エコツーリズムやグリーンツーリズムも盛んになりつつある.しかし,地質学の世界では,秋吉台や浅間など基地反対闘争のような一時的政治的課題での取り組みはあったが,継続的で地道な運動はなかった.結局,エコとジオの社会的認知度の違いには,それぞれの分野の努力の度合いが反映しているのである.

5.教育界における教科「地学」

 以上述べたように,地質学はかつての特権的地位に安住して自己変革を怠ったため,地盤沈下が激しい.その点では国際的にも共通のようだが,特殊日本的な問題もある.  戦後,新制大学が誕生したときには,どこの大学理学部にも地学科があり,ほぼ100%地質出身の教員が占めていた.応用地質学講座も存在し,鉱床学を講じていた.一方,地球物理学は旧制大学理学部物理学科の一部に存在したに過ぎなかった.しかし,国際地球観測年IGYの頃から,地球物理学者達の努力が始まる.1960年地震予知計画研究グループが作られ,そのブループリントが核となって,1963年日本学術会議から,「地震予知研究の推進について」の勧告が出された.以来,ナショナルプロジェクトと位置づけられ,強力に推進される.地震予知についてはさまざまな批判もあるだろうが,戦後の昭和南海地震の惨状を受けて,社会の要請に応えようと意図したのは事実であろう.その結果,地球物理学の社会的発言力が大きくなっていく.折からの高度成長と相まって,地方大学に理学部新設が相継いだが,地学科ないし地球科学科の教員に占める地球物理学者の比重は徐々に高まり,地質学者の比重は低下していった.
 当然,この流れは初等中等教育にも反映する.高校教育においても地学の比重低下は著しい.かつて理科4教科は同等の比重で扱われていたが,上述のように地質学が社会から遊離するに従って,地学は等閑視され,地学教員の採用は手控えられてきた.現在,若手の高校地学教員はほとんどいないのが実情である.僅かにいる地学教員も団塊の世代が大部分であり,ここ2・3年で相継ぎ定年を迎える.最近世界史などの必修未履修が社会問題になったが,世界史などの教員が少ないという現状と指導要領が乖離しているとして,実情に合わせるべきとの意見もある.指導要領に即した教育が行えるような体制を整備すべきところ,このような本末転倒の議論が出ているのはゆゆしい.理科教育にこの論を適用したら,受験にあまり役立たない地学はゼロでよいということを意味するからである.もっともっと地学の重要性をアピールしなければならない.小中学校でも地学を専攻した教員の数は少ない.地学は総合的学習の絶好のテーマとは認識しているが,如何せん中学以来地学を教わったことのない教員が大部分なのだから,どうしてよいのかとまどっているのが実情である.
 一方,教わる側の理科離れ・地学離れも深刻である.幼い子は好奇心のかたまりである.身の回りのすべてに「なぜ」を連発して親を困らせる.小学校時代までは,ほとんど全員理科が好きだという.それなのに高学年になるほど理科嫌いが増える.生物を育て野山を観察する授業から,室内における黒板授業に重点が移るからであろう.自然は変化に富み驚異に満ちているから,「なぜだろう」とさまざまな疑問がふつふつと沸き,知的好奇心が自然と養われる.自然は創造性の源なのである(岩松, 2002).もっと子供たちを野外へ連れ出すことが必要であろう.ジオパークを教育に活かすことは,子供たちにとっても教員にとっても得難い場を提供するに違いない.

6.日本人の地学リテラシー

 第1図は有名なフランスのミネラルウォーターの英語版ラベル(部分)である.地質断面図が描いてあり,火山岩層で濾過されたから美味しいと書いてある.地質が「売り」になっているのである.同じメーカーが日本進出してきたとき,フランス版と同じ地質断面図の付いたラベルを使用していた.しかし,日本では地質の宣伝では売れなかったのか,すぐ高山のイラストに取って代わられた.日本人には地質を判断できる素養がなかったのである.確かに石灰岩地帯で硬水が多いヨーロッパと異なり,日本は水資源に恵まれている.だからといって,地質に無関心でいて良いのだろうか.
 わが国は活変動帯に位置している.日本海溝から仰ぎ見れば,10,000m級の大山脈の八合目にわれわれは生活しているのである.若い変動帯ゆえに当然地震活動も活発で,地震災害や津波災害にしばしば見舞われる.活火山も多く,噴火災害も頻発している.同時に,若い変動帯とは地殻変動の活発なことを意味する.この200万年以降日本列島の中央部は2,000mも隆起し,険しい山岳地帯を形成した.北アルプスには世界一若い花崗岩すら露出している.「出る釘は打たれる」の原理で,地すべりや山崩れなど浸食作用が活発である.しかも日本列島は細長いから,河川は急流が多く暴れ川である.当然,土石流や洪水も多い.また,地質的に若いから,軟岩や軟弱地盤も多く,地すべりや地盤沈下の素因となっている.地質構造も複雑で活断層も多く,鉱物資源はほとんどない.一方,日本列島はまたアジアモンスーン地帯に位置している.台風の通路になり,梅雨前線が停滞しやすい.冬にはシベリア寒気団が日本海を渡ってたっぷり水分をもらい,豪雪をもたらす.したがって風水害や雪害も多い.いわば日本列島は災害列島と言ってよい.
 こうした災害列島に住むわれわれ日本人にとって,地学は必須の国民教養でなければならない.しかるに,先年のインド洋大津波では,日本人観光客で地震の後,津波を連想して避難した人は皆無に近かったという.Tsunamiは英語にもなっているから,日本人が「津波だあ!」と叫んで率先して逃げていれば,どれだけ大きな国際貢献になっていたか計り知れない.国内でもキャンプ事故など,地学の常識をわきまえていれば防げたであろう事故が頻発している.上述の教育における地学の比重低下の結果として,日本人の地学リテラシーは最低に近くなった.安心安全の国づくりが叫ばれている今,地学の復権と,地学の普及が喫緊の課題となってきたと言えよう.

7.なぜジオパークか

 以上,地学ないし地質学の置かれている危機的状況を概観してみた.手をこまねいていては,永久に浮上しないであろう.今が最後のチャンスかも知れない.
 今,博物館や動物園などがどこも経営に四苦八苦し閉館閉園の危機に直面している.その中で旭川の旭山動物園は入場者が上野動物園を超すなど,独り気を吐いている.その小菅館長が次のように書いておられる(小菅ほか, 2006).
 「動物園は一般の人にとっては,信じられないくらいどうでもいい存在であることに気付きました.なぜだろう? 簡単なことでした.…(中略)…お客さんは動物のことはまったく知らないのです.お客さんに動物の凄さを実感してもらえば,みんな動物に魅入られたように夢中になるはずです.そうすれば動物園はどうでもいい存在ではなくなる…」
 地学もいま一般の人にとってどうでもいい存在なのではないだろうか.最近,耐震偽装が話題になったが,上物の構造計算だけが問題になって肝心の地盤にはメディアも何の関心も払わない.動物園が閉園の危機に見舞われたときの状況と,今の地学をめぐる状況は同じように思う.地学は本当に面白い学問だ,自分たちの生活に不可欠なものだと一般の人々に認知されなければ明日はないのだ.地球上に住む以上,地学は必要だなどと密かに自負するだけではダメである.それは閉園ならぬ学問の消滅へとつながっていく.
 旭山動物園は展示方法を一変し,動物の凄さを実感してもらうディスプレイを行うとともに,飼育員による解説やペンギン散歩などを取り入れた.地学も象牙の塔から出て,何らかの行動に打って出る必要がある.2007年1月東京で開かれたIYPEの開催宣言式典で有馬朗人名誉会長が述べたように,「地球の科学」の知的すばらしさと社会的有用性・経済的有効性の認知・理解が社会一般に,とくに一方では青少年,他方では政策立案者に浸透するよう努力することが第一歩であろう.地質図も天気図くらいに身近なものになって欲しい.ハザードマップの背景図に地質図が用いられることすら稀である.本当はカーナビにも入っているくらいに普及したいものだ.
 ジオパークの目的は,保全・教育・ジオツーリズムに要約されるという(Eder, 2004).まさに地学の社会的認知度を上げる目的にピッタリなのではないだろうか.地質遺産の保全や教育については既に触れたので,ここではジオツーリズムについて考えてみたい.  最近は,なぜか戦後最長の好景気である.東京都は税収が予想以上に増えたため,次期東京オリンピックに備えて貯金しておくのだという.一方で,夕張市が再建団体に転落し,熱海市が財政危機宣言をした例に見るように,地方の疲弊ぶりは甚だしい.自治体職員の給与カットまで行う超緊縮財政を強いられている地方も多い.格差社会は個人レベルだけでなく,自治体にまで及んでいるのである.こうなった原因は,バブル崩壊時,地方債発行により公共事業を行って雇用を確保しようとしたり,ハコモノ観光事業を推進しようとしたりしたことにあるから,今更この手法は使えない.かといって工業団地を造成して企業誘致する,一昔前の失敗を繰り返すわけにもいかない.時代は重化学工業時代でもなければ,列島改造時代でもない.近頃頻発するモラルハザードや陰惨な事件は,工業化・都市化が生んだ競争社会の病理の表れである.人間もまた生き物の一員であることに気づき,やがて自然回帰の時代が来るであろう.豊かな自然と暖かな人情といった地方の魅力を活かしたソフト的な村おこし・地方づくりこそ将来の道である.地域に既にある資源をブラッシュアップすることが肝要である.地域に存在する地質遺産を活用してジオパークを設立することは,地方の活性化に役立つに違いない.「ようこそJapan」にも貢献して,外国人観光客の誘致にも一役買えるであろう.
 先にも述べたようにここ2・3年で団塊の世代が大量に定年を迎える.彼らは高学歴でしかも地学を学校で学んだ世代である.かつ行動力にも富んでいるから,ジオツアーは彼らの知的好奇心を満たすに違いない.同時に,受け身ではなく,ジオパークボランティアとしても働き手が大量に供給されることも意味する.ジオパークは歓迎されるであろう.

8.おわりに

 以上述べてきたように,地質学ないし地球科学の果たす役割が大きいのに対し,その社会的認知度は大変低く,地質家の社会的ステータスも低い.今や地質学は絶滅危惧種の域にすら達している.世は激動の時代であり,混沌の時代である.地質学にとっては黄昏の時代でもある.『ミネルバの梟は黄昏に飛ぶ』という(ヘーゲル,2000).今こそ地質学はミネルバの梟のごとく飛翔しなければならない.その有力なきっかけがジオパークなのではないだろうか.

参考文献

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